ロウメリス
ガンドの手引きを取り戻し、すっかり機嫌が良くなったラマはが、疲れて寝てしまったマーシャを荷台に載せて再び雪原を行く。
マーシャの命を救ったファイナは、そのまま同行することになった。本当はラナック砦で合流するつもりで待っていたようだが、余りにも暇だったために矢を調達していて、その間に入れ違ったようだった。
ラナック砦でひと部屋埋まっていたのは、ファイナの部屋だった。
「ファイナさんは、バラルさんに何て言われたんですか?」
ジャシードは、新しくメンバーになったファイナに尋ねた。
「旅が終わるまで見守れと」
ファイナは簡潔に答える。
「そうなんですね」
「敬語は必要ない」
ジャシードの言葉に被せるように、ファイナは素早く言う。
「あ、うん。分かった……」
ジャシードはそう言って、次の話題を探した。その間、ファイナは黙っている。
「……父さんとパーティだったんだよね」
ジャシードは、先ほどのファイナの言葉を思い出した。
「そうだ」
ファイナは一貫して簡潔に答える。
「父さんは、その……だらしなかったんですか?」
「敬語は必要ない」
「あ……ごめん」
「だらしなかった」
ひと呼吸置いて、ファイナはハッキリと言い切った。
「どんな風に?」
「全て。自分勝手、寝坊する、人を待たせる、片付けない、学習しない、配慮に欠ける、隙が多い、弓が下手、注意力散漫、酒癖が悪い、自制心に欠ける、女に弱い。まだ必要か」
「……も、もういいです……」
「敬語は必要ない」
「は、はい」
自分の親の事ながら、恥ずかしい気分になってきたジャシードは、その場で話を打ち切った。マーシャが起きていたら、大笑いされていたかも知れない。
「セグムさんって、そんな感じだったんだね。今はちゃんとしてそうに見えるけど……あれ……そうでもないかな」
ガンドはセグムの話を聞きながら、セグムの事を思いだしていた。初めこそ、そうではないと思いつつも、よく考えると合っているような気がしてきた。
「うーん……」
ジャシードとガンドは、セグムを思い出しながら唸った。
◆◆
その後ロトス湖の付近で、ゴブリンとコボルドの小規模集団に遭遇したが、難なく撃退した。夜になる頃には、北メリザスと南メリザスを繋ぐ、ウラハンス橋に到達した。
メリザスは、実際は南北に分割された、二つの陸から成り立っている。人間が住んでいるのは北メリザス、怪物どもしか居ないのは南メリザスだ。それを繋ぐのが、このウラハンス橋である。
ウラハンス橋を越え、北メリザスに入る。橋を越えたところにある、橋の下へと続く坂を下りていくと、そこには人の手で掘られた洞穴があった。
「これは道案内が無いと分からないね」
「誰でもわかる場所にあったら、怪物どもに襲われちまうだろ」
ナザクスは、ジャシードを指さしながら言った。
メリザスでは、平原で野営することはできない。夜も動いている視力のある腹ペコ怪物どもに、いちいち襲撃されてしまうからだ。戦うことになれば、全員が起きることになるし、見張りを立てたところで意味は無い。
だからこそ、このような人口の洞穴が重要だし、それがどこにあるかもまた、重要なのだ。
一行はその洞穴で夜を明かし、また翌朝出発した。いよいよ寒さも本格的になってきたが、ロウメリスが近い。
スノウブリーズたちは、ロウメリスで何とかシューブレンとレリートを治療し、ミアニルスに本当の意味での休息を与えたいと願った。
ウラハンス橋からロウメリスまでは、昼前には到着できるとの事で、一行は先を急いだ。北メリザスの南側には殆ど怪物が生息おらず、気温が低いことを除けば、行程そのものはとても楽だった。
「あれがロウメリスだ」
ナザクスはまっすぐ腕を伸ばして、遠くに見えてきた場所を指差した。
指先にあるのは、これまで見たことがないほど壁の低い、お世辞にも立派な壁などとは言えない街だった。
「ロウメリスには宿がない。あるのは治療院だけだ。営利行為はグランメリスの取り締まり対象になる。せがまれても、何も売ったり買ったりするなよ。特に売ろうとしてくるヤツは、グランメリスの回し者かも知れねえ」
「回し者? そんな事をして、グランメリスに良いことはあるの?」
「ある。捕まえて、冒険者契約を結ばせるんだよ」
「うわあ、やり口が酷いね……分かった。けど、宿がないなら、どこに泊まればいいんだい?」
「多分、空き家はあるから、手配してやるよ。宿ほど小綺麗じゃあないだろうが、雪と多少の寒さは凌げる」
ナザクスとジャシードが話している間に、ロウメリスが近くなってきた。
