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36、淫魔リリスとリリス・フレール

「私の知らないことだらけで、全てを把握するのに少し時間がかかるわね」

「リリスの言う通りだよ。本当に参った」


 椅子に座っていたリリスは立ち上がると俺の前にやってきた。

 頬を紅潮させ…。


「でも、今日のところは久しぶりの体で楽しみましょうよ。ね、ア・キ・ト」

「え?待て待て!」


 リリスはおもむろに俺を誘惑しはじめた。

 まだみんな止まっているが、ここでは流石に不味いだろう。

 動き出したらどうするつもりなんだ。


「どうせあんた女性経験ないのでしょ?」

「なぜそれを…」

「アキトの記憶とか見れちゃうから知ってるわよー」


 リリスは椅子に座っている俺の上に乗ってきて、絡みついてきた。

 ヤバイ。今まで忘れていたムラムラとしたものが一気に出てきた。

 サタニキアのやつ、いらんことしやがって。


 淫魔リリスめ、俺を魅了して犯す気だ…。ヤベー理性が吹き飛びそうだ。もういいか…、どうなっても…。


「あまりかっこよくないけど大好きよ」


 さらっとけなすな。

 さらばDT、異世界で悪魔相手に卒業だ~。


 と、その時。


「ぎゃ!」


 突然、アリアの驚いた声が店内に響き渡る。

 俺は視線をリリスの胸から周囲に向けると、みんな俺たちを見ていた。

 だが、リリスは気にすることなく絡み続け、腰を振り俺の首筋を舐めている。


「お客さん、そういうことは部屋でやってくれませんかね…」

「違うんだ。こ、これはその…」


 怒気を含んだ店主の声が聞こえ、隣にいるプレイサも軽蔑の視線を送ってきた。


 DTの神様は俺を卒業させてくれなかったようだ。この場に限っては助かったというべきかな。


 しかしこれはまずい。

 サタニキア奴、こうなることを分かってやりやがったな!


 はめられた…。


 リリスは構わず俺に絡んでいるが、そろそろやめて欲しい。

 俺の方は完全に萎えてしまってる…。


「あの、ひょっとしてリリスさんとアキトさん?」


 冷静になったアリアが俺たちに聞いてきた。


「そうだよアリア。ちょっとわけあって一時的に体を得たんだ。違うところで話そうか」

「はい」

「プレイサ、悪いけどリリスを引き離してくれないかな?」 

「お安いご用」


 店主の横にいたプレイサは顔を引きつらせながらリリスの背後にまわり、左手で首根っこを掴み持ち上げ、上体を俺から引き離した。


 リリスが「ひゃっ」と可愛い声を出した直後、プレイサはそのまま背後から右ストレートを淫魔のみぞおちに打った。


「ぐはっ」っと言ったリリスは白目を剥き痙攣していた。


「公衆の面前でハレンチは行為はやめてください」


 プレイサが強い口調でリリスに言ったが、本人の意識は朦朧としているようで、口をパクパクさせている。リリスの耳に届いているかどうかは微妙なところだ。


「プレイサありがとう。そのちょっとやりすぎなんじゃないか?」

「どういたしまして。リリスさんはこの程度でぶっ倒れる人じゃありませんよ。今まで散々好き放題だったから、締めてやろうと思ってたけど、頑丈な石に守られているから諦めてた。私はこの時を待っていたんだ」


「おいおい、物騒なこというなよ…」

 

 彼女は剣術を極めるために体を鍛えており、その強さはフェンリルのテイラさえも凌駕する。

 そんなプレイサの渾身の一撃、あばら骨の数本は逝っていると思われる。


「大丈夫かリリス」


 ゲホゲホと咳き込むリリス。


「プレイサ、やり過ぎよ…ゲホゲホ」

「今後は少しは大人しくしてください」


「わかったわ…ゲホゲホ。それよりアキト、フレデリカ達が戻ってきたわよ…ゲホゲホ」


 俺はリリスの背中をさすりながら宿の扉に視線を向けた。数瞬後、黒焦げになったフレデリカとテイラが中に入ってきた。


 髪は縮れ、衣服もボロボロ、肌もところどころ焼けていて見るに堪えない状態だった。


 テイラの方はそれほどでもない


「お前ら大丈夫…じゃなさそうだな」 

「ご覧の通りですわ。まさか龍脈が反撃してくるなんて予想外」

「わたしも元の姿に戻って防御しなければ危なかった」


  ◇ ◇ ◇


 俺たちはフレデリカの体を癒し、着替えさせてからルイスが居た酒場へ移動した。


 ルイスの横にはアリアと似た年齢の少女が座っていて、母親も交えて楽しく話をしていた。

 おそらく娘が戻ってきたので、そのまま食事でもしているのだろう。


 声をかけようと思ったが家族団らんを壊すのは無粋と思ったのでやめておいた。

 

