39、感染経路と治療方法
『大悪魔リリスさん。どうして僕たちはこんなところにいるのでしょうかね?』
『私にはさっぱり分かりませんよ廃道探索家のアキトさん』
『僕はね、この臭いが原因じゃないかと思うのですよ』
『確かに臭いますよね。でも私だけが悪いわけではありませんよ』
『いや、僕は確かこうなることを見越して、自重するように言いましたよね?』
『そうでしたっけ?私、酔っていたので覚えておりませんの。テヘヘヘ』
今、俺たちは雪原の中にポツリと置かれている。周囲には誰も居ない。
この世界に来たときを思い出す。違いは草原が雪原に変わっていることだろうか。
氷の上に置かれているので、足元は氷のように冷たく、上半身は太陽と雪の反射光のせいで熱い。
頭寒足熱の真逆、頭熱足寒状態なのだ。
『おいリリス!寒いのは我慢するが、この臭いは我慢できないぞ!』
『あんたも食べたんだから同罪じゃない!』
『俺は食べるのを控えろって言ったじゃねーか!お前の頭の中は湧いてんのか?』
『失礼なこと言わないでよ!』
みんなこの臭さが原因で俺たちを置き去りにしたのだ。
前回警告されていたので仕方のないことだが、俺にとってはとばっちりだ。
とくにプレイサが怒っていて「反省しろリリス」と言い石を雪原に投げたのだ。
幸い雪の表面が凍っていたため、中に埋まることは無かったが、新雪であれば春になるまで雪の中で過ごすことになっていただろう。
フェニックスも呼んだのだが臭いが原因で乗車拒否された。
あとは通りすがりの人にヒッチハイクをお願いしようと思い頑張っているところだ。
人が通るたびに光を反射させて、俺たちの存在をアピールしているのだが、行商人は時間が勝負のところもあり見事に無視されている。
式神を作るという手もあるのだが、フェニックスのような俺たちを持ち運び出来て、ある程度の知性を持つものを作るには多くの魔力を消費する。
ここでそれをやってしまっては、いざという時に魔法が使えなくなってしまう恐れがある。
『リリスー。もうお昼だぞ』
『臭いが抜けるまで待って、フェニックスちゃんにお願いするしかなさそうね。でも本当に置いて行くとは思わなかったわよ』
『お前に反省を促す意味合いでこうなってるんだ。自戒しろ』
『なんか納得いかないわね…』
お昼を過ぎ日が西に傾き始めた頃、ボロを纏った少女がトボトボと街道を修道院に向かって歩いてきた。
表情はとても暗く、霜焼けで傷んだ手には植物が握られていた。
子供なら光るものに興味があるはず!
『リリス、角度をもう少し上げろ。その調子だ』
午後になり雲が湧いてきたため太陽の光をうまく反射させるのが難しくなっている。
何度も調節して、やっと少女に届きそうな角度になったので、光を放った。
『いいぞリリス』
これでダメなら光が届く範囲から少女が去ってしまう。
少女の横顔に光があたりこちらを見てくれた。石の存在に気づいてくれたようだ。
50センチの壁をよじ登り、凍った雪の上を這うようにして近づいてきた。
下手に立つと雪の表面の凍った部分が割れて、足元が埋まる可能性がある。這うようにすれば重さが分散するので氷は割れにくい。
これを知っているということは、この辺りに住んでいる子なのかもしれない。
俺たちのところに近づいた少女は手を伸ばし石を手に取った。
「まあ、きれいな石」
『そうでしょうとも、これは賢者の石の破片と司教2名、その他諸々吸収しているので深紅なの』
念話で話しかけるが通じるはずもない。
『この子も栄養が足りてないわね、痩せてるし健康状態も良くないわね』
『そうだよな』
初めて遭遇した時のアリアと同じくらいやせ細っている。
氷が割れなかったのは少女の体重が軽かったことも影響しているのかもしれない。
「これならお母さんも喜んでくれるかな。持って帰ろう」
少女はポケットに石をしまうと街道へもどり、修道院の方へ向かって進み始めた。
『アキト、これマギアから遠ざかってるわよ…』
『そうなんだよな。お嬢さん!マギアに行こうよ!』
叫んでも聞こえるはずがない。
この少女がどこへ向かっているか調べるためにスキルを使って探索することにした。
見えてきたのは簡素なベッドに横たわる女性だ。
かなり衰弱しており手足の一部が壊死しかけているようだ。皮膚には出血斑や膿疱があり、黒っぽいあざもところどころに見受けられる。
女性の壊死していない手を握っているのは、この少女であった。
