叶の捜査①
『別の場所で被害が出た……?』
電話越しに戸惑ったような声を上げる久遠に、叶は淡々と答えた。
「ええ。昨夜ね。場所は、貴方の家の付近。被害者の一人である深井さんのお母さんが、通り魔に遭ったと交番に駆け込んだそうよ」
自分の声が冷たい、という自覚が、叶にはあった。
だがそれは、久遠の非だ。
「貴方が疑われて、こっちに話が回ってきたの」
『どういう事だ?』
叶は説明した。
深井さんが被害に遭ったのは、夜9時頃。
主人の夕飯に添えるビールが切れていたのをうっかり忘れており、慌てて近所のスーパーへと買いに行った時だったという。
『例の通りじゃないんだな?』
「違うわ。しかも、傷が明らかに深い。腕を斬り付けられて病院で5針を縫った。傷害事件としての聴取の際に、貴方が彼女に会いに来ていた事を話した」
『そういう事か……』
その日に起こった変わった事と、通り魔の被害。
調べてみれば、警官の身分を持つ男が会いに行っていた事が判明し、所轄が所属を調べたのだ。
「捜査一課長の問い合わせを受けた降魔課長が、案件を取り上げたのよ」
降魔課の面々は、警視庁捜査一課所属、という事になっている。
久遠に関しても内部的にはそれで通っているのだ。
『……深井くんの方は、俺に会った事を喋ったのか?』
叶は、久遠から逐一調査内容を報告を受けていた。
疑われた理由がそこにあるのかと、彼女も睨んだからだ。
しかし。
「いいえ。深井くん本人は喋らなかったようね。ただ、その場に数人、友人の少年たちが居たって言ってたわね?」
久遠は電話口で呻いた。
身分を疑われる事自体は想定内の事ではある。
ただ、家族二人が被害を受けたというのは、近所で噂として回る危険がある。
そこから久遠が同日に二人に会っていたという話が漏れれば、調査の支障と別の意味で久遠の立場がまずくなる可能性があるのだ。
「深井翔くんからも、近所で不審者を見かけなかったか、という体で話を聞いて。……降魔課長は『措置』を命じたわ」
降魔課に関わる事でどうしてもまずい事態が発生した場合、警視総監の許可の元、呪術による記憶の消去が行われることがある。
今回の案件は久遠本来の任務に支障が出る為に、措置が行われた。
「少年たちに記憶は、深井くんも含めて消去。……だいぶ迷惑がかかったわよ。もちろん私にもね」
叶が不機嫌な理由は、徹夜のせいもあった。
新たなカマイタチ被害と久遠の事後処理に駆り出され、ほとんど寝ていないのだ。
『……すまん』
「軽率な接触は、今後謹んで。あんまりやり過ぎると、そこに居られなくなるわよ」
ただでさえ、久遠の特別扱いを快く思っていない課員も居て、それよりも厄介な術師連の『旧家』も存在する。
記憶の消去など、術師の中でも熟達した者が行わなければ、掛けられた方に弊害が出る可能性もあるのだ。
『……分かった』
久遠自身も分かってはいるだろう。声音が沈んでいる。
彼の事情を考慮すれば、それでも最大限の注意を払ったに違いない。
「次からは絶対に人払いをしなさい。そのくらいの結界は張れるでしょう」
『敵が分からない現状で、目立つ行為はしたくなかったんだ』
久遠の言い分も分からないではない。
人払いの結界は、それなりに呪力を使う。
術によって人を払う事で逆に術師が近くにいれば勘づかれる可能性もあるのだ。
「……この仕事を、久遠に振るべきじゃなかった」
『現状は、最終的には俺のワガママだ。降魔課長に非はない』
「それでも」
最初は任務として与えられた立場だ。
今、久遠自身がそこにいる事を望んでいるとしても、役割を振ったのは降魔課長なのだ。
『気をつけるよ、本当に』
「分かったわ。……今日はもう出歩かないで。夜、行くんでしょう?」
『ああ。『想い夢』を使う。家からは出ないよ。もし彼が犯人ではなくとも、調べる意味はあるだろう?』
「私も待機しておくわ。万一があれば、合図を」
『ああ』
電話を切り、叶は周囲に目を向けた。
彼女がいるのは、例の通りの近くだった。
もうすぐ小学校が終わる時間帯だ。
彼女は、新たな被害が出た事で、より詳細に被害者の話を聞いてこいと言われたのだ。
叶が話を聞こうと思った相手は、被害者の中で唯一の大人で、しかも最初に被害を受けた人物。
