9
「いらっしゃい、リザベルさん」
「お邪魔しております。侯爵夫人」
「高等科はどう? もう慣れたのかしら? エリカはクラスの子達と仲良くできているかしら? ヴィクトル殿下やブリュノー公爵のご子息とは?」
「もう、お母様! 邪魔なさらないで!」
「まあ、冷たいのね。私はあなたのことを心配して――」
「それはまた今度!」
テラスから押し出すようにお母様を追い払うと、リザベルはくすくす笑ってた。
せっかく久しぶりにリザベルが遊びに来てくれたのに、お母様に邪魔されてはしたい話もできないもの。
昨日の放課後急に誘ったけど、快く承諾してくれて良かった。こうして休日をリザベルと過ごせるなんて幸せ。
「このお屋敷に遊びに来るのもひと月ぶりくらいかしら? ここから見えるお庭もずいぶん雰囲気が変わったわ」
「そうね。あの頃はまだ早咲きの花がひとつふたつ彩っていたくらいだものね。今はすっかり花景色になっているでしょう?」
「ええ、本当に綺麗ね。でも前も思ったんだけど、この庭には珍しく薔薇が植えられていないのね」
「そうなのよ。昔は植えられていたんだけどね、数年前にお庭を一新しようってことになって、薔薇は取り除いたの。まあ、わたしも実は薔薇は苦手だから、ちょうどいいのよ」
「へえ、珍しいわね。薔薇が苦手だなんて」
テラスからお母様自慢のお庭を眺めながらゆっくりお茶を飲む。
侍女は気を利かせてくれて近くにはいないし、お母様もいないしで、これでやっと周囲を気にせずに会話ができるわ。
昨日、先輩から聞いた手紙のことをリザベルと話したかったから。
「ねえ、リザベルは昨日のノエル先輩のお話をどう思った? もちろん先輩が嘘を吐いているとは思ってないけど、それにしてもおかしいわよね? 誰だか知らないけど、何が目的なのかしら?」
「そうねえ。わたしは何となくわかるわ、目的が」
「本当に?」
「ええ、おそらく先輩もわかっているんじゃないかしら? それで警告してくれたのよ、エリカに」
「警告って……」
なんだか危険な香りがするわ。ひょっとして、わたし何かの事件に巻き込まれたのかしら? 誰かに命を狙われている? だとすれば、どうしたらいいのかしら? レディ・ジューンのように颯爽と魔法なんて操れないのよ? ああ、こんなことならもっと魔法学の授業を真面目に受けておくべきだったわ。ごめんなさい、先生。次からは文句も言わず頑張りますから。
「エリカ、ごめんなさい。言い方が少し大げさだったわ。だから、命の危険なんてないから。安心して話を聞いてくれる? ねえ、エリカ?」
「え? あ、もちろんよ」
やだわ。また考えていたことが顔に出ていたのかしら。恥ずかしい。
一つ咳払いをして、紅茶を飲み、それからリザベルを真っ直ぐに見る。
リザベルはわたしの準備が整ったのを見て、にっこり微笑んだ。
「あのね、わたし達のクラスって三十人よね? それは他のクラスも変わらないんだけど、ただ男女の比率がおかしいことに気付かない?」
「男女の比率……?」
「ええ。他の二クラスはだいたい男子二十二人、女子八人ってところかしらね。多少の前後はあるけれど。だけど、わたし達のクラスは男子十八人、女子十二人ね」
「そう、なの……?」
他のクラスのことまで気にしていなかったから知らなかったわ。
リザベルはそんなわたしに呆れた様子もなく、頷いて応えてくれる。
「そうなのよ。しかもね、貴族の令嬢達が集中してるの。婚約者のいない令嬢達がね」
「……偶然じゃなくて?」
「さあ、それはわたしにはわからないけど。ただ、レゼルー伯爵家のロレーヌさん、バルテス子爵家のシュゼットさん、この二人は正等科からの友達同士ね。それと、アバック伯爵家のクラリスさん、ルッセル男爵家のフローラさん、それにわたし、アジャーニ子爵家のリザベルに、アンドール侯爵家のエリカ、あなたね。他のクラスの貴族令嬢達はみんな婚約者がいるのよ。だから偶然にしてはおかしいって、ある噂が流れてるの」
「どんな噂なの?」
「高等科入学前にね、王太子妃殿下とヴィクトル殿下の間で少し諍いがあったらしいの。妃殿下が殿下に『学院に通うことは反対です。それよりも早く結婚して、孫の顔を見せてちょうだい』っておっしゃったらしいわ。それを殿下が『まだ結婚するつもりはありません』ってお答えになったそうで、妃殿下がちょっとヒステリックになられたとか……」
「それが噂なの? ごめんなさい、リザベル。よくわからないわ」
