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イレンディア・オデッセイ  作者: サイキ ハヤト
第四章 ひとつになる世界
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頬の感触

 細かな雪が舞い散る雪原を、少し強い風が東から西へと抜けていく。この風はやがて、レムランドへと流れ込む風だ。地面に降り積もった雪の粒が、風に乗せられて運ばれていく。その姿は、うごめく巨大なひとつの生き物のように、刻一刻と変化していく。


 ロウメリスを出た一行は、街道に戻って北上し始めた。ナザクスが言うには、半日歩かなければ怪物の生息地には踏み込まないらしい。怪物の事を気にしないで進めるのは、慣れない土地を進むヒートヘイズたちにとってはありがたかった。

 怪物に遭遇しなくても街道を行くのは、単に迷わないためだ。高い山が少ないロウメリスの周辺には、街道ぐらいしか目印になるものがない。もうしばらく進めばマロフ山脈が見えてくるが、それは街道を挟む名も無い岩山を超えてからである。

 もしこの辺りで遭難してしまうと、あるのは一両日中の速やかなる死だ。食べ物もなく、夜になれば凄まじいまでの寒さが襲ってくる。壁も炎も無しに、極寒の中を朝まで持ちこたえるのは難しい。


 少し強くなってきた雪の中を、口数が少ない二つの冒険者グループと商隊が進んでいく……。


 ここまでの旅の途中、ナザクス以外のスノウブリーズたちは、全くと言っていいほどジャシードたちに声をかけることはなかった。代わりに、後ろの方でヒソヒソと小声で会話をしている。

 特にシューブレンによる、ジャシードへの逆恨みは根強く残っているため、レリートも恐らく同様だ。ミアニルスはと言うと、ジャシードに対して抱えているのは恐怖心で、未だに拭えていない。ジャシードと目が合うと、『ヒッ』と息を吸ってしまう音を我慢できないほどだ。


「シューブレンさんにレリートさんの怪我は、もう良くなったんだね?」

 ジャシードはナザクスに声をかけた。さしものジャシードも、あからさまに避けられている本人に声をかけるほど鈍感ではない。


「ああ。シューブレンは夜に終わったが、レリートは早朝までかかったそうだぜ」

「そっか。でも治って良かったよ」

 ジャシードはひとまず安心した。自分の選択によって、彼らの人生の一部を奪い取ったような気がしていた。しかしそれは杞憂に終わり、心の中に引っかかっていたものが流れていくのを感じた。


「なんでお前がそんな事を気にするんだ」

「なんでって、僕がやったからさ」

「襲ったのはおれたちだ」

「それでも、やったのは僕さ」

 二人の間に、少しの沈黙が流れた。


「意識が無い状態でやったのに、やったことを気にするのか?」

「それはそうだけど……それでも」

 ナザクスの質問に、ジャシードは何とか答えを紡ぎ出そうとしていた。オーラフィールドを使う選択そのものは、あの状況下においては、生きるために必要だった。しかしその結果について、責任を感じないわけではない。これを相手であるナザクスに上手く伝えるのは難しかった。


「もういい、やめようぜ。この話は気持ちよく終わることが無い。正直なところ、ロウメリスからは別行動にさせろとアイツらがうるさくてな。おれが説得してようやく後ろに付いてきてる」

 ナザクスは親指を立てて後ろへ向けた。


「そう、だったんだ……。ごめん」

 ジャシードの視線は、自然と純白の雪へと向けられた。視線の先に自分の足が出てきては、新しい足跡をつけているのが見える。


「やめてくれよ。お前に謝られるのも違うと思うし、おれたちはもう、今以上に謝罪はしない。お前とおれはもう、こうして会話ができるし、他の奴らは個人の問題だ。それにこれ以上謝罪したって、何も変わりはしない。そうだろ?」

「それもそうだね。僕も謝罪は要らない」

「じゃあ、お前も同じようにしろ。それでおあいこだ」

「わかった。そうする」

 この件についての二人の会話は、ここまでだった。


◆◆


 昼を過ぎた頃、街道を進んでいく彼らの視界に、街道を挟み込む名も無い岩山が現れた。右手奥には、名も無き岩山なんぞよりも遥かに高い、マロフ山脈が雪に霞んで僅かに見えてきた。周囲には、メリザスには珍しい、針葉樹林があった。


「まだ半日も歩いていないが、今日の行程はここまでだ」

 ナザクスが宣言した。スノウブリーズと商隊の面々は、既に北側にある名も無き岩山の方へと向かって歩き出している。


「これだけしか進まなくていいの?」

 マーシャは不思議に思ってナザクスに聞いた。


「ああ。正確に言うと、『進まない方がいい』」

「どうして?」

「ここから先は、怪物の生息地に入ってくる。休息可能なマロフ砦までは、更に丸一日かかる。だから、洞穴が掘ってあるここで休んで、明日早朝に出発して、夜遅くにマロフ砦に到着する、そう言う流れだ」