おそらく母親なのだろう。
周囲を見渡すと同様の症状で苦しんでいる人達が数名いるようだ。
『これは黒死病ってやつかな』
『何それ?』
リリスは知らないようなので、俺の世界で昔流行った病について知っている範囲で話した。
確かネズミが細菌の媒介役となって流行したはずで、当時の人口を大幅に減らした質の悪い病だ。
最近の研究では黒死病はペストではなくエボラ出血熱ではないかという話もある。
俺も不思議に思うのは、エスターシアに入ってからネズミを見ていないからだ。
春になれば現れる可能性はあるが…。
『危険な病気がここで流行りかけているってことね』
『そうかもしれない』
修道院についたら詳しく調べてみようと思う。
少女は時おりポケットから石を取り出してまじまじと見ていた。
「きれいな赤い石。わたしの宝もの」
アリアの場合は石の中にいる俺たちの存在に気づいていた。
この少女の場合は、そんな素振りをしないのでごくごく一般的な子なのだろう。
修道院に戻った少女は母親の元へ行き手に持っていた植物を食べさせようとしていた。
「それを食べさせてはいけないわアイリス」
「せっかく探してきたのに…。お母さん赤色の石を拾ったの」
アイリスは石を取り出すと母親の手におき握らせた。
「はやく元気になってね」
しかし母親は寝ているのか、意識が既にないのか分からないが返事をしなかった。
『リリス、近くに膿疱があるから調べてみるわ』
『何が原因か判明すれば魔法でなんとかできるかもしれないわね。でもこの母親の容態は危ないわ。急ぎましょう』
俺はネットで見たことあるウイルスや細菌の類を思い出しながらスキルを使用した。見えてきたのは線形動物のような形をした細菌だ。
専門家ではないのでよく分からないが、これが原因ではないだろうか。
膿疱のあたりを中心に多数の細菌が見える。
『何コレ、めちゃくちゃ気持ち悪いわね。これを魔法で退治すればいいのかしら』
『そうだな。試しにこの膿疱にいる奴らを焼いてみよう』
細菌退治は焼くのが効果的だろう。
気をつけないといけないのは、膿を沸騰させると破裂する恐れがあるので、そこだけは慎重にする必要がある。
膿疱の数が多いため、効果があっても全てに対して施すのは困難。
何か手立てを考える必要がある。
『これでどうかしら?』
リリスが慎重に焼いたようで、細菌は死滅していた。
膿疱の膨らみもやや小さくなっていた。同じ要領で、手の付近にあった菌を全て退治。
手だけ治療したとしても、他の場所からまた細菌がやってくるので意味がない。
『リリスの式神を小さくして、母親の体内に入れて細菌を退治するのはどうだろう?』
抗生物質のような感じで出来ないかと、ふと思ったのだ。
『そうね、やってみる価値はあるわ』
リリスはとても小さな式神を多数つくり、退治する対象となる細菌を覚えさせて炎系と治癒魔法も与えた。
これで細菌を退治した後、ダメージを受けた部分を魔法で癒すのだ。
ただ、式神に与えられた魔力は多くないため限度はある。
リリスが多くの魔力を使う時は眩しくない程度の明かりを発してしまう。母親の手の隙間から光が漏れていた。
いち早く気づいたのは少女で、偶然近くにいたアルベルトもそれに気づいていた。
『できたわ。いってらっしゃい式神ちゃん達!』
リリスが合図すると無数の式神が母親の体内に潜り込んでいった。
菌は体内のいたるところにいるため、相当な時間を要するかと思ったが30分程度で終了した。
体中にあった膿疱は小さくなっており、壊死と思われる黒ずんだ部分は内側から完全に焼いて処置した。
あとは本人次第といったところだろう。
生きたいという気持ちがあれば目覚めるはずだ。
母親の変化に気づいたアルベルトが水を持ってきて、布に水を含ませ口の周りを湿らす。ややあって彼女は目を覚ました。
「お母さん」と叫んでアイリスが母親に抱きつこうとしたが、まだ膿疱が残っているためアルベルトが制した。
「アイリス、お母さんはきっと良くなるよ。神が遣わせたこの石が助けてくれたんだ」
「本当なの?」
アルベルトはアイリスの頭をやさしく撫でていた。
『これで大丈夫だよな』
『そうね、式神ちゃん達もがんばってくれたしね』
『あとは細菌に感染した経緯を調べないといけないな』
『調べる魔力まだ残ってる?』
探索スキルは魔力の消費量が多いので、レベルの低い俺にとっては気軽に使えるものではない。
『あと2回はいける』