 この様子だと他の人達も家族の元に帰ったに違いない。

 サタニキアが口約束を守ったのだ。



 円卓に座った俺たちは、夕食をとりながらサタニキアが語った世界の現状と魔王の件を話すことにした。


 特に反対意見がでることもなく、みんな食事をしながら黙って話を聞いている。


 海の向こう側、外の勢力の動きを話したときは驚いたしぐさを見せたが、それ以外は頷くか相打ちをうつ程度。


 俺の話より食事のほうに集中してないか?と聞きたくなるようなこともあった。

 話し終えてから最初に口火を切ったのはフレデリカだ。


「なるほど、お話はわかりましたわ」 


 続いてアリアが口を開く。


「私達はアキトさんについて行くだけです。時には意見することもありますけどね」

「そうですわね。魔王になる件についてはじっくりと考えればよろしいかと。この世界が良くなるのであれば反対はしませんわ」

「私も同じだ」「わたしもだ」

 

 アリアとフレデリカに続いてプレイサとテイラも賛同してくれた。

 

「私は素直には受け入れられないわ。だって相手は悪魔よ?油断したら何されるか分からないわよ?」


 同じ悪魔であるリリスの発言は重みがある。

 彼女はサタニキアとの付き合いも長いようなので、相手のことをよく知っているのだろう。

 さっきは時間の都合で聞けなかったサタニキアについて尋ねてみることにした。


「サタニキアとはいつ頃からの知り合いなんだ?」

「私が悪魔になる5年前からよ。これ食事の時にする話じゃないけど…」


 俺も含めた全員がリリスをじ~と見る。

 みんな他人の不幸話は楽しい!ってわけではないが、大切な仲間のことだから知っておきたいのだろう。

 より深く理解するために。


「しかたないわね、話すわよ」


 リリスはワインを軽く口に含んでから語り始めた。

 いつもの調子なら豪快に飲むのだろうけど、プレイサの忠告もあるので控えているのかもしれない。


「これは、私が人間だった頃のお話よ。生まれたのはみんな知ってると思うけど500年ほど前よ」


「それは初めて聞く」


 確かにテイラは初めて聞くかもしれないな。

 よく考えたら彼女には俺たちの過去について話していなかった。

 機会があれば話しておいたほうがいいかもしれない。


「わたくしも515歳ですので、似たような時代に生きていたのですわね」

「よく考えたらそうよね、まだ古代の魔法使いが生きていた時代」

「そうですわ」


 500年……、それはこの2人にしか分からないものだ。

 俺や現役の人間であるアリアやプレイサが簡単に理解できるもんじゃない。



 当時のリリスは、わりと大きな商家の娘で幼いころから何不自由なく育った典型的なお嬢様だったらしい。 


 国の中では数少ない貿易商であり、輸入品の多くはリリスの商会を通して国中の各商会や商店に卸されていた。


 そのため、商会の規模も大きな部類に入る。

 彼女に転機が訪れるのは19歳の頃だ。商会の帳簿を預かっていたライズに乗っ取られた。

 ライズは5年かけて罠を張り巡らせていたのだ。


 それは突然の出来事で、父が気づいた時には手遅れであった。

 地元の準貴族との結婚も決まっていたリリスであったが、それも破談。

 彼女の人生が狂ってしまった瞬間である。


 単に商会を奪われただけなら、命さえ残れば、商才のある父なら新天地でやり直せていただろう。


 だが、報復を恐れたライズはリリスの家族を徹底的に潰そうとした。

 父は禁輸品目になっている薬物の取引を行ったとして捕まってしまったのだ。


 これも全てライズの罠。


 リリスの国では、薬物の取引は極刑とされていて両親は処刑されてしまう。

 彼女には10歳になる妹アイリスがいたのだが、2人とも奴隷となり売られることになった。


 この世界で奴隷落ちした者は死んだも同然。そんな姉妹を買ったのがライズだ。


 ライスは幼女趣味を持つ者だったらしく、アイリスは夜な夜な暴行を受けるようになる。

 

 リリス自身も客の夜の相手をさせられていたが、最低限の衣食住は保証されていたので耐え凌いでいた。


 しかし、アイリスへの暴行は日増しに悪化。背中には鞭を打った跡が残り、腹部も腫れあがっている。


 それに加えて夜の世話もさせられ、妹はみるみるうちにやせ細っていった。

 リリスは毎晩アイリスを抱きしめ神に祈りを捧げた。

 しかし、それが神に届くはずはない。拘留されているソッサマンだって神に祈ったが無駄であった。


 この世界では多くの者が祈りを捧げては絶望を味わっている。

 それでも祈り続ける者は多く居るが、中には悪魔に助けを求める者もいる。

 リリスもそのひとり。


 そんな彼女の願いを聞いてくれたのはサタニキアであった。


 リリスは妹の安全と身分の回復、ライズへの復讐を悪魔に依頼した。

 内容が多岐にわたっていたため、サタニキアとは5年契約を結ぶことになった。彼女の仕事はとても早く、しかも無理やりにライズを始末するのではなくリリスの両親が無実であったことの証拠を集めた。


 そして人の手によってライズを裁くことになったのだ。


 リリスは、サタニキアが悪魔の力を使ってライズを始末して、書類を改ざんして身分を回復させて妹の安全を確保すると思っていたので、裁判にもっていくとは予想していなかった。