ロウメリスの外周を囲っているのは、石や土を盛り上げただけの、壁ではなく土塁だった。怪物に対する守りなど、何一つ無い。
「これは、思ったより……」
ジャシードはそこまで口が滑ったが、何とか言いそうになったことをせき止めた。
「ああ。ひでえモンだろ。ロウメリスをこのままにしていいわけがない」
ナザクスは、ジャシードが飲み込んだひと言を引き継いだ。
ロウメリスを囲う土塁は、街道から見て反対側に土塁のない場所があり、そこが入り口になっている。
「よう、ナザクス。お前依頼しくじったらしいな、え?」
一人で門番をしていた男が、ヘラヘラ笑いながらナザクスをからかった。
「おいおい、もうここまで情報が来てんのかよ……それよりお帰りとかねえのかよ、キューズ」
ナザクスは肩を落とした。
「お帰り、ナザクスぅ」
キューズと呼ばれた男は、女の物まねをしながら言う。
「うっわ気持ち悪い。言うんじゃなかった……それより空いてる家あるか? 護衛を泊める場所が欲しい」
「空き家か? フィーブリの家の隣が空いてるぜ」
キューズは、後ろの方を適当に指さした。
「分かった。ありがとよ」
「いいのよ、ナザクスぅ」
「もうやめてくれ……」
キューズがなよなよしながら言うので、ナザクスはうんざりしている様子だ。
「しかしよぉ、何でお前が護衛雇ってんだ?」
キューズは、ジャシードたちを指さしながら尋ねた。
「シューとレリートが大怪我でな、おれとミアだけじゃ帰れないと思ってたときに、彼らが護衛を買って出てくれたんだよ。正直助かったし、彼らがいなかったら、おれたち死んでたな」
「へぇ、そうか。お前が手放しで褒めるなんてなぁ、すげえヤツらなんだな。それにしても、お前らが依頼をしくじったなんて珍しいと思ったら、大怪我かよ……確かにレリートは酷いな」
キューズは、レリートを見て目を丸くした。レリートは狂戦士ゆえに良く怪我をするが、こんなに重症なのは初めてだった。
「まあ後で詳しく話してやるよ。酒あるだろうな?」
「あるよ。温まるぜえぇ」
「おし、じゃ、後でな」
「おう、後でなぁ」
ナザクスはキューズに軽く手を上げて、空き家のある方へ歩き出した。
「ナズ、おれたちは治療院に行く」
「ああ、分かった。明日には回復するだろ」
「だといいが」
シューブレンは、レリートを連れて別の道を歩き出した。
「あたしは家に行くわ」
「ああ。毎日治療ありがとうな」
「うん……」
ミアニルスは、シューブレンたちの後を追って行った。商隊の者たちも、ナザクスにひと言告げて歩いて行った。
「さてと。お前たちはこっちだ」
ナザクスは、ジャシードたちを空き家の方向へ連れて行く。
ロウメリスで一番太い道は、草がたくさん生えている場所を抜けていく。
「草ばっか」
スネイルは見たままを言う。辺り一面、雪から辛うじて頭が見えている程度の草が生えている。
「鹿が食べるための草だ」
ナザクスは、草原を見ずに言った。
「鹿育ててどうすんの」
スネイルは、草原を見たまま言った。
「鹿は食料だ。ロウメリスでは鹿ぐらいしか食べられるものはない。いくらか山羊もいるが、こっちは乳を飲むため、それからチーズとバターを作るためのものだ」
ナザクスはすれ違った老人に手を上げつつ言う。
「あら、チーズとバターもあるのね」
マーシャが好物のチーズに反応した。
「……ちなみにチーズとバターは、その殆どがグランメリスに持っていかれるし、山羊が増えたら山羊も持っていかれる」
ナザクスは、剣で雪を乱暴に払った。フワリと浮く雪の量は、彼の悔しさを表しているかのようだ。
「山羊は、増えても増えないのね……」
マーシャは、ロウメリスの実態がなんとなく分かった。ここは、グランメリスに搾取されるために存在する町だ。生かさず、殺さず。ここに生まれたら最後、グランメリスの為に死ぬまで働くことになる。
ナザクスのように、冒険者になる方が余程ましだと言えそうだ。
「お酒はどこから来るの?」
マーシャは次の質問を投げかけた。
「酒は山羊の乳から造る。けど大して酔えないから、火にかけてから冷やして、を繰り返して濃くする。」
「お乳って、お酒も造れるのね」
「山羊の乳と同じで、あまり美味い物ではないな」
「どんな味がするの?」
「酸っぱい酒だ。飲むか? けものの」
「あ……ううん……やめとく」
「そうか」
「着いたぞ。ここだ」
ナザクスはしばらく歩いて、ヒートヘイズの一行をぼろい家屋の前に案内した。
主に丸太で造られた家屋は、木が所々朽ちており、誰がどう見ても古いと言えるものだった。窓はなく、ドアを閉めたら暗くなる。
