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わたしはヴィクトル殿下が好き。
――と自覚してから三日。
あれから殿下とはまだきちんと話せていない。というより、怖くて話しかけられない。
今までの自分の態度を思えばあまりに酷くて頭を抱えてしまう。
好かれる要素がまったくないもの。何をやってたのよ、わたし。
「エリカ、行くわよ」
「え? あ、ええ」
今日は王宮での茶話会の日。
王宮からの迎えの馬車に同乗した女の子たちの浮かれたおしゃべりを聞くともなしに聞きながらぼんやりしていたら、いつの間にか到着していたみたい。
しっかりしないと。これからあのお庭に行くんだから。
王宮に仕える侍従に迎えられてみんなが馬車を降りていく。
気が付けばわたしは最後になっていて、踏み台に足を下ろそうとしたところで差し出されたのは侍従ではなく殿下の手。
「――ありがとうございます。殿下」
「王宮へようこそ、エリカさん」
連なった馬車で一緒に来たはずなのに、主人然として迎えてくれる殿下がおかしくて、思わず笑ってしまった。
すると殿下も楽しそうに笑い返してくれる。
その笑顔があまりにも眩しくて、リザベルを捜すふりをして目を逸らした。
どうして今まで平気でいられたのかわからない。
繋いだ手から熱が伝わってきて、体中が熱くなる。
「あの、リザベルと行きますから……」
そう言って手を放し、少し先のリザベルへと走り出した。
不自然な行動なのはわかっているけれど、ちょっと気持ちを落ち着ける時間が必要なのよ。
「いいの? せっかく婚約者がエスコートしてくれていたのに」
「今はムリなの。まだ心の準備ができていないから」
「そんなこと言っていると、〝カラスに魔法石をさらわれる〟わよ。ほら、カラスが来た」
「え?」
リザベルがさり気なく視線で示す方に振り向けば、ルイーゼさんが駆けて来ていた。
てっきりもう帰国したと思っていたけれど、まだいたのね。
ルイーゼさんはみんなが見ている前で、まるで飛びかかるように殿下に抱きついた。
どうやら転びかけたみたい。かなりわざとらしいけれど。
「……リザベル、わたし嫉妬しているらしいわ。すごく苛々するんですもの」
「あら、それは当り前よ。でもそれをエリカが自覚したことにわたしは驚きだわ」
「そうよね。今まで気付かなかったから……というより、認めたくなかったから」
ついこの前までギデオン様が好きって騒いでいたのに、こんなに早く心変わりするなんて。
移り気というか、浮気っぽいようで気が引けてしまう。
「それに、今まで散々な態度を取っておいて、いきなり好きだなんて図々しいわよね。もちろんリザベルの言う通り、話し合うべきだとは思うの。だけど、何を言えばいいのかわからなくて、せめてもう少しいい印象を与えてからにするべきじゃないかとか、そもそも謝罪するべきなのかもとか……とにかく混乱しているの」
「そうみたいね。まあ、悩むだけ悩んでみたら? それは無駄な悩みじゃないもの。これこそ青春じゃない?」
「青春……結婚っていう一生の問題だけれど……そうね、うん。確かに青春だわ」
高等科での目標は青春を謳歌すること。
今のわたしにはリザベル以外にもコレットさんやルナさん、オーレリーさんなどたくさんの友達がいる。
そして、楽しくて浮かれて苦くて切ない恋を味わったわ。
「でもやっぱり、あれだけギデオン様が好きって言っていたのに、しかも殿下はそれを知っていて――」
「ええ? エリカさんって他に好きな人がいるんですかぁ? こんなに素敵な婚約者がいるのにぃ? ありえなーい。信じられなーい。殿下はお嫌じゃないんですかぁ?」
わたしとリザベルの会話に突然割って入ったのはルイーゼさん。
相変わらず殿下の腕にぶら下がっているのね。
それにしてもいったい今の会話のどこから聞かれたのかしら。
おそるおそる殿下を窺うと、いつもと変わらない爽やかな笑顔。
「この婚約に、僕の感情は関係ないからね」
たったそれだけ?
そんなにはっきり政略だってわかるように言わなくてもいいじゃない。
せめてルイーゼさんの前でくらいは取り繕ってくれてもいいのに。
「殿下がお気の毒ですぅ」
「あら、ルイーゼさん。クラウゼン伯爵家のご令嬢ともあろう方が、このようなことで騒がれるなんて、わたしのほうこそ信じられませんわ。わたしたちにとって結婚に愛だの恋だのなんて感情は邪魔でしかありませんのに」
唇を少し尖らせてぎゅっと殿下の腕にすがるルイーゼさんの甘えた仕草に苛立って、つい冷然と言い放ってしまった言葉。
そんなわたしの態度に殿下は驚いたように軽く目を見開いた。
どうして驚くの? 以前、殿下自身が口にした言葉なのに。
だからそうやって平気でルイーゼさんと腕を組んでいられるんでしょう?
「では、失礼します」
腹立ちを隠して優雅に微笑んで膝を折り、くるりと背を向けてまた歩き始めるとルイーゼさんの耳障りな声が聞こえた。
好きに言えばいいのよ。冷たいとか、怖いとか。
みんなのあとに続いて侍従の案内する庭へと向かいながらしばらくすると、リザベルが体を寄せて小さく囁く。
「かっこよかったわね」
「ううん、よくない。間違えた。大失敗。わたし、殿下の好感度を上げるべきなのに、〝イザベラ〟で対応してしまったわ。どうしよう、リザベル……」
冷静さを取り戻せば、自分がどれだけ嫉妬してどれだけ失態を演じてしまったのかに気付く。
なんて可愛げのない。必要なのはヒロインで悪役じゃないのに。
これじゃ、好きになってもらうどころか、嫌われてしまうわ。
「あら、それなら簡単よ。間違えたのなら正せばいいんだから」
「それは……答えは簡単だけど、実行するのが難しいのよ……」
でもこれも自業自得。
ちらりと殿下を窺って、目が合いそうになって慌てて逸らす。
ああ、もう。自分で自分を追い詰めてどうするの。
これはどうにか挽回しないと。