「そういうことなのね。納得したわ」


 皆が洞穴に向かおうとしているとき、ファイナだけ街道沿いに残って、何やらキョロキョロしていた。


「ファイナさん、洞穴に行くわよ」

 マーシャはファイナに手招きをしたが、ファイナは動かない。


「後で行く」

「なんで?」

「矢を作る材料を集めてから行く。スノウジャイアントの戦いで使ったまま補充できていない」

 ファイナは皆に背を向けて、林の方へ向かって歩き出した。


「ちょっと待ってよ!」

 マーシャはファイナの行動を見て走り出した。


「ねえ、ファイナさん?」

 呼ばれて立ち止まっていたファイナの顔を、走って追いついたマーシャが覗き込む。


「なんだ」

 ファイナは非常に近い位置にマーシャの顔があるにもかかわらず、少しも怯まずに言った。


「そう言うのは! そういうのは、仲間と一緒にやってもいいんじゃない?」

 マーシャはファイナの鼻に人差し指をくっつけた。


「私一人の方が……」

 ファイナは言いかけたが、そこで止めた。


「い・い・よ・ね?」

 マーシャは一声ごとに、ファイナの鼻に当てた人差し指を軽く押し込む。すっと通ったファイナの鼻筋が、マーシャの指に押されてちょっと凹んだ。


「そ、そうだな。手伝って貰えるか」

 ファイナはマーシャの勢いに負けた。


 ヒートヘイズの面々は今日の洞穴の位置を確認した後、ファイナが使う矢の材料を集めるため、街道から近い針葉樹林に足を向けた。


 針葉樹林は、メリザスでこそ『林』と呼ばれるが、その他の地域では『多少木が生えているだけの平原』と捉えられるほど、木の密集度が低い。


 メリザスでは、木材は貴重な資源として取り扱われる。そのため、ジャシードたちはできるだけ木を傷めないように、落とす枝を慎重に選びながら切り落とす事にした。


 枝を切り落とす作業は、マーシャの水の魔法が役に立った。水を細く強力に噴射する事によって、木の枝程度は楽に落とせる。原料となる水分は、そこかしこに雪として存在しているため、マーシャは楽にその作業を行うことができた。


 マーシャ以外の四人で良さそうな枝を探し、マーシャが切り落とす。小一時間の作業で、矢を作るのに十分な枝を集めることができた。


「皆のおかげで早く終わった。ありがとう」

 ファイナは真顔で礼を言った。


「仲間なんだから、当たり前だよ」

 ジャシードは何気なくそう言って、親指を立てて見せた。


「ふ……セグムと同じ事を言って、同じ仕草をするとはな」

 ファイナは若かりし頃のセグムを思い出して、ごく僅かに微笑んだ。


◆◆


 ヒートヘイズの面々が洞穴に帰ってきて暫くすると、外を吹く風が急に強くなり始めた。


「こりゃあ、今日は嵐だな。入口埋めるぞ」

 ナザクスのひと言で、洞穴の入口が雪で覆われていく。スノウブリーズたちの作業で、あっという間に洞穴の入口は雪の壁となった。雪の壁の外からは、暴れる風が叩き付ける雪の音が聞こえてくる。


 食事をした後は、ヒートヘイズの面々で、ファイナが使う矢の元になる軸を作成する事になった。


「なんで変な顔してんの」

 スネイルがファイナの表情に気がついた。


「練習だ」

 ファイナは軸を削る作業をしながら、口を大きく開けたり閉じたり、片目を閉じたり開いたりしている。


「なんの練習?」

「表情のだ」

「変なの」

「変か?」

「変」

「そうか」

「そうだ」

 ファイナは変な表情を継続しながら、スネイルと変な会話をしながら、軸を作っている。それを見ながらジャシードとガンドは首を捻り、マーシャはついつい吹き出した。


 その夜は、交代で『雪壁の番』をしながら眠ることになった。雪壁の番とは、雪壁に穴を空ける役割だ。

 外が大雪の場合は雪壁でそれを防ぐことになるが、そのままだと空気穴が塞がり呼吸ができなくなってしまうため、一定時間ごとに雪壁に空けた穴が通っていることを確認する。穴が空いていれば良し、空いていなければ穴を再度貫通させる、そう言う役割だ。


「おい、起きろ。お前の番だぞ」

「ん……ああ。わかった」

 ジャシードの順番は、朝方に訪れた。ナザクスがジャシードを揺り起こす。


「いつもありがとう」

「何のことだ」

 ナザクスは、毛皮の端っこを掴んで引き寄せた。


「いつも気を遣ってくれているから。こういう順番とかさ、スネイルやマーシャは先にしてくれたり」

「おれはおれの判断でやっていることだ。気にするな。怪我が治ったからと言って、シューブレンやレリートが本調子だとは思えない。怪物と遭遇することを考えれば、お前たちと行動している方が、生き残れる確率が上がるってもんだ。おれは寝るぞ。あとよろしく」

