第141話 噂話
チルノたちと別れた俺と妖夢は、再び人里へと向かう。日はあまり動いていない。霧の湖で過ごした時間は、約一時間程度だろうか。
左手に見える森を横切り、人里を目指す。あの森は確か、魔理沙とアリスが住んでいる魔法の森と言ったか。あそこに行く用が無いから、何気に行った事がないんだよな。
一般的な妖怪にとっても居心地は最悪らしい。もちろん、人間にとっても最悪な環境だろうけど。
もしかすると、俺が幻想郷に来たときに彷徨っていた森は、あの森だったのだろうか。博麗神社からは、そう離れていなかっただろうし。だとすると、俺も瘴気に対する耐性はあったという事か。現に魔界へ行けたのだし——
「幻真さん? 森の方を見て、何か考え事ですか?」
突然、森とは反対側の隣を飛んでいたはずの妖夢が目の前に現れたため、驚いて飛行を止めてしまう。驚かせてきたのが彼女だということを知り、安心から胸を撫で下ろす。
「いや、なに、昔のことを思い出してさ。命の恩人である霊夢との出会いをな」
「あら、命の恩人だなんて。悪い気はしないわね」
後ろから突然聞こえてきた声に、俺はまたもや驚かされる。慌てて振り向くと、そこには博麗の巫女、霊夢が機嫌良さそうな表情を浮かべながら俺を見ていた。
「おいおい、驚かさないでくれよ」
「悪いわね。飛んでる最中に貴方たちを見かけたものだから、声でも掛けようと思ってね」
なんだ偶然だったのか。それにしても、霊夢が外出とは珍しいな。というか、俺が白玉楼で暮らすようになってから彼女はどう過ごしているんだろう。俺が居候する前の暮らしに戻っただけなのか、それとも何か変わったのか。
「霊夢は何か用事? 外出なんて珍しいと思うんだけど」
妖夢が自然な流れで霊夢に問う。問われた彼女は珍しいと言われたせいか、少し不機嫌そうな表情で答えた。
「失礼ね、私だって外にぐらい出掛けるわよ。まあ、用事と言っても紅魔館に行く途中でね。レミリアに届け物って所かしら」
「……茶葉か」
以前フランから修行を頼まれた時に、美味しそうに飲んでいたのは覚えているが……彼女自身もお茶を飲むのだろうか?
「それでも、霊夢が外出なんて珍しいと思うよ。いつもなら咲夜さんに来てもらうだろうし……もしかして、おもてなしにでも甘えたんじゃ?」
「べ、別にそんなんじゃないわよ! レミリアがどうしてもお菓子をご馳走してあげるって言うから、茶葉を持っていく事にしただけで——」
あー、これは図星だな。俺は霊夢を揶揄う妖夢を抑える。全く、妖夢は霊夢を揶揄いすぎだ。これも一つの愛情なのだろうか。
「それじゃあ、俺たちも人里に向かう途中だから。気をつけて行けよ」
「ええ、貴方たちもね」
霊夢に別れを告げ、俺たちは人里へと向かうのであった。
ようやく人里が見えてくる。人里の入口にある門には敢えて直接降りず、少し離れた道を通って人里へ向かう。特に理由は無いが、あまり人目に付くと面倒だからな。一つ用があるとするなら、鍛冶屋に行くことか。
道中は特に誰ともすれ違うことなく、鍛冶屋の前へと到着する。俺が扉に手を掛け、開けようとしたその時——
「——行ってきまーすって、うわぁ⁉︎」
予期せぬタイミングで扉が開き、その先にいた水色髪の少女と鉢合わせ、これまた驚いて尻餅を付く。なんで今日はこんなに驚かされるんだ……
「意図せずに驚かせちゃった。御馳走様……じゃなくて、お兄さん大丈夫?」
俺を驚かせてしまった事に対してよく分からない発言をしつつ、少女は手を差し伸べてくる。差し伸べられた手を取った時、彼女の瞳が虹彩異色症だという事に気付く。
右目が水色で、左目は赤色の瞳を持つ彼女。だが待てよ? こんな子、俺は知らない。その上、この子は想起の鍛冶屋から出てきた——
「おい待て、俺に少女を拐うなんていう悪趣味は無い。ただの人助け、いや、妖怪助けと言うべきか」
「妖怪?」
