みなとみらい花火大会
小型犬はまだ泣き続ける。かわいそうに。ストレスだよな。こんなに鳴くなんて。
それでもオレは、自販機の前で買ったお茶を飲み始めた。ごめんな、ワンコ。
お茶を飲んでいるとき、道路の角から赤い柄シャツの男が少しだけ顔を覗かせた。様子を見に来たんだろう。距離があるせいか、石爺の臭いに気づかなかったらしい。
お茶を飲み終わる前に、石爺が戻って来た。止めてあった自転車に跨りながら「花火の日、8時、川上の橋の下。言った」と嬉しそうに言い残して去っていった。気づいたかな? 自転車のカゴの中の缶コーヒー。
さて。
花火の日、約束、断らなきゃな。残念。
ねぎまの浴衣姿、見たかったな。浴衣とは限んねーか。
てくてくと川沿いの遊歩道を歩き続ける。川幅を確認しながら。恐らく1番難しいのは方向転換。早めに行って、待ち合わせ場所よりも少し川上で方向転換をするつもり。難点は、意外とエンジン音が大きいこと。静かに停泊して、向こうが音に気づいたときには逃げた後ってくらいにしないとな。
失敗ってことも想定しないと。考えたくないけどさ、オレも捕まるって可能性は充分にある。誰かに「もしオレが帰ってこなかったら」とか頼んどく? 親友の小田?
そして小田の言葉を思い出す。「もしものときは連絡しろよ。110番してやる」ダメじゃん。小田だったら、話した時点で通報するよな。警察ダメじゃん。
やっぱミナト。
文字に残したくなくて電話した。
「ミナト? 今いい?」
『なに?』
「花火、行けなくなった」
『えええーーー。せっかくねぎまちゃんが来るのに?』
「オレ、その日、ダン爺助けに行く」
『は? ダン爺を?』
「石爺がさ、犬が吠えるっつってたじゃん。だから、花火の日なら、怖くてずーっと吠えてるか、震えて鳴かないと思って」
『助けにって、勝手に逃げてもらえばいーじゃん』
「でもさ、大人が走ると目立つし、逃げてるって分かるじゃん」
『タクシーで迎えに行くとか?』
「船」
『はああああ?』
「祖父の釣り船が近くのマリーナに係留してあるんだー。小さい船だからあの川通れる」
『大丈夫かよ』
「さあ」
『おいー、宗哲ぅ』
「だからさ、もしオレが戻らなかったら警察に知らせて」
『オレも行く』
「は?」
『その船、オレも乗れる?』
「乗れるけど。ミナト、大丈夫かよ」
『1人でなんてゆーなよ』
なんと。ミナトまで一緒。一緒に捕まったらどーすんだよ。
でも、1人でするよりもずっと心強い。
汗をだらだら流しながら、川下に向かって歩いていった。分岐する場所では支流の方へ。支流も川沿いに道がある。途中、道路が途切れるところでは迂回して橋を渡った。船が通れるのかどうか真剣に川を見ていく。
それから、車でしか来たことがなかったマリーナに立ち寄った。怪しまれないよう、遠くから祖父の船を確認。ある。豪華クルーザーや白いヨットの中にある小さな船。
人と騒ぐことが好きなはずなのに、祖父は釣りは1人で行くことが多い。横浜の海への愛と釣りへの愛を静かに味わいたいのだとか。だから自分専用の船を買ったらしい。ごめんお祖父ちゃん、無断で使わせてもらう。
最後に最寄り駅前までの時間を測る。
電車の中で、他に必要なものがないか考えた。変装用の帽子とかさ。お面とか。逆に「悪いことします」って怪しさが満点。却下。
ダン爺にサンダルか靴を持って行こうか。家の中で軟禁されて逃げて来るなら裸足のはず。靴のサイズ、聞いときゃよかった。背が高かったから、27センチくらい? 26.5? それと、ライフジャケットがいる。万が一の時のためにナイフも用意しておこう。
ミナトとオレが花火を断ったことについて、ももしお×ねぎまから激しいブーイングを食らった。
なんでかよく分かんない流れで、4人でファミレスで勉強していたとき、ミナトが切り出した。
「ごめん。花火の日さぁ、マンションに親戚が来ることんなったんだよー」
「マンションに?」
「そーそー」
上手いぞミナト、場所がないからしょうがないね作戦。
「じゃ、どこから見る? 山下公園? 赤レンガ? 人多いけどインターコンチの方がいい?」
「あ、悪い。オレも親戚と一緒に見ることになってさ」
ミナトが再び断った。
「えー、残念。じゃ、3人で行ってくるね」
「そーだね。宗哲君は浴衣着て来る?」
あれ? オレ、行くことんなってるじゃん。
「オレも言わなきゃと思ってて。その日、祖父母んとこ行くから」
「宗哲クン、前、お祖父さんとお祖母さん、一緒に住んでるって言ってなかったっけ?」
よく覚えてるよな。ねぎま。
「母方の方は鎌倉にいるから」
これは本当。行かねーけど。
「えー、なんでぇぇぇ。楽しみにしてたのにー」
「行こうよー。行きたいよー。どーしてー」
「怪しい。嘘ついてない? 2人でドタキャンなんて」
