第4節:里中勇治郎
「ミスタ、サトナカ?」
無礼を詫びてから執事に頼み、就寝中のアリスを呼んでもらった。
エントランスで待っていた里中を階段の上から見て目を丸くしたアリスだが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「泊まリ、ますカ?」
アリスの言葉に、里中は首を横に振る。
「御母堂の事に関して、解決の目処が付きました」
彼女を見上げる里中の言葉に、アリスは喜びと不安の入り混じった顔をした。
「ホント、ですカ?」
「はい。御母堂に憑いている悪魔に関する推測が立ちました」
「Demon……? ghostでは、ナク……?」
里中の言葉に顔を蒼褪めさせるアリスに、彼は大丈夫だと頷きかけた。
「どちらも、似たようなものです。今から祓います。こんな時間に、無礼である事は承知していますが……」
彼の謝罪に、アリスは首を横に振った。
「こんな時間マデ、私たちのタメに働いテくれてイル。こちらコソ、謝りマス」
「気遣いは無用です、ミス・アリス。軍人として当然の事ですから」
「ミスタ、サトナカ……」
どこか潤んだ目で里中を見るアリスを真っ直ぐに見返すが、後ろから咳払いの音が聞こえた。
「あー、二人の世界に入ってるとこ悪いですが、俺もいます。アリス嬢」
居心地悪そうに口を開いたオースティンに、ハッと我に返った里中はアリスから目を逸らした。
アリスは、オースティンがようやく目に入ったのか首をかしげる。
『オースティン? 貴方まで』
「サトナカと協力する事になりました。俺も入れてくれますか?」
『それは構いませんが……』
こちらを見るアリスに、里中は頷きかけた。
「では、ミス・アリス。御母堂の部屋へご案内願えますか」
「ハイ……」
里中の言葉にアリスは頷き、階段を上るよう手招きした。
部屋へ向かうと、昏睡状態のアリスに良く似た顔立ちの子爵夫人が、ベッドの上で深い寝息を立てている。
「布団を取らせていただいても?」
「はい」
相手は女性だ。
アリスに許可を取った里中は、体に触れないよう掛け布団を剥がした。
足が泥に汚れていて、外出していた事が分かる。
汚れた足跡は、窓からベッドへ続いていた。
そこから抜け出しているのだろう、鍵どころか全開で開け放たれた窓に一度目を向けた里中は、磨り硝子ではなく透明度の高いものである事を見て取り、オースティンに言った。
「あの窓なら、使えるか?」
里中は鏡を使う事も考えたが、自分もオースティンも持っていない上に、状況によっては合わせ鏡になる事を考えて、窓を使おうとしていた。
合わせ鏡は、悪霊の力を増す事があるからだ。
窓に近づいて観察したオースティンが、自分の顔を窓に映す。
「大丈夫だ。閉めるぞ」
「ああ」
オースティンが窓を閉めると、どこか重い音を立てて窓が閉じ、空気が心なしか冷たさを帯びる。
冷気の発生源は、子爵夫人だった。
既に、悪魔としての実体化が起こりかけている。
悪魔が完全に受肉すると、子爵夫人は魂ごと取り込まれてしまうだろう。
「お父上は?」
「最近、忙しイ。帰って、いナイでス」
アリスを一人で外に待機させておくのも、だからと言って除霊の場に置いておくのも憚られる。
考えた里中は、結局、執事に別室で一緒に居るように頼んだ。
続いてオースティンに、二人を包む聖水と祝福による結界を立てさせる。
「何が起こっても、私とオースティンが揃ってここに来ない限り結界から出ないようにして下さい。どちらかが死体でもダメです。悪魔が化けている可能性があります」
強く言い含めると、アリスは普段と違う里中の様子を察したのか、決然とした目で彼を見据えて頷いた。
「我々が無事であれば、こう口にします。『救済を』。悪魔は神の救いを望まぬモノです。その言葉を決して口には出来ない。我々がその言葉を口にしない限り、何を言われても夜明けまではそこにいるように」
「分かりマシタ。ご無事を、お祈りしマス」
そんなアリスに対して、里中は少し黙ってから、こう口にした。
「……勇治郎に、ご武運を、と」
「ハイ?」
里中が溢した言葉に、アリスは不思議そうに首を傾げた。
彼は、自分が緊張している事を悟られない為に、微かに笑みを見せる。
「私の国では、戦場に赴く軍人にそう言うのです。『貴方に勝利を』。そう、無事を祈ると共に勇猛であれるよう、願うのです」
アリス、貴女の為に勝てるように、と。
里中はそう思ったが口には出さない。
自分は、日本の軍人なのだ、と戒める。
この事が済めば国へ帰り、国の命令あれば戦場へと赴く。
そして里中は、人を殺すのだ。
家族であれば、そんな自分でも迎え入れてくれると信じる事が出来るが……今後、国同士の関係次第では、里中は彼女の同胞を殺す事になる。
他国の兵である以上、異国の美しい人に対して、自分に都合の良い幻想を抱いてはならない。
だが、今だけは。
エドワース家を襲う霊障を払えと命じられ、彼女の母親を救う戦場へと赴く、今だけは。
アリスの為の兵で在りたいと、里中はそう願った。
「ユージに、ご武運ヲ」
無垢な瞳で、アリスは口にしてくれた。
「ドウカ、母を、救って下さイ」
真意も伝えぬままに……これは軍人として許される事ではないかも知れない。
だが里中は、アリスに対して母国の敬礼を返し、異国の言葉で伝える。
「Yes,mum」