確かに、彼女は虹彩異色症だが、それだけで妖怪というのはあまりにも——
「うらめしや〜」
「ぎゃあああ!」
悩んでいる俺に不意打ちをするようにして大きな一つ目と長い舌が付いた紫色の傘が目の前に現れ、驚きと共に声を上げて尻餅を付く。こ、この子は俺の天敵かもしれない……
「こんなに驚いてくれる人間がいるなんて嬉しい! 私は多々良小傘! お兄さん、お名前は?」
「イタタタ……俺は幻真だよ……」
間違いなく彼女は妖怪だ。から傘お化けという類だろうか? その辺を彼女が想起と話している内に、妖夢に聞いてみる。
「たぶんそうですね。彼女は凶暴な妖怪というより、ちょっと迷惑な驚かせ妖怪といったところでしょうか。それにしても幻真さん、少々驚き過ぎじゃないですか? 気が緩んでると思うんですが……」
彼女はジト目で見ながら俺に言う。言われてみればそうかもしれない。だが、正直言って気を張り過ぎていても疲れるだけだ。妖夢と出かけてる時くらい気を抜きたいが、彼女の身に何かあった時に対処出来なかったら問題だしな。
俺は立ち上がって汚れを払う。タイミング良く小傘たちの会話が終わり、彼女が再び話しかけてくる。
「お兄さんゴメンね! でもありがとう! 驚いてくれた事、ホントに嬉しくて。それじゃあ師匠、改めて行ってきまーす!」
「あ、ちょっと——」
俺が引き止める前に、彼女は大きな傘と買い物籠を片手に外に出て行ってしまった。仕方ない。詳しい事情は想起にでも聞くか。
「これは一体どういう事だ?」
「なに、つい先日の話だ。仕事中に、外から大きな音が聞こえてな。飛び出してみたら、なんと彼女が倒れていたではないか。心配もしたが、呆れもした。どうやら弾幕ごっこで、博麗の——いや、霊夢との勝負に敗れたみたいでな」
そんな語り口調で説明をされ、納得せざるを得なかった。小傘との出会いは分かったが、なぜ想起が"師匠"と呼ばれていたのかが気になる。
「そこんところは?」
「まあ、彼女を看病していて、目を覚ました時に色々聞かれてな。それで鍛冶屋の事を話したら、興味を持ちやがって。弟子にしてくれと頼まれたよ」
なるほど、取り敢えず理解はした。という事は、彼女はお使いにでも出掛けたのだろう。そんな推測をしながら想起の方へ視線を向けると、彼は嬉しそうな表情を浮かべながら呟いた。
「俺にも弟子が出来た……師匠なんて呼ばれて……いつかは来ると思ったが、遂に教える側になれるなんてな。師匠に恥じぬよう、全力尽くしてやる」
彼は拳を握りながら、固い意志を誓った。それを聞いた俺と妖夢は、感動から頷いていた。
「そういや、お前らは何しに来たんだ? 武具の注文か? それなら喜んで——」
「あー、すまないが別に用はないんだ。人里に来たついでに、顔を出しておこうと思って」
さっきまで上機嫌だった想起だが、用がない事に気を落とし、肩を落とす。そんな彼を妖夢が宥めた。
だが、落ち込んでいたのはほんの一瞬で、直ぐに何か思い出した様子を見せ、話し始めた。
「そういや、人里の外れに寺院ができたらしいな。なんでも、この間まで飛んでいた"宝船"が姿を変えたらしいじゃないか。縁起が良いかなんかで、今朝から大行列。霊夢が知ったら悔しがるだろうな」
宝船……聖輦船が寺院に姿を変えた? 俺はナズーリンとしか話ができていないから、よく分かっていないのだが……
なんにせよ、挨拶はしに行ったほうが良さそうだな。俺は妖夢の方に視線を向け、合図を送る。それに気付いた彼女は、頷き返した。
「それじゃあ想起、俺たちはこの辺で。小傘によろしく言っといてくれ」
彼にそう言い残して、俺たちは鍛冶屋を後にした。
しばらくして、人里の入り口が見えてくる。相変わらず人が多い。と言っても、ここに人が集まって住んでいるせいなのだが。
想起に言われた寺院も気になるが、まずは甘味処に行って——