「バスケ部からなんか言われた? 宗哲クン、小さいからなー」
「言われてない。小さいゆーな」
しばらくぐちぐち言われた。
みなとみらいの花火大会の日がやって来た。心配していた天気はばっちり。
波よし。
ミナトとマリーナの最寄り駅で待ち合わせした。時間が早くても電車は混み始めていた。観光地横浜はデートコース。昼間からデートして夜に花火を観るってカップルがいっぱい。
そんなカップルを横目に、ミナトとオレはどんどん人が少なくなる方へ歩く。大通りを渡り、海風を感じながら。ときどきカモメの姿を見かける。
マリーナには、普段よりも縦列駐車してある車が多い。左前方にヨットのマスト群が見えてきた。隠れ家の様に佇む大人の遊び場。
夕方のマリーナは人で賑わっていた。
「別世界じゃん」
ミナト、感動。
「だろ? オレ、この雰囲気好き」
「すぐそこは、観光地なのになー」
「今夜はさ、クルーザー出して、海から花火観る人がいっぱいなんだよ」
「へー」
「オレの祖父の船は、ただの釣り船だけど。こっちこっち」
すれ違う人と挨拶しながら桟橋を渡っていく。こんな日は船のオーナーだけじゃなく、来客が多いから、未成年がいても目立たない。幸い、小さなころと違って、最近はそんなにも訪れていないから、オレの顔を知っている人はほとんどいない。
「すっげー、デカいクルーザーばっか。これはヨット?」
「そーそー。ヨットやってる人、多いんだよ」
「多くねーよ。周りに誰もいねーよ」
「ここでは」
「いるとこにはいるんだなー」
「知らないだけで、オレらの高校にもいるかもな。横浜じゃん」
「うわっ揺れる」
「ははは」
夏は日が長い。夕方と言っても充分明るい。
リュックの中には、小型船舶2級の免許証、ナイフ、ダン爺用の靴とサンダル。靴は27センチを用意した。サンダルは一応。靴が小さかったとき用。嵩張らないから持ってきてみた。
「何時出発?」
「いろんな船が出ていくとき、最後に。たぶん、どの船も海に出る。オレらは、反対側に行く」
「なー、来年は海から花火観ようぜ」
「来年は無理だろ。受験勉強ばっかなんじゃね?」
「忘れてた。忘れたい」
「川入っちゃうとさ、目立つから、しばらくは港の隅で停泊して待つ予定」
「本格的」
「7時半くらいに川を上る。すぐ着くんだよ。ミナト、船酔いは大丈夫?」
「修学旅行では酔わなかった」
「一応、酔い止め。小さい船って揺れるんだよ」
ロープを解いて、エンジンを掛ける。
あー。やっぱエンジン音がなー。でかい。
そして、多くのプレジャーボートが出航するのに混じり、マリーナを出航した。
最初の誤算。
時間まで湾の隅で停泊するつもりだった。が、湾内は船だらけでひっそりと隠れるような場所がない。それは花火観戦用の船じゃなく、レンタルやチャーター用の釣り船。夜なので無人で係留されている。仕方なく、河口を少し入った大きな建物の脇に停泊した。
「宗哲ぅ、オレ、なんかどきどきしてきた」
「オレも」
ぶぶー
「あ、LINE」
「あ、オレもだ」
ももしお×ねぎまからで、2人の浴衣写真だった。
『いいね』のスランプを返信しておいた。
「宗哲、言葉で褒めてほしいんだよー。女って」
「えー。恥ずいじゃん」
ぶぶー
ミナト『激かわ。ナンパされないように気をつけて』
「はー。女とつき合ったことあるヤツって、ちげー」
「宗哲も送っとけよ。ねぎまちゃんだけに」
「は? ねぎまだけ?」
「そーゆー風にちゃんと示しとかないと」
「『友達なのに、勘違い男キモっ』て思われたら嫌じゃん」
「その時は、男らしく告るか、『グループと間違えて個チャしちゃった。てへ』って」
「わざとらしー」
いつの間にか周りはすっかり暗くなって、花火の音が聞こえ始めた。
「おおー。始まった」
「ぜんっぜん見えねー」
「こんなに近いのにな」
「残念」
湾の外の方の海は、赤や黄色に海の色が波に反射してきらきらと変化している。でも空の花火はまったく見えない。見たいなー、花火。見たかったなー浴衣姿。何やってんだろ、オレ。平和がモットーだったのに。
そして更に待った。
「行くか」
「おおっと」
エンジン始動。低速でゆっくりと山中川を上る。
視界に入るのは両側のコンクリートの壁。道路から数メートル下がったところを進む。上を見れば、高速道路の架橋。
途中、山中川から本流の大海川に入った。
本流に入って1本目の橋の上には人が大勢いて、花火を観ていた。ヤバい。指定した橋に花火を観ている人がいたらどうしよう。食道辺りがぎゅーっと圧迫されるような感覚が襲ってくる。
目的地、三角橋には、人は誰もいなかった。ほっとしながら方向転換するために一旦三角橋を通り過ぎた。
「よかったー。たぶん、あの橋からは花火が見えないんだ」
「意外と花火から遠いんだな。よかったよかった」
よくねーじゃん。




