カマイタチ⑧
植村くんは自分で理由も分からないイジメを受けていた、と語った。
改めて本人の口から聞いた事実は、彼にとっては深刻な問題だっただろう。
理由を問いかけても答えてくれない、でもイジメは終わらない―――そんな状況が続いて、植村くんがふさぎ込むようになった頃。
植村くんに、話しかけてきた人がいた、という。
その人物は、何故植村くんが落ち込んでいるのかを問いただし、イジメの事実を知ると彼に二枚の符を渡した、と。
「お守りだから、って言ってた。でも、次の日から僕は、学校を、休んだ……」
植村くんは唇を噛んで、手元の符を暗い目で見下ろした。
だが、今にも捨てたいと思っていそうな顔をしているのに、彼は符を手放せない様子だった。
「怖くて……」
『怖い? 君をイジメていた子が、かい?』
久遠の質問に、植村くんが首を横に振る。
「違う。……僕は、東屋先生が、怖かったんだ……」
それが、植村くんに符を与えた人物の名前。
彼と、そして翔くんの担任教諭であり……最初に、カマイタチに襲われたと資料に記されていた男性の名前だった。
『怖かったなら、何故、符を受け取ったのかな』
「受け取らないと、ダメだと、思った……だって」
東屋という教諭が、彼に符を渡す時。
相手が反対の手にもう一枚、符を握っているのが見えたという。
「すごく、危ない感じがして……」
そうして学校を休み、怯えていた植村くんはだんだん東屋の事は考えなくなったという。
代わりに、イジメの主犯と乗っていた相手に恨みを抱くようになったらしい。
恐らくはその頃から、符が術士の望むように効果を発揮し始めたのだろう。
「さっきまで、ほとんど、東屋先生が怖いっていう気持ちを忘れてた。東屋先生が怖くて学校休んでたはずなのに、カーテンの隙間から門を見てたら、あいつらが帰っていくのが見えて……憎い、って気持ちが湧いてきた」
カッとなって、気づいたら東屋に教えられた言葉を口にし、カマイタチを操れるようになった、と。
久遠は、内心で納得した。
彼には間違いなく式神使いの才覚があり、悪意の増幅によってそれが開花したのだ。
だが、専門的な訓練を受けないままの少年が操る式の力は知れている。
それに、一つ疑問があった。
『その後、東屋先生が一度、君に会いに来なかったかい?』
「来た……けど」
なんで分かるのか、と驚いた顔をする植村くんに久遠は窓を指差した。
カーテンに貼られた、格子柄の二枚符。
『その時に、貼って行ったんだろう? 東屋先生は会いに来て、君になんて言った?』
植村くんには、もう久遠に何かを隠す気はないようだった。
質問に、素直に答えていく。
「カーテンの符を剥がさずに『秘密の力』を使って復讐すれば、バレない、って」
久遠は触れられないながらも、後悔した顔で符を握りしめ続ける彼の手の上に、そっと自分の手を重ねた。
『怯えなくても良い』
ハッと顔を上げた植村くんに、久遠はことさらゆっくりと頷きかけた。
膝をつき、見上げたベッドの上にいる植村くんは、涙をこらえるように目が潤んでいる。
イジメた相手を恨む気持ちは、確かに彼の中にあったものだ。
しかし、彼はまだ、対話しようとしていた。
イジメの主犯だった翔くんの気持ちも、分からないでもない。
お互いに言い分があり、それがすれ違った。
『植村くん。君が、やり方を間違ったのはまぎれもない事実だ。やってはいけなかった事だ。しかし君に悪意を振るう手段を与え、助長した者にも責任がある』
久遠は、犯罪者を庇うつもりはない。
君は悪くない、とは、決して言わない。
悪いものは悪い。それを認めるところから、『次はやらない』と思う気持ちは生まれるものだ。
人を傷つける悪意は、無闇に振るうものではない。
それでも、彼らはまだ幼く、間違った事実を責めるだけで物事は解決しない。
植村くんと翔くんには、二人ともに後悔する気持ちがある。
やり直す事はまだ出来る、と久遠は判断した。
『責任は、今回の件に関わった全員に取らせる。君をイジメていた者にも、東屋にも、そして君自身にも、だ』
久遠は、身を強張らせる植村くんに、彼自身が握る符を示した。
『君に与えられる罰は、忘却と封印。君には二度と、カマイタチを操る事が出来ない呪縛を施す。その上で、この符を俺に渡して欲しい。受け取ったら、君には今回のカマイタチに関する記憶を、全てを忘れてもらう』
久遠は、問いかけたのではなかった。
これは罰則だ。
超常の力をもって人を傷つけた者には、『降魔法』と呼ばれる法による罰が与えられる。
人死にや、もっとひどい損害が出ていた場合は、こんなに穏やかには済まない。
別の方法でそれを為した、という偽の記憶を与えられて、表の法による裁きまでが待っているところだった。
被害者となった、イジメをしていた子ども達には国からの補償などが与えられる事は、ほぼない。
今回の件に関しては、それが罰だろう。
そもそも刑事罰の本意は、公共の福祉を害する存在の矯正・排斥にある。
『降魔法』においてもそれは例外ではないが、超常現象による犯罪行為を働いた者に基本的に示談や執行猶予はない。裁判もない。
超常犯罪への対処は、現在も旧態依然とした強権的な制度だ。
『降魔法』では、超常犯罪……概念存在そのものによる犯罪を『概念存在による実在世界への侵攻』と定義しており、術師が概念存在を使役する行為は、無差別テロへの協力・幇助などと同義に扱われる。
そして日本国のテロに対する被害者への補償は、薄い。
だが犯罪行為を働いた植村くん自身には、定義された罰則がある。
その行使を決定するのは、降魔課長だ。
久遠ら降魔課は、警察組織に属してはいるが、罰則を与えるのに上官以外の者の許可は必要ない。
実質、降魔課員は戦場における兵士に近いのだ。
敵を殺すのに、いちいち他人の許可を求めていては戦場では生き残れない。
『植村くん。俺に従えるか。従わない場合は、それら全てが強制的に執行される』
植村くんは。
少しの間黙って久遠を見つめた後に、そっと、二枚の符を掛け布団の上に置いた。
久遠は立ち上がり、事前に降魔課との橋渡し役である叶巡査長に予め許可を得ていた術式を行使した。
『塞ぎ杖』と呼ばれる、道祖神の起源となった塞の神の力を借りる封印術は、もしこの封印を破ろうとする者が現れれば降魔課で即座に感知できる。
封印を施した久遠は、窓のものと合わせて4枚の符を指定した場所に指定した日時に置いておく事を伝え、植村くんは了承した。
『符の受け渡しをもって、君の記憶を忘却する。担任教諭は君に触れる事は出来ない』
植村くんの周囲は、既に複数の降魔課員によって固められている。
後は肉体に戻った後に黒幕の話を叶に伝えれば、久遠の任務は終わりだった。
「あなたの名前、は?」
『聞く必要はないだろう。君は俺の事も忘れる』
久遠はそれ以上の無駄口を叩かず、『想い夢』の術式を解除して、部屋の中で目を覚ました。