第120話 色欲との戦い
〈犬走椛〉
みんなと別れてから数分後。目の前に聳え立つ大きな扉を、私と刹那さんは見上げる。
私はふと、先程助けてもらった事を思い出して刹那さんに声を掛けてから礼を言う。
「あの……改めて、先程は助けて頂きありがとうございました。もう一度お礼を言っておきたくて……」
「気にしない気にしなーい。ほら、気引き締めて! この先、敵がいる事に間違いはないと思うから!」
刹那さんは明るく振る舞う。暗いままでは駄目だろう。頷いて返事をし、扉へと視線を戻す。覚悟を決めて来たんだ。今更、怖気ついていられるか。
あの大きな扉の両脇にあった松明には、桃色の炎が灯っていた。恐らくこの先に待つのは、色欲の悪魔……なんにせよ、油断はできない。
扉を開いて中へ入る。私は天狗式・秋松月を構える。一方で、刹那さんは武器を構えなかった。どうやら、臨機応変で武器を使った方が彼女にとっては戦いやすいらしい。
大体真ん中辺りまで進んだだろうか。そのタイミングで扉は勢いよく閉まり、真っ暗闇な空間へと閉じ込められる。焦ることなく周りを見渡していると、高い壁に掛けられた松明に桃色の色欲の炎が灯った。そのせいか、余計に緊張感を感じさせられる。
辺りを見渡していると、スタッと誰かが着地した音が近くで聞こえる。今見ている方では無い。なら、後方——
「そこッ!」
素早く後方に向けて刀を横に振り、赤色の弾幕を飛ばす。しかし、その弾幕は軽やかに躱されてしまったようだ。反撃に備え、刀を構え直す。
すると、隣で金属物を交える音がする。其方に視線を向けると、刹那さんとフードを被った人物が剣を交えていた。
刹那さんが持っているのは、水短剣・惨殺。高水圧カッターを噴出する事で刀身が大きく伸びるとのこと。確かに、短剣の先端から水で出来たカッターが噴出していた。
一方で、フードを被った人物はなぜか刃が無い剣を使っていた。
彼らは一度距離を取り、助走を付けてお互いに斬り抜く。攻撃は刹那さんの方だけ入り、相手のフードが斬り破かれた。
フードの人物はどうやら男性で、彼の瞳は桃色に染まっていて、自我を失っているようだった。恐らく、色欲の感情に操られているのだろう。彼の口元がニヤリと動き、白い歯を見せた。
すると、突如刹那さんが頭を抑えて苦しみ始める。一体どうしてしまったのか。だが、誰の仕業かはわかる。彼の仕業だ。
「クックック……クハハハッ!」
彼は奇妙に、高らかに笑い始める。その隙を突き、懐目掛けて地を蹴って距離を詰める。刀を前方に持ってきて横に薙ぎ払い、彼を飛び越えるようにして宙を舞い、挟む形にもっていく。
弾幕は直撃して爆発。更に背後から刀を振って攻撃する。手応えはあったはずだ。その場を離れようと爆煙の中から刀を引っ張るが動かない。奇怪しい、一体どうなっている?
それを理解する前に、ガラ空きとなっていた腹部を蹴飛ばされ、壁へと背中を強打する。勢いが強すぎたせいか、致命傷が大きい。
「もぉ終わりかぁ? ツマンナイなぁ。安心しなぁ、殺しやしないからよぉ……その代わり、楽しませてもらうけどなぁ……ぐふふ……」
ヤラシイ笑い方。色欲に飲まれて欲深くなっているのか。体が動かない。もうダメかと思ったその時、彼の左腕を高水圧の水が貫いた。
その途端、彼は苦しみだし、痛みに捥がく。穴の空いた腕を抑えるが、出血は止まらない。彼の足元には、血が滴り落ちる。
彼の左腕を貫いたのは、高水圧の水。つまり、正体は刹那さん。水鉄砲・暗殺と呼ばれるスナイパーライフルを、かなりの近距離で撃ったのだった。
数分も経たない内に彼は倒れ、また反動が大きかったのか、刹那さんも倒れてしまう。私は直ぐに彼女に寄り添った。
抱き上げると、彼女は鼻から血を出して気絶していた。ひとまず壁際に運び、彼も運ぼうとしたその時——
「ほぅ。面白い小娘だ」
突如現れたせいか、驚きと共に冷汗が額から流れる。その声は背後から聞こえた。恐る恐る振り向くと、そこには桃色髪の少女が立っていた。そして、彼女が何者なのか確定付けたもの。それは、彼女の瞳が色欲に飲まれていた彼の瞳と一致する桃色だった事。つまり、彼女は七つの大罪の色欲の悪魔だというわけだ。
直ぐに刀を抜くも、彼女の双剣によって両腹を斬り裂かれる。そこから血が噴出し、呆気なく膝を突く。なんて無力さなんだろう。ここで負けてしまうのか……?