 通常の裁判はお金や時間が必要となるが、そこは悪魔の力を利用して根回しをいろいろと行ったらしい。


 悪魔と契約して2か月後、ライズは処刑され、姉妹は身分を回復し商会を取り戻すことができた。


 さらにサタニキアは番頭も探してきて、リリスが去ったあと、妹を支援する体制も整えてくれた。


 悪魔が連れてきた番頭の活躍もあり、商会はゆっくりと勢力を盛り返した。


 3年後には両親が健在だったころの規模になり、4年後にはそれを上回る大きさとなった。

 店には各国からの品が運び込まれてはすぐに売れていく。


 そして5年後。


 最後に見たアイリスの寝顔は今でもはっきり覚えている。

神に祈り絶望した夜とは比べ物にならないくらい穏やかな寝顔。リリスに残された最後の家族。


 この寝顔が見れたのは悪魔のおかげ、神と違い代償を要求されるが、それでも願が叶ったのだからよしとしなければ。


 サタニキアとの契約に従いリリスの魂は回収された。

 こうしてリリス・フレールは24年の生涯を閉じた。


 それからサタニキアは、アイリスが悲しまないように姉に関する記憶消去。もちろん周囲の人達にもだ。


 この完璧なサタニキアの仕事ぶりにリリスは感動を覚えていた。


 本来であればリリスの物語はここで終わる。

 だが、彼女の場合は第二幕が用意されていた。 


 契約に従いリリスの魂を喰らうサタニキア。しかし彼女はリリスに可能性を見出し、魂の核、悪魔にとって一番甘味な部分を残し、空っぽの体に戻したのだ。

 

 そして足りない魂を淫魔のもので補い悪魔とした。結果、誕生したのが悪魔リリスだ。


「わたくしの過去も散々でしたが、リリスさんも辛い思いをされたのですね」

「だから私は辛気臭いことが苦手なのよ。この世界で悪魔に頼って来る人なんて悲しいものばかりだもん」


 確かに幸せの絶頂にある者が悪魔に祈るなんてことはしないだろう。

 悪魔は常に恨みを持つ者や絶望している者と接しているのだ。


 リリスが明るくふるまうのは自己防衛のためかもしれない。自身の心が病まないための。

 俺だったら心を病んでいるかもしれない。


 しかし、俺の周囲にいる人や怪異は不幸な経験をした者ばかり。

 幸せなやつなんて、この世界にいるのかと疑問を持ってしまう。


「リリス、幸せに生きているやつもいるんだよな?」

「それは大勢いるわよ、デシューツは除くけどね」


 隣で食事をしているルイスは、幸せな部類に入るかもしれない。

 そういえば、アイリスはその後どうなったのだろうか。


「妹はその後どうなったんだ?」

「アイリスは幸せな生涯を送れたわよ。私もこっそり手助けしたしね。今でも子孫が商会をやっているわよ」


「どこで?」

「アケメネスよ」


 これも初めて聞いた情報だ。

 そのうちリリスの故郷であるアケメネスも訪れてみたくなった。

 そこは魔王ルシファーを討伐した勇者が眠っている地でもある。俺たちの味方をしてくれる者がいる可能性だってある。


「話を聞く限りでは、サタニキアさんは信用できそうな悪魔ですけど、なぜ信用してはいけないのです?」

「俺もそこが疑問だ。悪魔とは思えないくらい多くの世話をしてるじゃないか」


 サタニキアがそこまで世話をしているとは思わなかった。



 妹のことを思い出したのか、珍しく悲し気な表情のリリスが口を開いた。


「サタニキアが私を悪魔にしたからよ」

「お前に可能性を見出したんじゃ…いや、妹を見守るためか?」

「さすがアキトね。そう、アイリスの成長を見守れるよう悪魔にしたの。私はそんなこと頼んでない、消えるつもりだったのに勝手にしたのよ。あいつはウソつきでお節介すぎなのよ。だから嫌い」


 なるほど。リリスはサタニキアの影響を受けていたのだな。

 あれはもう母と言っても過言じゃないかもしれない。

 

「サタニキアさんって、リリスさんのお母さんみたいですね」

「え、あいつが?」

「だって、記憶消去の件も含めて全てリリスさんのためですよね?お節介かもしれませんけど、やってることはお母さんみたいですよ」


 アリアは自分の母を思い出して、サタニキアに重ね合わしたのかもしれない。

 この世界に来て、悪魔=悪者説は俺の中では成立しなくなっている。

 当然、悪い奴もいる。フレデリカの中に生まれた奴なんて典型的な悪魔だ。


「俺も信じていいと思うぞ」

「そっか…」


 リリスはグラスに残っていたワインを飲み干した。

 

 それからは酒場の閉店まで思い出話で盛り上がっていた。

 ただ、リリスは心の整理でもしているのか、いつものとは違い静かにワインを飲んでいた。


翌朝、俺たちは石に戻っていた。

久しぶりの体だったのに、男漁りができなかった言ってリリスは嘆いていた。

この様子なら大丈夫だな。

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