美少女×2
夏休みの補講中、黒板を眺めながら考える。
お年玉貯金はいくらあったっけ。確かかなりの金額のはず。盆と正月には親戚が集まり、実はオレのお年玉は毎年10万くらいになったりする。で、欲しい物はクリスマスや誕生日に手に入る。そうじゃなくても、定期的なお小遣いだけじゃなく、祖父母からもお小遣いが貰える。
小学校1年生のときに口座を作り、初めて自分で貯金をして早10年。残高は100万円に近いだろう。気にしてなかったから、はっきり分かんねーけど。
これをだ、U70のオレがもっていても、どーにもならない。が、祖父に預ければ、どうだ?
オレはさらに2月と8月に臨時収入を得ることになる。前述通り、金に不自由はしていないが、あるに越したことはねーじゃん?
半年後臨時収入が入ってさ、そのときカノジョがいたら、贅沢なデートできるじゃん。旅行♡とか。TDLとか。USJとか。
今のとこカノジョはいない。気づけば既に高2の夏。去年の夏はヤロー友達と海、花火、キャンプなどで友情を深め合った。いや友情を深めるしかなかった。
今年の夏こそ、カノジョと「愛情」を深め合いたい。そして脱!
頭の中でバラ色の学生性活に考えを巡らせている間にも、黒板は文字で埋まっていく。
生物の授業終了後、オレはスマホで黒板を写真に納めた。
カシャ
カシャ
左半分と右半分に分けて。
家でA4サイズで出力してバインダーに見開きで閉じる。
中学じゃスマホ禁止だったけどさ、高校ではOKだから大いに活用。パソコンを机に置いて授業を受ける者あり、動画を撮りながら睡眠する者あり、様々。結果さえ出せばお咎めなし。まぁ、さ、結果が出るのなんて先じゃん? だから何だってOKってこと。自己責任ってやつ。
「宗哲、テニ部行こ」
「うぃぃぃ」
夏休みの補講は全員参加。別にオレの成績が特に芳しくないってわけじゃない。恒例。
進学校あるあるのハードなカリキュラムってとこ。で、夏休みでも普段と変わらず早朝から通学して、朝練やって授業を受けて、その後は部活。ちょっとダルい。
小田と一緒に硬式テニス部の部室へ向かう。隔離されたかのような男子部室棟は、高校の敷地の端にある。そこからは、校舎よりもテニスコートよりも、道路が近い。男子部室棟は、サッカー部、野球部、ハンドボール部、陸上部、硬式テニス部の棲家。汗と靴と制汗剤の臭いが結界を作っている。顧問すら足を踏み入れたがらず、無法地帯と化している。
他では憚られるような話も小声で話す必要がない。
「宗哲はももしお派? ねぎま派?」
我が校では、2人の美少女がヤローの人気を二分する。
清純派天然系美少女、ももしお、百田志桜里。
妖艶派知的系美少女、ねぎま、根岸マイ。
「オレ、ももしおちゃん。守ってあげたい」
「やっぱ、ねぎまだろ。あの胸の谷間に吸い込まれてみてぇ」
「宗哲、お前はどっち?」
「え、オレ? どっちも遠くからしか見たことねーし」
ビジュアルが一人歩きして、本当に百田志桜里が清純派なのか、はたまた根岸マイがお色気キャラなのかは不明。更に、美少女は全ての男子の共有財産であり、心のオアシスである。
要するにさ、オレはどっち派でもねーよ。やっぱ女の子は中身っしょ。それに、そんな目立つ子パス。
騒がれることなんて真っ平ご免。ポリシーは平和な学校生活。
オレはオレだけの女の子とカレカノ希望。そして脱!
