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「マイア、どう? 大丈夫? どこもおかしくない?」
「もちろんでございます。エリカ様はどこからどう見ても、素敵でいらっしゃいますよ」
姿見の前で、後ろを見て、横を確認して、正面をもう一度チェック。
そわそわしてどうにも落ち着かないから、何度も鏡を見てしまう。
お母様から午後にギデオン様が訪ねてくると聞いたのが今朝のこと。
それからはもう何をしていても落ち着かなくて、そわそわうろうろ。
午後には約束よりもかなり早い時間から支度に取り掛かって、何度も鏡をチェックしてしまっていた。
マイアはそんなわたしに呆れもせずに付き合ってくれる。
制服以外でギデオン様にお会いするのは、あの婚約披露パーティーを除いては四年ぶりだもの。
パーティーのときにはこれ見よがしにお洒落しても当然だったけれど、今回は違うわ。
いかに自然に可愛く見せられるかが大切なのよ。
別に何もしていませんってふりをして、しっかりナチュラルメイク。
もう自分が『ブス』だなんて思わない。
いつまでも卑屈でいたら、本当にそうなってしまうって本に書いてあったもの。
自己暗示って大切なのよね。
だから「わたしは可愛い、わたしは可愛い」と鏡を見ながら呪文のように唱える。
この最近の儀式も、マイアたちは温かく見守ってくれる。外では絶対にしないようにとお願いされているけれど。
今日何度目かの儀式を終えたとき、ギデオン様の到着が知らされた。
いよいよだわ! ……って、そう言えば、わたしは何をここまで緊張しているのかしら。
プロポーズにいらっしゃったわけじゃなし。
そもそもわたしに会いにいらしたわけでもないのよ。
そう言い聞かせて平常心を取り戻したけれど、なかなかお母様からの呼び出しがない。
いったいどうしたのかしら。
呪文の効力が消えてしまいそうなくらい待ったとき、ようやくお母様から居間に来るようにと呼び出された。
もう一度鏡を見て最終チェック。
よし、大丈夫。わたしは可愛い。
「――いらっしゃいませ、ギデオン様。こんにちは」
「やあ、エリカちゃん。こんにちは。お邪魔しています」
ああ、どうしよう。
ギデオン様がお家にいらっしゃるなんて、すごくすごく久しぶり。
こうして我が家の居間で微笑むギデオン様をまた見られるなんて。
でもジェラールお兄様がいなのは変な感じ。
そうよね。今までこんなことはなかったのよ。いったいどうしたのかしら。
「――でね、エリカちゃん。いいかな?」
「え?」
「まあ、エリカ。ギデオンさんがお話していらしたのに、聞いていなかったの? 失礼よ」
「ご、ごめんなさい、ギデオン様……」
大好きなギデオン様が目の前にいらっしゃるのに、ぼんやりしていたなんて最低。
お母様に注意されて、その通りで大反省。
だけどギデオン様は優しく笑って首を横に振った。
「いや、こちらこそ新学期が始まったばかりで疲れているのに、急に訪ねてごめんね」
「いいえ! わたしはすごく元気です!」
「エリカ、元気なのは十分に伝わったから、落ち着きなさい」
「は、はい、お母様……」
ううう。恥ずかしい。
これでは四年前と何も変わらない子供のままだわ。
「あのね、エリカちゃん。こちらには久しぶりにお邪魔させて頂いたから、お庭を見せてほしいって話していたんだけど、エリカちゃんさえよければ案内してくれないかな?」
「もちろんです!」
思いがけないギデオン様のお願いに、また元気良く答えてしまった。
ギデオン様はくすりと笑って「ありがとう」と言ってくれたけれど、お母様は大きくため息を吐く。
ああ、お母様の考えが手に取るようにわかるわ。
もうこれ以上はみっともない真似をしないから許して。
「では、さっそくお願いするよ」
立ち上がったギデオン様がわたしへと優雅に手を差し伸べてくれる。
ちらりとお母様を見れば頷いてくれたので、心おきなくその手に手を重ねた。
自宅の庭とはいえ、こうしてギデオン様とゆっくり散策できるなんてすごく幸せ。
「この庭を歩くのもずいぶん久しぶりだから懐かしくて嬉しいな。あまり変わっていないようだね?」
「はい、そうですね。五年前からほとんど変えていませんから。あの東屋もまだあるんですよ」
「ああ、あそこか……」
ギデオン様が困ったように笑ったのは、きっと東屋の柱にある傷を思い出してのこと。
柱にはいくつかの傷があって、レオンスお兄様とギデオン様が付けたんだってジェラールお兄様から聞いたわ。
ギデオン様が悪戯っ子だったなんて、今では信じられないわよね。
「変わらないこともあるけれど、やっぱり時間がたてば変わることのほうが多いかな。エリカちゃんもほら、こんなに大きくなった」
そう言ってギデオン様は立ち止ると、わたしの頭を撫でるように触れた。
結った髪を乱さないようにか、軽く、そっと。
記憶よりずっと近いギデオン様を前にして頬が熱くなる。
「小さかった頃のエリカちゃんは、よく泣いていたのにね。虫が怖いとか、雨が降ってきたとか、王子様が意地悪だったとか」
「え?」
わたしが覚えていない、わたしの話は恥ずかしくてまた頬が熱くなる。
だけどそこに王子様なんて出てきてびっくり。
意地悪な王子様ってまさかヴィクトル殿下のこと?