「あら、幻真さんと妖夢さん。お二人揃ってお出掛けですか?」
意気揚々としていた俺と微笑していた妖夢に声をかけてきたのは、荷物が入っているであろう風呂敷を背負った阿求さんだった。妖夢が礼をして挨拶したのを見て、俺も慌てて頭を下げる。
「いいですよ、頭を上げてください。それで、今日はなんの御用事で?」
「あ、えっと、知人のお参りに永遠亭に行く予定でして。そのついでに人里へ寄りました。阿求さんは?」
「私は先日できた"命蓮寺"へ挨拶をしに行こうと思いまして」
命蓮寺? もしかして、想起が言っていた寺院の事かな? 都合が良いし、一緒に行かせてもらうか。
「あの、一緒に行ってもいいですか? 実は寺院の事を聞いて、挨拶だけでもしに行こうかなと思ってたもので」
「そうでしたか。それなら、是非とも一緒に行きましょう。一人で行くよりも心強いです」
初対面の人に突然挨拶をしに行くのは、とても勇気のいるものだ。誰とでも直ぐ仲良くなれる人にとっては、そんな事もないのかもしれないが。それにしても、阿求さんが背負っている風呂敷に何が入ってるか気になるな……
「そう言えば、阿求さんが背負ってる風呂敷の中身はなんですか?」
俺が聞こうか悩んでいると、妖夢が阿求さんに尋ねた。考えている事は同じだったみたいだ。
「気になりますか? これはご挨拶とは別で、寺子屋に持っていく教科書です。いつもなら使用人に持っていってもらうんですが、せっかく外に出るなら、顔を出しに行くついでに持っていく事にしたんです」
なるほど、そういう事なら……
「阿求さん、その荷物持ちますよ」
「でも、そんな、悪いですよ」
俺は彼女に気にする事ないと言い聞かせながら、無理矢理荷物を受け取る。女性が大変そうにしているのに、黙って見過ごせないからな。
阿求さんは戸惑った様子を見せていたが、頭を下げてお礼を言った。
歩くこと数分。先に着いたのは、里の子供たちが勉強をする寺子屋。ここには初めてくるが、時間的には昼過ぎ。授業はやっているのだろうか?
「ごめんくださーい」
阿求さんが扉を開いて呼びかける。気配的には、子供たちはいなさそうだ。
「はーい。おや、これは珍しい。阿求じゃないか。それに久しいな、幻真。元気にしていたか?」
阿求さんの声を聞いて出てきたのは、寺子屋で教師をしている慧音だった。確かに久しぶりに会うな。最近、人里に来る機会が無かったから余計だ。
彼女がすんなりと出てきたことを考えると、今は授業をやっていないのか、それとも今日自体授業がないのか。
彼女の言葉に軽く言葉を返し、背負っていた風呂敷を一度解いて彼女に渡した。風呂敷の中身については、阿求さんが話した。
「中は頼まれた教科書よ」
「これは……わざわざありがとう」
「そういや、妹紅はいないのか? たしか、彼女もここで先生をやっているんだろ?」
俺は妹紅のことについて思い出し、彼女に聞いてみる。
「ああ、妹紅なら迷いの竹林にいる。彼女に関しては、先生といっても偶にしか来ないんだ。普段は竹林に迷った者たちを護衛するボランティアをしていてな。休みの日は特にそうだ。まあ、事務仕事が苦手なことに原因があるかもしれないが」
彼女は笑って説明した。そうだったのか。よくよく考えてみると、妹紅とも全然話したことがないし、なんせ会わなすぎる。まあ、人それぞれ活動場所は違うだろうし、仕方のないことかもしれないが。
しかし、悔しいな。こう何年も幻想郷に住んでいるのに、まだまだ詳しく知らない人がいるなんて。
「そういえば、お前たちはもう行ったのか? 命蓮寺」
「いえ、これから行くところ。よかったら、慧音もどう?」
「すまない、まだ仕事が残ってるもんでな。暇ができたら挨拶に行こうと思う」
慧音と阿求さんは、そんな会話を交わす。取り敢えず、慧音に荷物を届けたということで寺子屋を後にして、命蓮寺へ向かうことにした。




