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「大丈夫?」
「――はいっ!? な、何がですか?」
「いや、何だか少し様子がおかしいから」
「いいえ、全然、まったく。大丈夫です!」
「……うん。それならいいんだけどね。では、行こうか?」
「は、はい」
殿下に問われて慌てて答えたものの、本当は大丈夫なんかじゃない。
ちょっとぼうっとしてたのは寝不足のせい。
最近はベッドに入っても色々考えてしまって眠れないのよね。
でもそんなことを寝不足の一因である殿下に言えるわけないもの。
それに隣に座るマイアは何も聞いてませんって顔で澄まして座っているけれど、絶対心の中で笑っているんだから。
今日はレリアの結婚式。
ケインスタイン王家の紋章が入った馬車が式場の前庭に入って止まると、外からは慌ただしい気配が伝わってきた。
マイアが急いでわたしのドレスを整えてくれる。
よし、頑張らないと。
殿下が先に下りるとわっと歓声が湧いて車内にその興奮が届く。
正式に殿下と人前に出るのはハルバリーでの晩餐会以来。
だから緊張して胸が痛いくらいにどきどきしている。
「エリカさん」
差し出された殿下の手に、震えを抑えられない手を重ねる。
殿下が励ますように強く手を握ってくれたけれど、目を合わせることができない。
でも大丈夫。ちゃんと、殿下の婚約者として振舞ってみせるわ。
それからは新郎新婦のご両親をはじめとした出席者の方々から挨拶を受けた。
誰が誰やらわからないくらいだったけれど、とにかくレリアのご両親にはきちんとお祝いが言えてよかった。
やがて式が始まるとの合図で式場内に入り、参列席に座る。
そして宣誓者の先導で新郎のロドルフさんと新婦のレリアが並んで入ってきた。
純白のドレスに身を包んだレリアはため息が洩れるほどに綺麗。
新郎のロドルフさんは優しそうではあるけれど、やっぱりかなり年上よね。
でもレリアは幸せそうで、ちょっと心配していたからひと安心。
式は宣誓者の厳かな言葉が続き、みんな黙して耳を傾けている。
このあと二人の宣誓が行われて、夫婦となるのよね。
結婚式に出席するのは初めてだけれど、ずっと憧れていたから流れはちゃんと知っているもの。
わくわくしながら二人の宣誓を見守り、代表して宣誓者が二人を夫婦だと認めると、参列席から拍手が起こった。
わたしも大きな拍手を送る。
だけどレリアとロドルフさんはその音が聞こえないかのように見つめ合い、そして――。
って、え? え? え? えええええ!?
い、いい、いま! 今、キスしたー!?
でで、でもでも! みんな驚いてないし、普通なの!?
「エリカさん、大丈夫?」
「へぁい!?」
「……どうしたの? 顔が赤いけど」
「――っ、っ!」
友達のキスシーンに驚いているところに殿下に声をかけられて、すごく変な返事をしてしまった。
恥ずかしくてもう声も出せなくて、ただ首を振る。
殿下はまた何か言いかけたけれど、式場を出るレリアたちが近づいてきたのでそちらに向き直った。
「あ、あの、わたしちょっとリザベルに話があるので……」
「うん、わかった」
レリアたちが通り過ぎると、とにかくこのよくわからない気持ちをリザベルに聞いてもらいたくて、そそくさとその場から離れた。
それなのに殿下は律義についてくる。まあ、同伴者として当然なんだけど。
でも殿下には聞かれたくない。
「リザベル」
「いいお式だったわね、エリカ。このあとは――」
「ちょっと話があるの。二人だけで」
「やあ、エリカさん。久しぶりだね。いつもリザベルと仲良くしてくれてありがとう」
「こんにちは、おじ様。お久しぶりです。少しリザベルを借りますね」
ぐいっとリザベルの腕を組んで、アジャーニ子爵にどうにか微笑んで挨拶。
すぐに察してくれたリザベルはわたしと一緒に式場を出て、少し先にある木陰へと向かった。
殿下は目線でわたしたちの行方を追っていたみたいだけれど、それほど離れなかったからか、子爵と何かを話し始める。
その周囲には殿下に近づきたい人たちがうろうろ。
だけど殿下はみんなを寄せ付けないだけでなく、立ち位置的にわたしたちへと近づくことができないようにしてくれているみたい。
殿下のこういうところはすごく優しいと思うわ。
距離を置くと不思議と冷静になれて、殿下を見ているとリザベルにくいっと腕を引かれた。
「それで、どうしたの?」
「あ、うん。えっとね……さっきのお式なんだけど……」
「お式? 何かおかしなところがあった?」
「おかしなところと言うか……最後にその……キ、キスしたからびっくりして……」
「びっくり? キスが? 普通じゃない?」
「そうなの!?」
「え? ええ。式の流れとしては普通だと思うわ。わたしの姉の結婚式でもあったし」
あっけらかんとリザベルに言われてショック。
わたしの憧れていた結婚式では、人前でキスすることなんて予定になかったのに。
「でも人前でするなんて……」
「あら、仲の良い夫婦ならよくあることじゃない? エリカのご両親はされないの?」
「そ、それは……たまに……。でも結婚式でなんて、好きでもない相手かもしれないのに?」
「その場合は振りだけってこともあるんじゃない? そもそも、エリカが知らなかったなんて、それがわたしにはびっくりだわ。物語でもよくあるシーンじゃない。めでたし、めでたし。の前に」
「あれは物語を盛り上げるためのものだと思ってたのよ。まさか、本当に人前でキスするなんて……」
「まあ、そんなに嫌なら、殿下には振りだけしてもらえばいいんじゃない?」
「殿下!? どうして殿下!?」
「どうしてって、このままだと殿下と結婚することになるでしょう?」
「ムリムリムリ! そんなのムリよ!」
「結婚が?」
「キスが!」
顔に熱が集まり過ぎているみたいで、耳まで熱い。
リザベルはそんなわたしの顔をじっと見て、それから首を傾げた。
「キスで恥ずかしがっていたら、そのあとが大変じゃない?」
「そのあとって?」
「花嫁の義務よ」
「花嫁の義務……って、何? 何があるの?」
「さあ? それはわたしもわからないわ」
「ええ? 何でわからないの?」
「それが、誰も教えてくれないのよ。くすくす笑うだけで、結婚すればわかるわよって」
「でも大変なことじゃないの? それなのに教えてくれないなんて酷いわ」
新たな問題発覚に動揺せずにはいられない。
義務だなんて、絶対難しいことに決まっているわ。
それなのに何もわからないなんて。
「そうよね。それなら初めから言わないでほしいのに、サラ姉さまは意地悪なのよ。だけどレリアなら教えてくれると思うわ。だから、しばらくして落ち着いたら、訊いてみるつもり」
「なるほど。じゃあ、わたしも手紙を書いて訊いてみるわ」
解決への糸口を見つけてほっとしたところで、披露宴の開始を知らせるベルが鳴らされた。
その音を聞いて、殿下と子爵が迎えに来てくれる。
「エリカさん、行こうか」
「……はい」
差し出された腕に手を添えて、礼儀正しく顔を合わせて微笑もうとしたのに。
なぜか殿下の唇を見てしまってぱっと目を逸らしてしまった。
ダメ。口から心臓が飛び出しそう。
わたしはひょっとしたらおかしいのかもしれない。
これまで平気でいられたのが嘘みたいに、今は殿下の隣に立つことが難しいなんて。
それでも、忙しい殿下がこの場に来てくれたのはわたしがお願いしたからだもの。
とにかく今日一日を乗り切らないと。




