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降魔の系譜  作者: 凡仙狼のpeco
倫敦大使館付降魔武官・里中勇治郎編〜切り裂きジャックと子爵令嬢〜
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第3節:ジャック・ザ・リッパー

 異界の存在は、本来概念的な存在である。


 顕現様式は招来法によって異なるが、怪異とは、名を与えられる事によって生まれるものと言っても過言ではない。


 故に、古来より名付けは神聖なものだった。

 概念存在は、意識の集合体であるとも言える。


 それそのものに定形はなく、スライムのように分離・合一するものだと、里中の生まれた日本において成熟した理論体系では結論付けられていた。


 概念存在の一部を借り受ける術を『式』と呼び、それよりも高位の、規定された概念に沿って強大な存在をそのまま顕現する術を『降霊』と呼ぶ。

 また名付けを終えた別個の概念存在を同一化する事を『習合』と言い、定着するか否かはどれだけ世間的に認知されているかに依る、と言われる。


 世界に存在する『神』は仏門、あるいは悪魔に降った存在が多い為、降魔課においてはこれを基礎として概念存在を認知する向きがあった。


 オースティンの話によれば、里中が来る前の日暮れ直後に、彼は影から現れた悪魔に足を喰われかけたらしい。


「アリスの母に憑いているのは、おそらくベルゼブブ、あるいはアスタロトに連なる悪魔だ」


 オースティンの言葉に、里中はさらに考える。


 イスラム、キリスト系も信仰者の多い宗教であり、故に信仰者の人数としては、今の世界はヤハウェと大日如来、あるいは釈迦如来が最も力のある概念存在と呼べる。

 その敵対者である悪魔や阿修羅も同様に力がある。概念とは、基本的に陰陽の内に対となるものだからだ。


 それ以外にも、古くより信仰の対象で在り続けるモノもまた、力のある存在と言える。

 永く在るモノは、それだけで霊格が増すからだ。


 東洋系を基礎とする降魔課では、本来東洋と違う認識の下にあるキリスト系と、東洋で広く神を受け入れる仏教系の『認識』に対する擦り合わせが盛んに行われていた。


「アスタロト……切り裂き魔に殺されたモノは体の一部を持ち去られている事が多いな」

「ああ。喰っているんだろうよ」

「『食』に執着する霊である、という事だな」

「そうだ」

「連なる、という事は、かの蝿の王や大淫の悪魔が直接、降霊している訳ではないのか?」

「これが、悪魔の王らそのものの仕業なら、もっと派手に被害が出ている筈だ」


 里中は、オースティンの言葉に頷いた。


 キリスト教やその前身となったユダヤ教と、仏教の間には異界に棲まう存在の名称や認識には大きな隔たりがあるが、里中も今回の霊を『食』に執着するモノの仕業と見ていた。


 悪魔の分類において、七つの大罪の一つ『暴食』を司る悪魔の頭領、ベルゼブブは、元を辿ればペリシテ人の神であるバアル・ゼブルであると言われる。

 またベルゼブブの妻とも呼ばれる悪魔、アスタロトは、元はデーヴァ神属であり、仏教に通じるものとしてはアスラ、転じて阿修羅と呼ばれる敵対者の系譜に繋がる存在だ。


 六道輪廻における位置づけとして、阿修羅と食は結びつかないが、輪廻の内にある餓鬼道は飢餓という罰の道を辿る存在である。

 ベルゼブブとアスタロトの関係性を六道輪廻の修羅道と餓鬼道に当てはめる場合、今回の悪魔はそれぞれの道に在るもの同士の『習合』であるとする事が出来る。


 二柱の悪魔は、夫婦であるとも伝えられる存在なのだ。


 今回の霊障が何者かに打たれた『式』の仕業であるならば、概念的にはベルゼブブとアスタロトの『子』に当たる悪魔が、アリスの母である子爵夫人に憑依しているのだろう。


「今回の悪魔に阿修羅の見立てを行うなら、対抗手段はある」

「何だと?」


 里中の言葉の意味が理解出来なかったのか、訝しげな顔をするオースティンに対して、彼は薄く笑った。


 ヤハウェの力は、行使に際して信仰という対価を要求する。

 唯一神という位置付けと神との対話という手段を基礎としている為、エクソシストの力の扱い方は、日本における信仰の様式よりも、単独の概念存在と契約を結ぶ守護霊の考えに近い信仰形態なのだ。