クラス担任の東屋だった。
※※※
「東屋先生ですか?」
学校の受付で身分証を提示した叶は、東屋に面会希望を出すと応対室に通されていた。
ソファに浅くかけて待つと、現れたメガネをかけた気の弱そうな男性が、校長と思われる人物に連れられて現れたのだ。
「あの、はい……」
警察だと聞いているのだろう、少し緊張気味にうなずく東屋と校長に正面のソファにかけてもらうように促した叶は、ルーズリーフノートを取り出した。
「傷害事件について、申し訳ないのですが再度、お話を伺いたいのです」
「はぁ、構いませんが……時間かかりますか?」
問い返す彼を、叶は鋭く観察していた。
「そうですね……まだお仕事が?」
「ええ、多少は。いや、急ぎはしないのですが」
「でしたら、申し訳ありませんが……」
口調こそ丁寧ではあるものの、叶に引く気はなかった。
警察官とは、元来そうしたものだ。
「あの日、どこへ行き、被害に遭い、自宅へ帰ったのか。なるべく詳しく伺ってよろしいでしょうか?」
東屋が校長の顔を見ると、校長は頷いた。
それを受けて、東屋が話し始める。
彼は小学校の教員免許の他に中学社会教師の免許も持っており、大学でも歴史を専攻していたらしい。
遺跡を見るのが趣味であり、その日は学校近くの遺跡に行ってみたそうだ。
「そこで、塚が壊されているのを見かけまして」
「塚?」
東屋は、叶が反応した部分が意外だったのか少しまばたきをしてから、話を続けた。
「ええ。何の為の塚なのかは知りませんでしたが、多分イタズラか何かでしょうね。貴重なものなら困るので、遺跡の管理者に伝えてから、あの通りを通ったんです」
それが夜の7時頃だという。
「学校は?」
「土曜日だったので、早く終わっていました」
そして自宅へ帰り着くと、ズボンが破れて足に切り傷があるのに気付いたと。
一応了承を取って、怪我をした足を見せてもらったが、ふくらはぎにうっすらとかさぶたの痕が残っている程度だった。
多分、傷痕も残らないだろう。
「その遺跡で、何か拾ったりしましたか?」
「いえ……? 特に何も……」
戸惑った様子に演技はないように見えた。
東屋と校長に礼を告げて、叶は聴取を終えた。
彼が出て行く時に微かに呪力の気配を感じた気がしたが、『眼』を凝らしてみてもそれ以上のものは見えず、ドアが閉まる。
校長に見送られて小学校を出た叶は、たった今交わしたやりとりを思い返しながら、彼の言う遺跡のある場所を目指して歩き始めた。
東屋の話は、怪しい。
最初は通りでの被害のみを考えていた為に、前後の詳しい状況までは知らなかった。
しかし、カマイタチ被害に遭ったという彼が、壊された塚を見たという話は引っかかる。
「自然でないカマイタチに、遺跡の塚……」
考えすぎであれば良いが、もし、その塚が壊された事で、封じられていた何かの封印を誰かが解いた可能性は十分にあった。
遺跡についたが、特に観覧料や入場の必要があるものではなく、記念公園のような場所だった。
展示館は閉まっているが、用があるのはそこではない。
叶は、呪力の気配を察していた。
「残り香みたいね……」
叶は、空間に漂う気配を察する能力に長けていた。
結界術を得意とする術師である叶は、感呪性が高いのだ。
塚はすぐに見つかり、壊れているので触れないようにという張り紙がされている。
予想通り、呪力の気配はそこが一番強いが、漂う気配の大元はその場から消えていた。
塚によって封印されていたのか、封印されたものが収められていたのか。
「……東屋を見張る必要があるわね」
叶は薄暗い中で、不気味な気配の残り香が漂う塚を見つめた。
もし塚の封印を解いたのが東屋やほかの術師であるのなら、高位の式を得たという事になる。
事件の小規模さに、楽観するべきではないと思った。。
「……伝えた方が良いわね」
しかし、叶の電話は久遠には繋がらず、留守番電話に接続された。
久遠の嫁が帰ってきたのだろう。
仕方がないので、留守番サービスに要件を吹き込み、電話を切った。
出来れば『想い夢』を使う前に聞いて欲しいと思いながら、叶は東屋を見張る手配を行う為に、今度は降魔課に電話を掛けた。




