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「ああ……ルイーゼ嬢か……」


 わたしの後ろでお兄様がため息混じりに呟く。

 初めて目にする方だけれど、ひょっとしてあの方がバルエイセンの伯爵令嬢かしら。


「エリカ、気にするんじゃないぞ。あの方は何でもないんだ。ただの殿下の――」

「別に気になんてしていませんわ、お兄様」


 このまま無視してしまいたいけれど、しっかり目が合ってしまったから仕方ないわね。

 リザベルと近づいてくる殿下を待っていると、なぜかルナさんはそそくさと離れて物陰から顔だけ覗かせた。

 怪し過ぎるわ、ルナさん。


「エリカさん、リザベルさん、紹介するよ。こちらの……彼女は王太子妃殿下の遠縁にあたるクラウゼン伯爵家のルイーゼさん。バルエイセンから遊びに来ているんだ。ルイーゼさん、こちらが僕の婚約者でアンドール侯爵家のエリカさん。こちらはアジャーニ子爵家のリザベルさん」


 殿下は爽やかな笑顔のまま引っ付いた女性――ルイーゼさんをさりげなく離そうとしている。

 だけど無駄みたいね。すごい吸着力だもの。


「初めまして、ルイーゼさん。エリカ・アンドールです」

「リザベル・アジャーニです」

「初めましてぇ、ルイーゼでぇす。エリカさんのお噂は、バルエイセンでもよく聞いてましたぁ。でもやっぱり噂は噂だわ。想像していたよりもずっとぉ……普通なんですねぇ」

「え、ええ……」


 ルイーゼさんの変わった話し方にちょっとびっくり。

 そっちに気を取られてしまったけれど、今〝普通〟って言われたわよね。

 普通だなんて、なんだか新鮮。


「それはきっと、ルイーゼさんが普通じゃないからではなくて? 普通は家族でもない男性の腕に抱きつくなんてできませんもの。常識的にも」

「ええぇ? リザベルさんにも言われるなんてぇ。わたしぃ、友達にもよく変わってるって言われるんですぅ。わたしは普通のつもりなのにぃ」


 リザベルの嫌味に怒らないどころか、なぜかルイーゼさんは嬉しそう。

 まさかルイーゼさんって、話に聞いたことがある〝痛い子〟なんじゃ……。


「ルイーゼさんはお心が広いのですね。変わっているなんて褒め言葉でもないのに、お友達に言われてそのように笑っていられるのですもの」


 試しにわたしも嫌味を言ってみると、ルイーゼさんは訳がわからないって顔をした。

 これはどうやら本物だわ。

 ちらりと見ると、殿下は苦笑しているだけ。


「……では殿下、わたしたちはこれで失礼いたします」

「うん。ごめんね、エリカさん。疲れているだろうに呼び止めて」


 先ほどまでの殿下はお元気そうだったのに、今は明らかに疲れて見えるわ。

 縁戚関係にあるとはいえ、他国の令嬢を無下にはできないものね。お気の毒に。


「いいえ。殿下こそお疲れでしょう? あまりご無理をなさいませんように。ルイーゼさん、さようなら」

「エリカさんってぇ、婚約者の殿下にずいぶん他人行儀なんですねぇ。まあ、わたしとしてはここでお別れは嬉しいんですけどぉ」

「本当にルイーゼさんは変わっていらっしゃるのね。では、さようなら」


 殿下に同情の言葉を送ると、ルイーゼさんから的外れな言葉が返ってきた。

 ここまでくると面白くて腹も立たないわ。

 リザベルも呆れ半分の挨拶をすませてその場を離れると、ルナさんがすぐに近づいてきた。


「あの子……馬鹿なんですかね?」

「ルナさん、はっきり言ってはダメよ。でも何て言うか……バルエイセンにはもう少しまともな令嬢はいなかったのかしら」


 リザベルが笑いをこらえながらもっともなことを言う。

 ルイーゼさんはわたしよりどうやら一つ二つ年下みたいだけれど、年齢の問題じゃないものね。

 たとえ殿下に好きな人がいなくても、ルイーゼさんに惹かれたとは思えないわ。

 それとも意外に、ああいうタイプが男心をくすぐったりするのかしら。


「ところで、ルナさん。クラスのほうはいいの?」

「あ、大変! 抜けてきたんだったわ! あの子がエリカさんの恋敵にもならないって安心しました。では、あとでうちのクラスにも来てくださいね!」


 わざわざクラスの当番を抜けてきたらしいルナさんは、リザベルの問いに慌てて駆け出した。

 でも「みんなにあの子の正体を教えてあげなくちゃ!」って、本音が走りながら洩れているわよ。

 相変わらずのルナさんに思わず笑ってしまう。

 そしてルナさんが去ると、レオンスお兄様がふうっと息を吐き出した。


「彼女の……ルイーゼ嬢の扱いには、我々も手を焼いているんだ。始終あの調子で殿下に纏わりついているんだが、まさかここにまで押しかけて来るとはな」

「見せかけとも思えませんしねえ」

「ああ。それは我々もかなり疑ったことだ。まあ、誰が相手でも油断するつもりはないが、彼女に関しては妃殿下側も困惑しているようだな」


 お兄様とリザベルの話を聞きながら、何かが引っかかってすっきりしない。

 殿下にルイーゼさん、わたしにはユリウスさん。

 わたしと殿下の婚約を壊すために仕組まれたものだとしても、あまりにも単純すぎるのよね。

 ユリウスさんとはあれから特に何もないし、警戒していたとはいえどこか不自然だわ。


「エリカ、ごめんね。ルイーゼさんのこと、わざわざ言うまでもなかったわね。余計な心配をかけてしまっただけね」

「え? ――あ、ううん。聞いていたからびっくりしなかったんだもの。お兄様も少しくらい教えてくれていてもよかったと思うわ」

「い、いや、大した問題じゃないと思ったんだよ。ルイーゼ嬢はあの通りだし、殿下も相手になさっていないから。殿下はお若いのに、本当に頼りになる方だよ。陛下もヴィクトル殿下になら……っと、ここで言うことではないな」


 考え事に夢中になるあまり、リザベルに話しかけられてもすぐには反応できなかった。

 それでも否定して冗談っぽくお兄様に話を振る。

 するとお兄様は困ったように笑ってから答えてくれた。

 それから真面目な話になりかけて、思い直したのか口を閉ざす。

 だけどその言葉は、わたしの中で引っかかっていた何かをすとんと落とした。


「お兄様、もしかして……」

「どうした?」

「あ、いえ……すみません。何でもありません」


 言いかけて、控室になっている会議室から何人かの生徒が出て来て我に返った。

 やっぱりここで話すことではないわ。

 それにわたしがすることは殿下やお父様の邪魔をしないことだもの。


「次の当番までもう少し時間はあるわよね。それまでどうする? 少し休んでからルナさんのクラスに行ってみる?」

「そうね……。二回目の当番まではあまり間が開かないし、そうした方がいいかも。混んでないといいわね」


 話題を変えてリザベルとこの後の予定を話し合いながら会議室に入る。

 もう少し人がいるかと思ったけれど、会議室には女子生徒が一人窓際に座って本を読んでいるだけだった。

 邪魔にならないように声を落として話を続けようとしたとき、女子生徒が本をぱたりと閉じて立ち上がる。

 そして振り返った彼女の顔を目にして、わたしは驚きのあまりはっと息を飲んだ。


「――フェリシテさん」




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