 ナザクスは言いたいだけ言うと、毛皮に包まって横になった。


(損な役回りだな……)

 ジャシードはそう思った。ナザクスは寄せ集めのメンバーとよく言うが、その三人のことも考え、加えてヒートヘイズの事も考えている。良いリーダーなのかは分からないが、良くやっているリーダーだ。


 ナザクスは即座に寝てしまい、ジャシードは手持ちぶさたになった。狭い洞穴の中では、身体を動かすこともできず、ただ見ているしかやることがない。

 ふと脇に目をやると、マーシャの近くに荒削りの矢軸と、ファイナのヤスリが置いてあった。マーシャもジャシードと同じく、手持ちぶさたになったのだろう。

 ジャシードもマーシャに倣って、矢軸のヤスリがけをして整える作業をすることにした。


 雪壁の向こうは、ごうごうと暴れる風の音が聞こえ、手元のヤスリがけの音など容易にかき消されてしまう。

 たまに空気穴を確認しながら、ジャシードは矢軸のヤスリがけに没頭していたが、太股の辺りに手が伸びてきたのに気がついた。


「おはよ……寒いよ」

 手と声の主はマーシャだった。


「おはよう。まだ寝ていた方がいいよ」

「うるさくて眠れないよ」

「あ、ごめん」

「ううん、外の方」

 マーシャはそう言いながら、ジャシードの太股に頭を乗せてきた。


「これなら眠れるかも。あったかい」

 マーシャは寝ぼけ眼のまま、ジャシードに甘えてきた。


「仕方ないなあ……ちゃんと寝るんだよ」

「うん。矢軸のお手入れ、してていいよ」

「これでやったら、マーシャに木くずがつくよ」

「それも……そうね……」

 マーシャはそう言うと、すうすうと寝息を立て始めた。


「って、もう寝ちゃったよ……」

 ジャシードは、久しくマーシャの顔を近くで見ていなかった事に気づいた。寝ているのをいいことに、見えている顔の半分をじっと見つめた。小さな頃から知っているマーシャは、最近急に大人びてきたように感じられる。顔の作りも少しずつ変化している気がしていた。


(僕たちも、少しずつ成長しているんだな……)

 ジャシードは、マーシャの顔から視線を移動させ、何となく自分の手と腕を眺めた。成人と認められたものの、まだ実感の無かったジャシードだったが、こうして自分の腕や、成長していくマーシャを見ると、大人になってきている実感がわいてきた。


(あれ……汚れてる)

 地面で寝返りを打っていたのか、マーシャの頬の辺りに砂がついて汚れているのを見つけた。ジャシードは雪を左手で溶かし、右手で温めてから手ぬぐいに染みこませ、そっと拭いてやった。完全に拭い去ることはできないが、目立たなくなる程度にはきれいにできた。


(柔らかいな……)

 手ぬぐい越しに指先に伝わってきた頬の感触が指に残った。人差し指でもう一度、優しく頬を押し込んで、戻ってくる感触を味わった。


(……やめておこう)

 ジャシードは手を引っ込めて、マーシャが包まっている毛皮を直してやった。マーシャはジャシードの腹の方へ顔を埋め治すようにしていた。


 ジャシードは、マーシャの毛皮がずれないように手を添えて、頭の中では戦闘のおさらいをする事にした。スノウジャイアントとの戦いは、もっと上手くやれたのではないかと、ずっと思っていた。


 ネルニードに使うなと言われているが、いっその事あの場でオーラフィールドを使うべきだったのだろうか。そんな思いが頭の中を駆け巡った。


 結論はやはり『使ってはならない』だ。意識を失っていては、その先を制御できない。もしかすると、またスノウブリーズを一方的に傷つけてしまう結果もあり得る。それは勝利でもなんでもない。


(何か、オーラフィールドの代わりになる技を考えなきゃ)

 ジャシードの最終結論はこれだった。今のところ使えるのは『フォーススラッシュ』ぐらいなものだ。もっと生命力を上手く活用する技を作れないものか、マーシャの毛皮を抱えながら、ジャシードは頭を捻りながら朝を迎えた。


◆◆


 朝になっても強い吹雪は収まっていなかった。雪壁の向こうは未だにごうごうと風が渦巻いているのが分かる。試しに雪壁を少し壊してみると、吹雪の雪が逃げ場を発見とばかりに吹き込んできた。


「出らんない」

 スネイルは、吹き込んできた雪を顔面に喰らっていた。


「いや、行くぞ。吹雪いていた方が、怪物に見つかりづらい」

 ナザクスは出発を宣言した。


「寒い!」

「つめたい!」

 文句を言うガンドとスネイルの尻をファイナが叩き、震えるマーシャをジャシードが勇気づけながら、一行は吹雪の中をマロフ砦へ向けて出発したのであった。

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