真っ暗にならないのは、ドアなどの建て付けが悪いためで、しっかり閉めても壁や屋根から光が漏れてくる。
「ベッドはないの……かな」
ガンドは部屋を見渡している。しかしどう見ても、奥に暖炉があるのみで、部屋の中はがらんどうだ。
「敷物は後で持ってきてやるが、あるのはそれだけだな。空き家だからそんなもんだろう」
ナザクスは、床に落ちているゴミを幾つか拾い上げた。
「あと、ラマは中に入れておいてくれ。外には夜、吸血コウモリが飛んでくる。だから昼はいいが、夜はなるべく外出するなよ。敷物取ってくる」
ナザクスは用件だけ言って、外へ出て行ってしまった。
「いやあまさか、ベッドも無いなんてね。これなら、ネクテイルの石ベッドの方がいいなあ」
ガンドは何もない部屋をうろうろしながら、自分の居場所を探していた。しかし適当な場所が見当たるはずもなく、部屋の端っこに荷物一式を置き、なんとなく床に座り込んだ。尻に冷たい感覚が厚手の服越しに、じわりと広がる。
「そうね……想像してたより、うんと貧しい感じがするわね」
マーシャは電撃の魔法を弱めに使って、床に散らばっている埃を杖にひっつけながら、部屋をぐるぐると回っている。
「アネキ、何してんの?」
「見て分かるでしょう? 掃除よ。電撃の魔法を凄く弱めに使うと、埃がひっつくのよ。面白いよね」
「埃どうすんの?」
「集めた埃は……こうよ」
マーシャは、ドアを開けて杖を表に出すと、火の魔法で燃やした。埃はぽふっと音を立てて燃え、跡形もなくなった。
「すげー! アネキすげー! かっこいい!」
スネイルは感動に包まれている。
「器用だなあ。マーシャは」
ジャシードは、外に置いたままだったラマを引いて、家に入ってきた。
「ラマ、どうするの?」
マーシャは恐る恐る家に入ってきた、ラマの頭を撫でている。
「繋ぐよ」
「どこに?」
マーシャは部屋を見渡した。がらんどうの部屋には、ラマの綱を繋ぐ場所など無い。
「これに」
ジャシードは家の外から大きな岩を持ってきて、入口近くの端に置いた。そしてラマの綱を岩に結びつけ、一定のチカラで動かないのを確認した。元々大人しいラマは、ガッチリ結びつける必要もないだろう。
「あら、不思議としっくりきたわね」
がらんどうの部屋には、ラマくらい大きくて大人しい動物がいると、なんだか置物のようで部屋の寂しさを紛らわせてくれた。
荷台から荷物を全て降ろして部屋にしまうと、なんとなく生活感が出てきたように感じられる。
「敷物持ってきたぞ。あと燃料もな」
ナザクスが丸めたたくさんの敷物と黒い燃料を荷台に載せてきた。敷物は草を編んで作られた物で、三枚重ねると多少柔らかな感覚がする。
「燃料これ何?」
スネイルは丸い形をした燃料を手に取り、手の上でコロコロと転がした。
「鹿の糞を乾燥させた物だ。もう汚くはないが、一応スコップを使えよ」
ナザクスはやや面白そうに答えた。
「うぇぇぇ!」
スネイルは手の上の物を、ナザクスが持ってきた入れ物に放り込んで、ナザクスの衣服に手をなすりつけた。
「おいこら! おれの服で拭くな!」
「汚くないんだろ! すぐに教えない方が悪い!」
ナザクスとスネイルは、くだらないやりとりで騒いでいる。
「糞も燃やせるんだね? マーシャ、火をつけてみてよ」
木しか燃やしたことのないジャシードは興味をそそられ、スコップで暖炉にこんもりと盛っている。
「盛りすぎると火がつかねえぞ……あいや、マーシャの魔法なら余裕か」
スネイルとの『なすりつけ合い』に区切りをつけたナザクスは、二人のやりとりを見て言葉をかけた。
「余裕よ!」
マーシャは杖の先に炎を作り出し、糞に着火した。糞は草の臭いを出しながらゆっくりと燃え始め、部屋の中に暖かさを伝え始める。
「おお。うんこあったかい」
スネイルは、外の雪で洗ってきた手をかざして乾かしている。
「ラマの横に木箱ごと置いておくから、適当に使ってくれ。明日は朝出発だ。まだ昼だが、治療のためだ。たまにはノンビリすんのもいいだろ。じゃな」
ナザクスは伝えたいことを伝えると、家から出て行った。
ファイナは一言も発することなく、部屋の壁により掛かってやりとりを見ていた。
レリートほどではないが、ファイナは基本的に寡黙な女性で、必要なとき以外は口を開くことはない。口を開けば割と辛辣な言葉が出てくるため、自重しているのかも知れない。
「さて、明日までゆっくりしようかな」
ガンドは敷物の上に横になった。
「特訓しないの?」
ジャシードは、ガンドとは対照的に、剣を手に立ち上がった。
「う……す、するよ……もちろんだ」
ガンドはしぶしぶ、立ち上がった。