節約すれば3回くらいは行けるかもしれないが、不測の事態に備えて少しは残しておかなければならない。
残りの魔力を調べ終えた俺は母の最近の記憶を探索することにした。
見えてきたのは小さな集落。近くに寝かされている人達も同じ集落のようだ。
住民の1人がマギアから食料運んできたようで、各家に配っている。
おそらくだが、冬場は食料が不足するので共同でお金を出し合って一括購入で値引きしてもらってるのかもしれない。
この頃は、病気を発症している様子はなく痩せてはいるが、みんな元気そうだ。
それから数日、集落で数人が罹患している。これには母親も含まれている。
アイリスを含む子供にも症状は出ているが軽微なようだ。だが大人たちは症状が悪化していた。
この細菌、子供はすぐに回復するが大人になると重症化する特徴があることが分かった。
アイリスや他の子供達に免疫ができているとすればワクチンを作れるかもしれない。だが、その知識を俺は持ち合わせていない。
パラケルススならなんとかしてくれるかも可能性もあるので、あとでリリスから式神網を使って知らせてもらおう。
感染源が俺たちが目指しているマギアにあるのと、特徴も分かったので収穫は大きいと思う。
『他の感染者も治療しないといけないな』
『この場所からでは無理ね…』
意識を取り戻した母親が手を開くと石が見えた。
アルベルトがそれを手に取り、俺たちの入った石をまじまじと眺める。
「おや、この石は確かワインを飲んでいた奇跡の石では?」
アルベルトは何故あの石がここにあるのか首をかしげていたが、やがて 得心がいったようで俺たちを他の患者の前に持って行った。
「これは神が遣わせたに違いない。他の者達も治療してくださるだろう」
彼は患者の手のに俺たちを乗せた。
『都合よく解釈してくれたみたいね』
『本当だよな。念話も通じないから、何か伝える手段がないか考えてたところだったので助かったよ』
幸いなことに、残りの患者は症状が比較的軽かったので、1人あたり10分程度で治療することができた。
全てを終えた頃には黄昏時を迎えていた。
アルベルトはお礼のつもりだろうか、俺たちを昨夜と同じ皿に乗せワインを注いでくれた。
『いいかリリス、飲み過ぎるなよ。肉を食べ過ぎるなよ。フェニックスが運んでくれないぞ』
『分かってるわよ。私は馬鹿じゃないから大丈夫よ』
バカだから心配しているのだが…。
さすがのリリスも今日は量を控えめにしていた。
食べ終えた頃、フェニックスがくちばしで窓をつつく。
それを見たアルベルトは窓をあけフェニックスを中に入れると跪いて祈りだした。
ファニックスを神の使いだと勘違いしているのだろう。
フェニックスは石をくちばしで加えるとマギアへ向け飛び立った。
修道院を振り返るとアルベルトが俺たちに向かって祈っているのが見えた。
『これでやっとアリア達と合流できるな』
『そうね。フェニックスちゃんに見捨てられないか不安だったけど、助かったわ』
リリスとの主従関係は完全に逆転してしまっている。
今後も何かを頼むときは丁寧にお願いしないと動いてくれないだろう。
フェニックスのがんばりもあり、修道院を飛び立ってから1時間半でマギアに到着しアリアとも合流できた。
「おかえりなさい。まだ少しお酒臭いですけど、また飲んだのですか?」
『アルベルトからお礼ということで少しだけ頂いたんだ』
「お礼?」
俺はアリア達に今日の出来事を全て話した。
「そんなことがございましたのね。大変でしたわね」
『そうなんだよ。本当に苦労したんだ』
少し大げさに言っておいた。
アリア達はソッサマンの屋敷内にいるようで、前に息子のアルトが腕を縛られた状態で膝をついたまま待たされていた。
『これから親に引き渡すのか?』
「そうですの。どうやら来たようですわよ」
奥の扉が開かれると、咳き込みながら当主と思われる男性が出てきた。
アリア達の前に来ると軽く会釈をし口を開いた。
「ライドランド様、このような辺鄙なところまでご足労頂きまして申し訳ございません」
「ソッサマン殿、あなたのご子息が罪を冒しましたので護送致しました。罪状は既にお渡しした書類に記載しておりますわ」
「誠に申し訳ございません。直ちに処断致します」
といって、ソッサマンは右手に剣を握るとアルトの首を跳ね飛ばした。
『え?』
目の前で何が起こったのか、その場にいた多くの者が理解するまで少し時間を必要とした。




