天高く剣掲げ
治療院へ次々と運ばれてくる衛兵たちに、ずっとそわそわしていたフォリスだったが、戦いが終わったことを知って安心した。
それと同時に、戦いに参加できなかったことについて申し訳ない気持ちにもなったが、そんな中、愛する娘の看病をすることができたことに感謝していた。
トゥープコイアの光が薄くなってきたマーシャの顔を見ると、血色も少しだけ良くなり、僅かずつではあるが回復しているのを感じることができた。
フォリスは、友人でもあり家族でもある、そしてわが子の恩人でもある三人を待っていた。
特にジャシードは様子を見てくると言ったまま、結局帰ってきていなかった。
「また、無茶をしているのではあるまいな……」
フォリスはジャシードを気にかけてはいたものの、彼も学習しているはずだし、前回のようなことにはならないだろう、と思っていた。
「いやあ、今回の襲撃は何だったんだろうな」
「知るかよ、怪物の事なんか」
「怪物が軍隊を作るとなれば、今後の防衛はどうなるんだ」
「考えたくもないな」
フォリスがいる部屋の前を、治療を終えた衛兵たちが何人か通り過ぎていった。傷だらけになった鎧の背中が目に入った。
長年衛兵を勤めたフォリスをして、今回のような大規模な攻撃は耳にしたこともない、まさに異常事態だった。
怪物が軍隊のように組織されるなど、全くあり得ないことだ――少なくとも、今の常識では。
それでもきっとセグムたちは、戦いを難なく終えてケロッとした顔で帰ってくるに違いない。
セグムもソルンも、元冒険者と言うのは、そこいらの衛兵なんかよりもずっと優秀だ。
それに付け加えて、今回は剣聖オンテミオンまで参加していた。
正直、オンテミオンの戦いを見られなかったことは、フォリスが唯一残念だと思っていたことだった。きっと凄まじい戦いをしたに違いないと想像していた。
そんなフォリスの予想をよそに 帰ってきたセグムはケロッとどころか衛兵たちに担がれて、隣の大部屋へ運ばれていった。
その後ろから、疲れ果てた様子のソルンが衛兵たちに支えられて隣の部屋に向かって行った。
「セグム……ソルン!」
フォリスは、まだふらつく身体に鞭を打ち、壁を支えにしながら、よろよろと隣の部屋へ歩いて行った。
やっとのことで大部屋に辿り着こうと言うときに、向かい側から治療術士が二人走り込んできて、フォリスを押しのけセグムたちが運ばれた部屋に入っていった。
治療術士たちはセグムの傍らに座り、血まみれの患部に強化治癒魔法をかけ始めた。セグムの片腕が狭いベッドからはみ出し、力無く垂れていた。
ソルンはセグムの隣のベッドに寝かせられていた。珍しく荒い息をしており、ひと目に魔法の使いすぎだと分かった。
「ソルン……大丈夫か?」
フォリスはようやくベッドに近づいて、その傍らに座り込んだ。
「私は、平気……セグムが……ジャッシュが……」
ソルンがそう言うのを聞いて、フォリスはしまったと思った。ジャシードはまた何かしてしまった。あの時、出て行くなと言うべきだった。
「済まない、ソルン。私はジャシードがここから出て行くのを止められなかった」
フォリスは頭を下げて謝った。ソルンは黙って首を横に振った。
「ジャシードはどうなった? 今どこ……」
フォリスが言いかけたとき、オンテミオンが子供を抱えて治療院に入ってきた。
「一人、治療術士を寄越してくれ。チカラを使いすぎた子供がいる……ああ、体温はある。一応診てくれ」
オンテミオンは、大部屋に入る前に、近くにいた従業員に声をかけた。
「ソルン、そこにいたか。セグムの容態はどうだ」
そのまま大部屋に入ってきたオンテミオンは、ソルンを見つけると、その隣にジャシードを寝かせた。
「セグムは……見た、通りよ……。私も……できるだけの、ことは……したわ……」
「んん、そうか。あとはセグム次第ではあるな……」
「ジャッシュの、こと……ありがとう」
「ん。なあに、礼には及ばんよ」
オンテミオンは、視線をセグムの方からソルンへと向けて、にっこりと微笑んだ。
「ジャシードは……先ほど治療術士を呼んだが、多分、問題ない。チカラを使いすぎて気を失ってはいるが、体温も安定している。この子は凄まじいまでの生命力を秘めているな、ソルン」
「ジャッシュ……温かい……ええ、本当に……凄い子ね……」
ソルンは荒い息をしながら、ジャシードの頭の下に腕を回すと、その体温を感じた。
我が子の体温は、彼女の救いだった。
「セグムにソルンに、それにオンテミオン師までこんな状態になるとは、きっと凄まじい戦いだったのだろうな……。しかしジャシードは、一体何をしでかしたんだい?」
フォリスは、状態を飲み込めない様子だった。
「うふふ……。また今度、話すわ……。今は、ゆっくり……こうして、いたいの」
ソルンは息子を抱き寄せ目を閉じると、その髪の匂いと体温を感じながら、ゆっくりと深呼吸した。
◆◆
レムリスの異変から二週間。レムリスの街は、ようやくいつもの様相を取り戻していた。
戦いの後始末は大変なものだった。東西の門前には夥しい数の死骸が、かたや山のように積みあがり、かたや草原の代わりに敷き詰められていた。