「僕はエリカちゃんが笑ってくれるなら、何でもしようと思っていたよ。そして今は、あの頃以上に強い思いでいる」
続いたギデオン様の言葉は嬉しすぎて浮かれそうになってしまう。
でも勘違いしてはダメ。これはきっと妹に対するようなものだから。
ギデオン様に促されてまた歩き始めたわたしたちは、懐かしさの残る東屋へと向かった。
「昔はここを恐ろしい塔に見立てて遊んだよね。エリカちゃんが意地悪な魔女に閉じ込められたお姫様で、僕が助け出す王子様役で」
「あの頃は……ごめんなさい。わたしの我が儘に付き合わせてしまって……」
今度はしっかり覚えていた思い出にいたたまれなくなる。
高等科生だったギデオン様には退屈などころか面倒だったでしょうに、いつもちゃんと付き合ってくださったのよね。
ジェラールお兄様は悪い魔女役で。
「謝る必要なんてないよ。僕もすごく楽しかったんだから。だけど、今の僕は王子様失格だね。お姫様に助けてもらったんだから」
「ギデオン様……?」
「治癒石を森から持ち帰ってくれたのは、エリカちゃんだろう?」
「それは――」
突然の話に動揺するわたしをベンチへと座らせて、ギデオン様は昔のように跪いた。
ここから王子様の愛の告白が始まる物語と今は違う。全然違う。
ギデオン様はどうにか否定しようと焦るわたしの手をぎゅっと握って悲しそうに微笑んだ。
「突然の婚約と、アーグレイ離宮への旅、そしてサントセ村の奇跡を知れば、どうしたって答えは出るよ。だから誤魔化さなくていい。僕はただ、エリカちゃんに感謝を伝えたいんだ」
「そんな……そんなんじゃないんです。わたしは、また我が儘で……」
何度も首を振って伝えようとしても言葉が出てこない。
ギデオン様に感謝されたくてしたことじゃない。
ただの自己満足で、それにみんなを巻き込んでしまっただけ。
「本当は、言いたいことはたくさんたくさんあるんだ。でもそれは忘れるよ。エリカちゃんがこうして元気に僕の前にいてくれるんだから」
全てが上手くいったと思ったけれど、ギデオン様に隠し通せるわけがなかった。
これは最初から覚悟していたこと。
それでもやっぱり苦しい。
「わたしは……わたしは、ギデオン様がお元気でいてくださるなら、それだけでいいんです。ですからどうか、もうお立ちになってください。このように膝をつく必要などないのです」
「違うよ、エリカちゃん。これはそうじゃない。僕にとってエリカちゃんはお姫様なんだよ。昔も、今も、これからも。恩とか義理とかは関係ない。ただエリカちゃんは笑っていてくれたらいいんだ。そのために僕は生きるんだから」
「ギデオン様……」
跪いたままのギデオン様は、頭を下げてわたしの手に口づけた。
それはまるで忠誠を誓うように。
笑わないと。ギデオン様はそれを望んでいるのだから。
そしてこれはわたしが望んだこと。
だから泣いてはダメ。大丈夫。わたしは笑える。大丈夫。




