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文化祭の翌日。
学院はお休みで、今日は一日ゆっくりしようと部屋で刺繍をしていた時だった。
突然の殿下の訪問を伝えられてすごくびっくり。
急いで支度をしながらも、何かあったのかと不安になる。
(レオンスお兄様が殿下をお連れになるなんて、やっぱり何かあったのよね。って、あら? レオンスお兄様は前にも誰かをお連れになって、わたしにわざわざ面会を求めたような……んん?)
何か忘れているようですっきりしない。
それでも殿下をお待たせするわけにはいかなくて、居間へと向かった。
「こんにちは、殿下。ようこそいらっしゃいました」
「……うん。ごめんね、急に」
「いいえ。特に用事があったわけではありませんから……」
「母さんには席を外してもらったんだ」
応えながらも、お母様の姿を目で探していたわたしに、レオンスお兄様が説明してくれた。
ひょっとしてフェリシテさんのことで何かあって、教えに来てくれたのかも。
そう思い至ったものの、とにかくお母様の代わりに女主人として、メイドが運んで来たお茶を淹れる。
「ありがとう、エリカさん。昨日もたくさんお茶を淹れたのに、悪いね」
「これくらいかまいませんわ。殿下も昨日はお疲れ様でした。お陰様で一等が取れましたわ。ありがとうございます。ご褒美っていったい何でしょうね?」
「あ……うん、何だろうね」
期待を込めたわたしの言葉に、殿下は歯切れ悪く答えた。
ご褒美に興味ないのかしら。
そこにジェラールお兄様が戻ってきたと、クレファンスに告げられてまたびっくり。
お家に帰って来てくれたのは嬉しいけれど、珍しいわ。
「殿下、遅くなり申し訳ございません。着替えもせずにこのような格好で失礼いたします」
「いや。こちらこそ疲れているだろうに、すまない」
「ジェラールお兄様?……お帰りなさい」
「ただいま、エリカ。ありがとう。でももうかまわないでいいから、座ってくれないか?」
「……はい」
新たなカップにお茶を注いで差し出すと、ジェラールお兄様は疲れた様子で笑みらしきものを浮かべた。
このただならぬ状況にますます不安になる。
その気持ちが表に出てしまったのか、隣に座るジェラールお兄様が力付けるようにわたしの手を握ってくれた。
「実はね、エリカ。昨日、僕の研究室に何者かが侵入して、治癒石とその研究に関する資料を盗まれてしまったんだ」
「そんな……」
「ごめんね。せっかくエリカが暗黒の森に行ってまで持って帰ってくれたのに。その大切な治癒石を盗まれるなんて――」
「お兄様やルイにお怪我はないんですか?」
居直り強盗とか、本で読んだことがあるわ。
お怪我はないかと心配になって、上から下から探るように見ると、ジェラールお兄様は困ったように笑った。
「僕もルイも大丈夫だよ。僕たちがいない隙に侵入したらしい。石は金庫に入れていたんだが、あっさり破られてしまって……本当にごめん」
「なぜ謝られるのですか? お兄様は悪くありませんのに。治癒石が盗まれてしまったことは残念ですし、お兄様の研究資料が盗まれたのは悔しくて腹が立ちますが、とにかくご無事で良かったです」
「――ありがとう、エリカ。でもね、問題はそれだけじゃないんだ」
「そうなんですか?」
もし治癒石が市場で取引されるなら、すごい値段になるだろうということはわかるわ。
それでハルバリーの官庁で、せっかく逃げ出した盗掘師が狙ってきたんだろうし。
悪い人にお金が渡るのは許せないけれど、薬だから結果はいいことになるのよね?
それとも……。
「お兄様、まさか治癒石は毒にもなるのでしょうか?」
「いや、今のところ毒になるような結果は出ていないよ。ただね、研究資料にはエリカに聞いたことも書いてあるんだ」
「わたしが話したこと……?」
お兄様の答えにほっと胸を撫で下ろしたけれど、続いた説明に首を傾げる。
何を話したのかあまり覚えていなくて、問題になっていることがわからない。
「資料には治癒石が黒ラド病だけでなく、失力症にも効果があり、解毒作用もあることが書いてある。そして、治癒石の入手経路としてエリカのことも書いたんだが、覚書き程度だから犯人は詳しく知りたがると思うんだ」
なるほど。治癒石の入手方法についてね。
でも暗黒の森や深淵に関しては触れていないみたいでよかった。
森が荒らされてしまったら大変だもの。
「この先、犯人はエリカさんを狙って来る可能性が大きい。治癒石を新たに手に入れるためにはエリカさんがカギになるからね。そしておそらく、今回のことにはベッソン商会がかんでいる」
「ベッソン商会が?」
今まで黙っていた殿下が発した言葉はショックだった。
わたしが狙われるかもしれないことも怖いけれど、ベッソン商会が盗みに関わっているなんて。
「今、世界はあらゆる魔法石の発掘と研究を進めている。その情報は国家機密とされているから、新しい情報はそれだけお金になるんだ。そしてこのケインスタイン王国は魔法石の産出量も研究も他国より一歩も二歩も抜きん出ている。だが妃殿下派とベッソン商会のせいで、情報も石も流出を防ぐことが難しくなっているんだ」
「ですが、妃殿下派の方たちだってこの国の……」
「お金と権力が絡むと愛国心というものは役に立たないんだよ。とにかく、エリカさんがこのまま学院に通うのなら、少し窮屈な思いをしてもらうことになるよ。何事も用心に越したことはないからね」
「殿下も……通われるのですよね?」
「今のところはそのつもりだよ」
本当は休学か退学をしたほうがいいのよね。
そのほうが護衛も守りやすいでしょうから。
だけどやっぱり学院に通いたい。
それに殿下はわたしよりも一つ年上なだけなのに、すごく大変な思いをしているから。
せめて学院にいるときくらい、息抜きをしてほしい。
マティアスや他のクラスの男子といるときは、年相応の男子に見えるもの。
もちろんユリウスさんがいるから油断はできないけど。
「学院には、通うつもりです」
「うん、わかった」
「あの、ごめんなさい。ご迷惑をおかけしてしまって……」
「エリカさんが謝ることは何もないよ。今回のことは王宮側の失態だからね。謝罪が必要なのは僕のほうだ」
「ですが、ユリウスさんのことでわたしが騒いでしまったから、殿下たちの注意が逸れてしまったのでしょう? フェリシテさんについても、高等科ばかりに注意を向けてしまって、隙をつかれたのではないでしょうか?」
「違うよ、エリカ。治癒石と研究資料を盗まれてしまったのは僕のせいだよ。大切なものなのに、簡単な金庫でしか保管していなかったんだから」
「ですが――」
「ああ、もう止め止め! エリカ、気にするな。ジェラールもだ。もちろん殿下もお気になさらないでください。悪いのは犯人なんですから。それらは今さら言っても仕方ないでしょう。これからのことを考えないと」
「――レオンスの言う通りだな。いい加減に決着を付けないと」
謝罪合戦になりそうなところだったけれど、レオンスお兄様の言葉でみんな落ち着いた。
そうよね。後悔しても仕方ないもの。
殿下が決着を付けるというのなら、わたしも協力するわ。
もう馬鹿だからって言い訳もしない。
持てるだけの力と頭を使って、やってみせるんだから。