「さぁ、お主も我の隷となり、忠誠を誓うなり」
私の目前に、悪魔の手が添えられる。もうダメかと、そう思ったその時——
「おっと、そうはさせねぇぜ?」
その声が聞こえた直後、彼女の体は吹き飛ばされていた。すると、彼女を吹き飛ばした人物が私の前に立ち、手を差し伸べる。私はその手を取った。
「どう、して……」
「可愛子ちゃんがピンチなんだ。眠ってなんていられないでしょ〜? それに、洗脳から助けてもらったんだし、恩はしっかり返さないとね。あっ、俺は時龍。君のことは知ってるよ」
少々お気楽な話し方をする彼だったが、私はどこか安心感を覚えた。私のことを知っていることにも疑問を覚えたが、今は聞いている暇はない。
すると、先程吹き飛ばされた悪魔が壁際で尻をつき、口から出る血を拭う。そして双剣を構え直し、それに色欲の炎を灯して此方に突撃してくる。
「もみっちゃん、まだやれるかい?」
「そのあだ名はなんですか……私は大丈夫です。貴方に合わせます——よッ!」
突撃してくる悪魔に対して弾幕を飛ばし、簡易防御壁を作る。それらは斬り裂かれ、彼女の猛威は止まらない。直ぐに彼女は私の目前まで詰めて来て、今にもその猛威を振るわれそうになる。
「しゃがめ!」
私が悪魔の気を引いていた間に、私の後方に回っていた時龍さんの指示を実行。そして彼は攻撃を放った。
「奥義『龍怪刀』」
二つの剣から放たれた斬撃は交差し、高速で悪魔の元へと辿り着いて数百もの斬撃が襲った。その斬撃はとても凄まじく、悪魔の姿は跡形も残らなかった。
「悪事をする子にはお仕置きだよ、アスモデウス……」
私はその様子を棒立ちして見ていた。言葉が出なかった。なんと言えばいいのか分からなかった。ただ、眺めていただけ。と、思い出したかのように私は刹那さんへと駆け寄る。
彼女の体を揺さぶり、意識があるか確認する。少しして、彼女は目を覚まして辺りを見渡す。
「ここは……」
「よかった、目が覚めましたか。時龍さん救出に、悪魔退治。作戦は成功です」
「油断しちゃダメだよ〜? 恐らく複数人で来たと思うけど、まだ他の悪魔は残っていると思うからね〜」
一番手強いとされるのが傲慢の悪魔、ルシファー。他の人たちを信じていない訳ではないけど、二人のペアだけで勝てるのだろうか。私たちも早く合流した方がいいかもしれない——
「おっと、無理しちゃダメだよもみっちゃん。君は両腹を斬られている。傷は浅かったみたいだけど、致命傷が大きい。実際、俺は君を蹴り飛ばしちゃったしね〜。彼がいれば、回復してもらえるかもしれないけど」
それだけ話すと、時龍さんは私を背負った。困惑して、つい動揺してしまったが、今は彼に任せよう。私はそのまま、意識を失った。
「——ゴホッ、ゴホッ……」
突如、煙幕の中から現れた一人の人物。彼はヨロヨロと歩き、近くの壁に靠れ掛かる。そして、過呼吸をして息を整えようとする。
一旦落ち着いた彼は、自身に治癒魔法をかけて回復を試みる。どうやら、致命傷を負っていた模様。
「危なかった……あの時、転移と炎の障壁を使っておいて助かった……若干ダメージは大きかったけど、生きていただけマシかな……」
一人で呟く彼の手には、月のペンダントがあった。それを眺め、強く握る。まるで、何かを誓っているかのように。
彼、ニックはゆっくりと立ち上がり、前方に見える大きな扉へと注目する。暗がりでよく見えないため、恐る恐る近付く。すると、火が付いていなかった松明に炎が灯る。それは、灰色の炎だった。
奇妙な炎の色を不審に思いながらも扉へと近付く。よく見ると、その扉には術が掛けられており、開けられなくなっていた。まるで、何かを監禁するかのように。
「一体なんなんだ……」
迂闊に近付くべきではない。彼の本能がそう感じ、その場を恐る恐る離れていった。
灰色の炎……怠惰の赤い炎、色欲の桃色の炎、強欲の青い炎、傲慢の金色の炎、憤怒の黒い炎、嫉妬の緑の炎、そして……暴食の紫の炎。これら七つの大罪の象徴である炎の色に加え、灰色。その色に、彼は心当たりがあった。
七つの大罪は、元々八つあった。当時は嫉妬がなく、虚飾と憂鬱という二つの罪が存在した。だが虚飾は傲慢へ、憂鬱は怠惰へとそれぞれ一つの大罪となった。つまり、今はその二つが存在してはならない。
もう一度確認すべく、彼は呪文が掛けられた扉へと戻って行く。しかし、その扉は妙な事になっていた。
この扉に術が掛けられているのは、扉に謎の模様が浮かんでいたから知ることができた。だが、その模様が段々薄くなってきている。
もしかすると、術が解かれて封印されているものが解き放たれるかもしれないという事。厄介な敵がもう一人増えてしまっては、不利になりかねない。
ニックは至急、封印の術を掛けようと、今掛けられている術を解読しようとするが、悪魔の使う文字であるため、困難に陥る。その間にも、術は弱まっていく。
急遽、仕方なく別の封印型の術で上書きする。それが上手く行ったかのように見えたが、刹那、巨大な扉が爆発と共に吹き飛ばされ、彼の身も同様に吹き飛ばされた。
一瞬何が起こったのか、吹き飛ぶ状態のまま彼は思考を巡らせる。術が失敗したのか……否、弱まった元の封印と、自身の封印では対応仕切れず、その隙を狙って中に封じ込められていた何者かが内側から破壊。
彼は宙に吹き飛んだ体勢を整え、上手く着地する。同時に、自身の前に結界を展開。次の攻撃に備えた。しかし、攻撃が来ることはなく、扉があった場所の奥から、小さな人影が彼の瞳に映った。
「厄介な事になってしまった……!」
ニックは怒りと悔しさから、拳を握った。




