就職から出向までの道のり
1990年、世間がバブル景気の頃、コンピューターの専門学校の学生だった三国敏彦は、会社の面接に行っていた。
その会社の名前は北海道情報技術サービスという会社だった。
面接官の加東という専務が、会社の説明をしていた。
加東の説明では、卒業後東京の会社に三年出向が条件だった。
この頃は、まだインターネットが普及していない為、最新の技術を見たり習得するとなると東京に行くしかなかった。
敏彦は承知した上でこの会社の面接に来ていた。
「三年我慢して向こうで働けば戻れるんだ。」
自分の心の中でそう言い聞かせながら加東の説明を聞いていた。
この選択が敏彦の人生を変えてしまうとはこの時敏彦は全く思わなかった。
敏彦は何よりも東京での生活に胸を踊らせていた。
面接の結果、敏彦は合格しその会社に入った。
会社の説明では卒業後にすぐに東京に行くこととなった。
出向先は東京に本社がある大手の会社で第一日建プラント工業株式会社というところだった。
敏彦はそこのコンピューター部門であるCAD部に出向になった。
CADとは、computer aided designの略語であり、コンピューターで建築物の設計を支援することである。
常務の加東の話によると出向先の会社は、工場の設計をCADで行っているとの事で工場の現場毎にプロジェクトチームがあると言う。
敏彦は研修から出向までの間、関連会社に行くことを人事担当の矢上課長から告げられた。
「三国君は、出身は茂寄町だったね」
「はい、そうです」
「私たちの関連会社である茂寄システムサービスに行き、東京へ出発までの間はそこで研修して下さい。
「はい、わかりました」
敏彦は矢上課長の指示で出向までの間、茂寄システムサービスに研修に行くこととなった。