初めての王宮でのあのお茶会から、お茶会自体にほとんど参加していなくて噂話に疎いのよね。
やっぱりお茶会での情報交換は必要なんだわ。次からはお誘いがあれば、できるだけ出席しないと。
「こちらこそ、回りくどくてごめんなさい。今のは噂が流れ始めた原因とでも言うのかしら? 要するに、今回のクラス編成は王太子妃殿下が関わっていらっしゃるんじゃないかって一部で囁かれているのよ。ヴィクトル殿下がその気になられるようにって」
「その気って……何なの、それ? 気持ち悪いんですけど」
「本当だとしたら、いい迷惑よね。わたしだって殿下に憧れはあっても、現実にはご遠慮願いたいもの。ただやる気になっている方達もいるみたい」
「そうなの? もの好きね。王家に嫁ぐなんて絶対大変だもの。わたしはのんびり田舎で過ごせるような相手がいいわ。本を持ってピクニックに行って、日向ぼっこしながらの読書。憧れるわー」
愛する人と田舎の小さな家でのんびり暮らすのよ。だけど図書室の蔵書量だけはちょっとした自慢なの。それなのにちゃんと整理整頓されていないから、わたしが『目録を作るわ』って言うと、彼が『すまないね』ってちょっと困ったように笑うのよね。
そうそう、それから大きな犬も飼わなくちゃ。
「……エリカ、そろそろ妄想はやめて現実に戻ってきて。侯爵令嬢なんだからそれは無理よ。そもそも、あなたが一番の候補なんだから。殿下のお相手として」
「まさか! そんなわけないわ! だって、お父様だってお兄様だって、『エリカはお嫁にいかなくてもいいんだよ』って言って下さるもの。『ずっと、この家にいればいいんだよ』って」
「でもお母様はおっしゃらないんでしょ?」
「それは……」
現実に戻されたばかりか、衝撃の話を聞いてカップを持つ手が震える。
王家に嫁ぐなんて、王宮で暮らさなければいけないのよ。そんなの絶対に嫌。あの意地悪な男の子だっているかもしれない。また『ブス!』って言われて笑われるに決まってるわ。
「……無理よ、わたし……」
「大丈夫よ、エリカ。今はまだ可能性の一つでしかないんだから。それに、侯爵夫人だって嫌がるエリカに無理強いしたりはしないでしょう? 本題はここからよ、ちゃんと聞いて。いい?」
「え、ええ……」
「先輩に手紙を出した犯人は、さっき挙げた令嬢達の誰か、またはその関係者じゃないかと思うの。一番のライバルであるエリカを蹴落とすためにね」
「ライバルって……まさか、殿下に対しての? そんなの……」
ライバルを蹴落とすとかって 物語の中ではよくあるけれど、まさか自分に降りかかってくるなんて思いもしなかったわ。
でも確かに〝イザベラ″は殿下に相応しくないし、女たらしで有名なノエル先輩との噂があれば、殿下のその〝候補″から外されるわよね。
「わかったわ! やっぱりわたし、〝イザベラ″になればいいのね!」
「まあ……そうなんだけど、問題はあるわよ」
「どんな?」
「以前も言ったけど、あまり〝イザベラ″が浸透してしまうと、エリカ自身の名誉が傷つくことになるわ。そこを気をつけなければならないのに、誰だかわからない犯人の邪魔が入ると、どうなるのか読めないのよね。簡単に勧めたわたしも悪かったけれど、手に負えなくなる前にやめた方がいいかもしれない」
「犯人……そこまで大げさに考えなければだめかしら? 要するに、わたしと殿下との間が何も発展しなければいいのよね?」
「言いたいことはわかるわ。でも相手は消失魔法まで使ってるのよ? 悪戯ではすまされないわ」
「そうね。でも犯人探しはしたくないの。わたし自身が気を付ければ、それでいいと思うわ。どんな噂が流れようと事実とは違うもの。だからわたしは堂々としていればいいのよね?」
「……わかったわ。エリカがそれでいいならね。でも何かあれば絶対相談してね? 力になるから」
「ありがとう、リザベル。あなたがいてくれるから、わたしは大丈夫なの。それにジェレミーとノエル先輩もいるし」
「いいのよ、エリカ。ただ、あの先輩は信用しちゃダメよ。何を考えているのか、わかったものじゃないわ」
「そう? リザベルがそう言うなら、気を付けるわ」
ああ、これぞ親友。リザベルがいてくれるから、わたしは勇気を持てるの。どんな噂だって平気よ。
もしリザベルに何かあったら、絶対わたしも力になるわ。
「リザベル、大好きよ!」
「ええ、わたしもエリカが大好きよ」