マティアスの誤り
何なんだ、あの女。
本当に腹が立つ。初めて会ったときとは大違いだ。
あのときはまだ可愛かったのに。
あのときのことはずっと心に引っかかっている。
謝罪をしたかったが、レオンス殿には拳骨をくらって断られた。
ヴィクトルはレオンス殿に連れられて侯爵家の屋敷に行ったようだが、戻って来て以来あのときのことは口にしなくなってしまった。
俺のせいだ。
だからもう一度、二人が仲良くなれたらいいと願っていたんだ。
それが芝居で悪女を演じると聞いたときには驚いた。
実際、観に行って腹が立った。
何なんだ、あの女。
芝居だからとヴィクトルは言っていたが、入学した高等科ではろくな噂を聞かない。
そして、あの生意気な態度。
人にぶつかりそうになって、よく反論できたもんだ。
クラスメイトを泣かせていたし、苛めていたなんて話もある。
やっぱりヴィクトルは関わらないほうがいい。また傷付くことになってしまう。
それなのに何かとヴィクトルはあの女にかまう。
最悪だ。あんな女のどこがいいんだ。
そう思っていた。
だが、ヴィクトルがフェリシテ・ベッソンと話をするときに、あの、――レオンス殿の妹も同席させたが、そこでだんだんわかってきた。
なるほど。噂なんて当てにならないって知っていたのにな。
うわべしか見ていなかった俺こそが最悪だ。
「――お前の言う通りだったよ、ヴィクトル。彼女は昔と変わっていないようだな」
間違いは素直に認めるものだ。
だから正直に言うと、ヴィクトルは何も言わずに頷いただけだった。
だがその顔はとても嬉しそうで、ヴィクトルの心情をあらわにしていた。
こんなに無防備な表情はめったに見られない。
すぐにいつも通りに戻ったが。
そんなに好きなら素直に打ち明けてしまえばいいのに、何で口にしないんだ?
それとなく聞いてもしらばっくれて、わからないふりをする。
彼女の反応は何かと面白いが、からかうのは悪手だろ。
俺でもそれくらいわかる。
そして結局は、彼女が傷ついて、ヴィクトルも傷つくんだ。
それなのにまたやってしまった。
俺が余計なことを言ってしまったばかりに、ヴィクトルに対して警戒心を抱かせてしまった。
彼女に「サイテー」と言われてしまったヴィクトルは地味に落ち込んだ。
それでどうにかしようと思ったら益々悪化させてしまった。
もう俺は何もしないほうがいい。
ヴィクトルと彼女との間に距離ができてしまったまま時間は過ぎ、その間に王宮を取り巻く空気には変化が生じていた。
気が付けばずいぶん妃殿下派の力が増している。
妃殿下派の最大の強みはヴィクトルの存在だ。
たとえ本人が反意を表していても。
「――逃げられたよ、エリカさんに」
「当たり前だろう。準備室なんかに閉じ込めて、また意地の悪い言い方をするなんて」
「ああ、聞こえてたんだ?」
「最後の方だけな。彼女のような夢見がちな相手に無情なこと言ってどうするんだよ。あんな……」
――恋だの愛だのって感情は独りよがりの身勝手なものなんだから。僕たちのような立場のものには邪魔でしかない、などと。
ヴィクトル自身が自分に言い聞かせているようにしか聞こえなかった。
「初恋は実らないっていうのは真実だよね。少なくとも僕の場合は」
「ヴィクトル……」
たぶん、ヴィクトルが恋愛感情を口に出したのは初めてだ。
俺には彼女の何がいいのかさっぱりわからない。
だけどヴィクトルにとってはそんな情けない顔になるほどの相手なんだ。
「やっぱりまだ好きなのか?」
「――好きだよ。もうどうしようもないほどにね」
「そんなに……どこがいいんんだ?」
「さあ、それは僕が知りたいよ。だけど好きすぎて、時々めちゃくちゃにしたくなってしまう」
「お前、それは……」
「もちろんしないよ。それでも……つい意地悪してしまう」
「……面倒なやつだな」
「そうだね。自覚はあるよ」
呆れた俺の呟きに、ヴィクトルはまた情けなく笑った。
確かに、俺たちのような立場の者に感情は邪魔でしかない。
わかっているからこそ、ヴィクトルは苦しんでいる。
「ま、どんなお前でも、俺はお前といるのが楽しいんだけどな」
「……ありがとう、マティアス」
「礼を言うことじゃねえよ」
今さら改めて礼なんて気持ち悪い。
拳を固めて肩を殴れば、嬉しそうな笑顔が返ってくる。
本当にヴィクトルは変なやつだ。