「2人ともバトミントン部なんだよなー。テニ部に来ればよかったのに」
「残念」
「色白いもんなー。テニ部来たら日焼けするって」
「そっかぁ。オレとしては水泳部のぴっちぴちの競泳水着着て欲しかったなー」
「オレはさ、陸上部の腹んとこ空いてるやつ着て欲しい。か体操部のレオタード」
部室の中なんてこんな会話ばっか。インターハイの話なんてこれっぽっちもなし。「実は左利きなんだよね」とか「まだまだだね」とは無縁の世界。ごく普通のゆる~い部活。練習が始まっても、ボールよりもテニスコートの隣にあるプールの水泳部女子を見ている。
ま、これが男子高校生ってことで。
テニス部が終われば、大抵ぞろぞろと大人数でどこかに寄る。7~8人くらい。だらだらと横浜駅周辺を歩いたり、バーガーを食べたり。財布に優しい店に寄ることが多い。小田なんてデートで金欠だと注文しないこともある。この場合、財布は無傷。でさ、人のポテトなんかでしのぐ。
持ちつ持たれつ。オレなんかはカノジョがいないから、持ちっぱなし。いつかまとめて返してもらおう。
この日はゴージャスにラーメン屋だった。みんなでカツオ出汁の効いたつけ麺。太麺でがっつり腹に溜まる。今日、小田は裕福らしい。
「小田ぁ、デート代大丈夫なのかよ」
「ばーちゃんがお小遣いくれてさ。古希特需のおすそわけって」
「よかったじゃん」
古希特需制度で一番恩恵を受けるのは、シニアよりも孫かもしれない。
そんなことを考えながら、満腹の腹を抱え相鉄線の駅に歩いて行った。夏のむあっとした空気は、ごちゃごちゃした横浜駅西口五番街の熱気と混ざり合って、横浜もアジアの一都市だってことを思い出させる。
「「「「「じゃあな、宗哲」」」」」
「じゃ」
JRや京急、地下鉄、東横線、みなとみらい線のみんなと分かれた。オレは相鉄線。
横浜駅エリア外れの相鉄線の改札口は、みなとみらいとは真逆の雰囲気。あれもこれも横浜ってわけで。
メインから横に入れば、美しい観光地開発から取り残された昭和の面影を残す閑散とした一角がある。オレもその道は通らない。猥雑でディープ。横目でちら見する程度。
ちらっ
オレがちら見しただけで捕えてしまったのは2人の美少女。2人の美少女は、浮浪者らしき爺さんの前に立ちはだかっている。弱々しい浮浪者風の老人に詰め寄ろうとしていたのは、黒いシャツを着た茶髪の男だった。
ちら見したオレのバカ野郎。巻き込まれるな。足を止めるな。止め、
「大丈夫ですか」
「警察を呼びますよ!」
そんな声が聞こえてしまった。
だからバカなオレは大声で叫んでしまった。
「おまわりさん、こっちです!」
道行く人が一斉にオレの指さす方を見る。
小さなころから「人を指差しちゃいけません」と一応躾けられてっけどさ。
「くそっ」
茶髪の男は、オレがいるのとは反対方向へ逃げて行った。
7メートルほど離れたところで、2対の美しい瞳と1対の怯えた瞳がオレに向く。
いくら美少女×2でも、関わりたくない。オレは平和主義なんだよ。野郎の嫉妬がどんだけメンドクサイか。
オレはその場から立ち去ろうと、止めていた足を再び動かし始めた。
たたたたっと後ろから足音が一人分近づいてくる。まさかな。まさか。
「待って。ありがとう」
聞こえないふりをして逃げようかとも思った。だけど、振り向いてしまった。
そこには、学校の男子の人気を二分する一人、「ももしお」こと百田志桜里が立っていた。
「いえ。じゃ」
オレは答えたものの、視線すら合わさずすたすた相鉄線改札口を目指す。
「待って。宗哲君」
がしっとオレの左手首が細い指に掴まれたのは相鉄線の改札手前。え? なんでオレの名前知ってんの?
「な、なに?」
「こっちこっち」
ももしおはオレの左手首を掴んだまま、まるで青春映画のワンシーンのように走り出す。
「ちょ、ちょっと」
振り払うことだってできるのに、オレはそうしなかった。そんなことできなかった。
今思えば、このときもう、こいつの圧倒的な魅力ってやつにやられてたんだ。
ももしおは、さっき通って来た道を引きかえし、浮浪者風の老人が絡まれていたところへオレを引っ張って行った。人が足を踏み入れないようなディープな一角。
そこではさっきの老人がぺこぺことねぎまに頭をさげているところだった。
「あ、あ、あ、あり、あり、ありが、と、とう」
「助けたのは私じゃないですから」
「で、で、も、い、いいひ、ひと。さ、さ、さっき、よ、よ、よ、う、が、あった、そ、そ、それ、で」
ねぎまは真剣に浮浪者が何を言おうとしているのか理解しようとしているようだった。
それにしても酷い臭いがする。この夏の最中に、この老人は何日も風呂に入っていなさそうだ。肩まで伸びた髪は何本もの塊に分かれ、指先は真っ黒。来ているTシャツの裾は綻びているし、元が何色だったのか分からないくらい薄汚れている。
オレに気づくと、ねぎまの顔がぱっと綻んだ。
「宗哲クン、ありがとう」
うっわー。美少女第2弾、ねぎま。笑顔が眩しい。真夏の太陽と張る。ついでに制服のポロシャツの胸の部分も布が張ってるし。
ももしおはオレの手首を引っ張って、ねぎまに近づこうとしたが、オレは足を踏ん張った。浮浪者風の老人が放つに臭いが、バリアのようにオレを寄せ付けなかった。運動部男子の部室棟が汗臭いとか、剣道部の防具が臭うとか、そういうレベルじゃない。
浮浪者風の老人はぺこぺことお辞儀をしながら、逃げるように去っていった。彼がいなくなっても、そこには異様な臭いがたちこめていた。