死骸の所持品から資源になりそうなものは回収し、死骸そのものは、平原の広い場所に集めて焼き払った。限られた人員だけで実行しなければならないこの作業は、何日もかかった。
エティンに激しく叩かれて壊れた城壁の修理と整備にも二週間かかった。
叩かれて潰れてめり込み、城壁に埋まってしまった鐘を取り除くかどうか話し合われたが、土台の城壁まで直さなければいけないと言うことで、そのままにすることに決まった。
そして怪物に占拠されていた三叉路の破壊された守衛所は、攻め込もうとオンテミオンが兵を募って行ってみると、既にもぬけの殻だった。
恐らく赤い目の怪物が居なくなったことで統率されなくなったのだろうと推測された。
街の城壁が片付いたため、ドゴールと協力して守衛所を砦のような、以前より強固なものに造り変えると言うことが決まった。着工はもうすぐだ。
◆◆
セグムは戦いの翌々日の朝には目が覚め、ひと足『早起き』したジャシードに、おはようの挨拶をされた。
セグムはこみ上げるものを感じて、息子の頭をくしゃくしゃに撫でた。髪が抜けて痛いよ、と息子は嫌な顔をした。
ソルンとオンテミオンは、どれほどジャシードが驚くべき事をしたのかをセグムに聞かせてやったが、セグムは眉に唾を付けて訝しんだ。
どうせオンテミオンが何とかしてくれたに違いないと信じて疑わなかった。
近くで聞いていたフォリスも呆れ顔だった。尊敬すべきオンテミオン師が、なんだか嘘つきにすら思えた。
仮に少し真実が混ざっていたとしても、大幅に脚色されたものだろうと理解した。何しろ、当のジャシードが全く覚えていないからだ。
彼らが、ソルンとオンテミオンが真実を話していた、と言うことを、現場を見ていた仲間の衛兵たちから聞き、言葉を失うのはもう少し後のことだ。
◆
「えい!」
喜ばしい知らせはまだある。マーシャはすっかり元気になり、また魔法の練習を始めていた。
今出てきた炎は……やはり、蝋燭に火を点した直後の大きさの炎が、ぽふ、と音を立たのみだった。
「うーん、上手くいかないなあ」
マーシャは、いつか聞いたことのあるような悔しがり方をしていた。
「ダメよ。また大きな炎が出てきたらどうするのよ」
ソルンは編み物をしながら、マーシャの練習を見守っていた。今度はしっかりと、自分の能力と相談することを覚えさせるつもりだ。
「どーん、は、いつできるのかなぁ」
「まだまだ、先になるわ。無理せず、コツを掴むまでゆっくりやるのよ」
ソルンはマーシャに指差しながら言った。
「はあい……ねえソルンおばさん、ジャッシュは?」
「東門の外で訓練しているんじゃないかしら。オンテミオンと一緒だと思うわ」
「わたしも行きたいなぁ」
マーシャはソルンを覗き込んだ。
「だーめ。まだマーシャには早いわ。ちゃんと魔法を使えるようになってからね」
ソルンは編み物の手を止めて、マーシャの頭を撫でた。
「つまんないの!」
「ほら、練習が止まってるわよ」
「はーい」
マーシャの魔法練習は、前途多難の様子だった。
◆◆
オンテミオンは、ジャシードが目覚めてから毎日、守衛所に行ったとき以外は、朝から晩まで稽古を付けてやった。
幼い冒険者は大変筋が良く、教えたことをすぐに覚えてしまった。教える方にとっては、大変遣り甲斐のある相手だった。
ジャシードは事ある毎に『階段を上ってこい』というオンテミオンの教えを忘れ、力場を初めとする大技を伝授するようにせがんだが、オンテミオンは一貫してダメだと言った。
余りにしつこかったため、一度うっかり怒鳴ってしまったが、それからは大技のことを言ってこなくなった。
この少年の潜在的な能力は高い。しかし育て方を間違えば命を削る事になりかねない。
どっしり腰を据えて構えて育てるべきだと、オンテミオンは思っていたし、セグムにそう言い聞かせた。
オンテミオンの付き添いが必須ではあったが、街の門から外に出ての特訓も織り交ぜた。
怪物はまだ見かけることはないが、特訓の環境を変えるのは悪くないという判断だった。
事実、街の外に出ると、ジャシードは気を張って行動するようになる。単なる剣術の訓練だったとしても、少年にほどよい緊張感を抱かせた。その結果は言うまでもない。
そうして時間はあっという間に過ぎ、オンテミオンはドゴールに帰ることに決めた。
ジャシードが助けたかったマーシャは、元気に魔法の練習を再開したようで、つられてジャシードが練習に向ける熱も前にも増して高まってきた。
しかし、オンテミオンにもやらなければならないことが残っていた。
レムリスからドゴールまでは、急いでも四日か五日はかかる。総計三週間も帰りが遅れてしまうことになり、ハンフォードはきっとおかんむりだ。好物のブドウをどこかで仕入れていかなければならないだろう。
何とか歩けるようになったセグムとその一家に見送られ、街を出て行ったオンテミオンの背中が、少しずつ小さくなっていった。
「オンテミオンさーん、また特訓してね! 絶対!」
ジャシードは元気いっぱい、頼れる背中に叫んだ。
剣聖オンテミオンは、振り向かずに長剣を天高く掲げた。
少年は沢山の背中を見て成長していく。
いつかその背中に追いつくことを夢見ながら。
第一章「幼い冒険者」 完