 彼らは天使の力を借り受ける事も出来るが、仏門や神道における神と違い、あくまでも天使はヤハウェの僕。

 大元にある悪魔への対抗手段は、結局のところ神への信仰心なのである。


 故に、今回の霊障を悪魔の仕業によるものと見ている限り、里中はこの霊障を祓えない。

 だが手段を持つオースティンは、一度その悪魔と交戦し、怯えているように見えた。


 ヤハウェの力を行使する上で、それは『揺らぎ』だ。

 信仰を、神の加護を疑っているのと変わりない状態なのである。


 その点に関しては自分でも理解しているからこそ、オースティンは里中の助力を求めているのだろう。


「今回の霊障に関連していると思われる切り裂き魔事件が餓鬼の仕業とするのなら、喰えば喰うほどに力を増し、やがて実体を手にする事も考えられるが……」


 里中は、オースティンに問い掛けた。


「貴様の足は、実際に喰われたのか? 噛まれ、流血したかという意味だ」

「いいや、靴を駄目にされただけだ。襲われた時に十字架を身に付けていて、瘴気を感じた時に、咄嗟に聖印と聖水による防護を纏ったからな」

「賢明な判断だ」


 悪魔は、ヤハウェの庇護下にある者には直接手を出せない。

 オースティンを襲ったのは、単に警告のつもりだったのだろう。


 悪魔が信仰者に手を出す時は、言葉による囁きを行い、自らその身を差し出させる『堕落』を行う必要がある。

 信仰者の中でもエクソシストは特に強い加護の元にあり、これを喰らおうとすれば逆に神の罰によって消滅する恐れすらあるのだ。


 つまりは、仮にオースティンを悪魔の前へと引きずり出しても、瘴気さえ防げば、『堕落』しない限り彼が直接悪魔の手に掛かって殺される心配はない、という事だ。


「貴様に、悪魔を引きずり出す事は可能か?」

「……ああ。襲われたのも、直前に対話の為に一度子爵夫人に対して聖印を切ったからだろうしな。どの程度の力を持つかも分からない内に暴れられては手に負えなかった時にどうしようもなくなるから、悪魔を実体化するのではなく鏡による対話に留めたが」

「どうなった?」

「真名を知らずに対話に引き込める程度の悪魔ではなかった。意味不明に耳障りな嗤いを上げるだけでな。諦めて屋敷を出たが、外で襲われた」

「その時に、何か落ちていなかったか?」

「というと?」


 里中は闇色のカードを取り出してオースティンに示したが、彼は首を横に振った。


「あの時に、そのカードを見た覚えはないな」


 つまり彼が相手取ったのは悪魔本体から『式』として細分化された悪魔ではなく、『真名』を持つ悪魔そのものだ、という事だ。


「付いて来い」


 里中はオースティンに言い、今辞したばかりのエドワース家の屋敷へと足を向けた。


「どうする気だ?」

「本体を喚べるなら話は早い。貴様が喚び、俺が始末する。それで終わりだ」

「……倒せるのか?」


 疑いを滲ませるオースティンに対して、里中は頭だけで振り返ると誇りと決意を持って告げた。


「与えられた命令は遂行する。刺し違えてでも殺すのが、私の役割だ」


 里中の言葉に何を感じたのか、オースティンは軽く怖気を感じたように肩を竦めた。


「……付いて行って、俺は悪魔に殺されないだろうな?」

「見逃された時と同じようにして、祈りを捧げていろ。それで悪魔は手は出せん。違うか?」


 里中の言葉に、それ以上オースティンは逆らわずに付いて来た。


 これが終われば、すぐに日本に帰還させられるだろう……そう考えた里中は、アリスの微笑みを思い出してまた胸が痛んだ。

 事が済めば、もう二度と会う事もないだろう女性。


 里中は微かに頭を振って、その感傷を追い払った。

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