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あまりにも馬鹿馬鹿しい言いがかりに、淑女にあるまじき声が出てしまってちょっと焦ってしまう。
いけない、いけない。
慌てて咳払いをして誤魔化すと、顎上げてイザベラ流の傲慢な笑みをデボラさんたちに向けた。
「みなさんがわたしをわざわざ引き止めてまでおっしゃりたかったことが、それ? ほほほ。あり得ないわ。では、さようなら」
気分が悪い。本当に。
確かに今日は、昨日のことが気になって何度かユリウスさんのことを見たけれど、それをこんなふうに勘違いされるなんて。
これ以上話すのも馬鹿らしくて、強引に前へと足を進めた。
すると今度はデボラさんもすぐに通してくれる。
そして廊下へ出ると、隣のクラスの男子と話しているユリウスさんとばっちり目が合ってしまった。
明るく邪気のない笑顔を向けられたって、もう騙されないんだから。
つんっと無視したいのを我慢して、クラスメイトとしての愛想笑いを返す。
それからまた歩き出すと、すぐにリザベルが追いついてきた。
「エリカ、大丈夫?」
「ええ……。ごめんね、偉そうに先を歩いちゃって」
「そんなことは気にしないでいいのよ。わたしは〝エリカ様の参謀〟なんだから」
「ちょっ……今頃そんな呼び名を持ち出さないでよ。もうっ……」
久しぶりに聞いたリザベルの噂の名前におかしくなって、思わず吹き出してしまった。
笑うと楽しくなってきて、先ほどまでの気分の悪さも消えていく。
「いつもありがとう、リザベル」
「ううん。さっきのはあれで正解よ。本当に馬鹿馬鹿しいんだから!」
リザベルは珍しく声を荒げたけれど、すぐに大きく深呼吸をしてにっこりした。
「まあ……何かあれば恋だ愛だって話に結び付けてしまうのは仕方ないとは思うわよ。だってわたしたち、年頃だもの」
「それはそうね」
これは自分達にも自覚があるので二人で頷いてくすくす笑った。
恋に恋するなんてこともよくあるわよね。
だけどノエル先輩が以前おっしゃっていたように、恋は楽しいだけじゃなくて、苦しくもあるみたい。
ふと思い浮かべて胸がつくんと痛む。
「じゃあ、エリカ。また明日ね」
「本当にありがとう、リザベル。部活、頑張ってね」
「ええ、ありがとう。って、今日は文化祭の話し合いだけみたいだけどね」
お兄様の研究室前で、送ってくれたリザベルに手を振って別れる。
それからドアをノックすると、ルイがすぐに出て来てくれた。
「お待ちしておりました、エリカ様。今日は美味しい焼き菓子をご用意させて頂いております」
「まあ、嬉しいわ。ありがとう、ルイ」
「――いらっしゃい、エリカ。元気そうだね」
「お兄様、こんにちは。お兄様もずいぶんお顔の色が良くなったみたい」
ルイに導かれて部屋に入ると、ジェラールお兄様が歓迎してくれた。
お世辞ではなくお兄様は本当にお元気そうで、そのせいかルイまで溌らつとして見える。
「僕が元気になったとしたら、それはエリカのおかげだよ。治癒石を持ち帰ってくれたからね」
「それって、お兄様……」
「うん。おそらくギデオンは治るよ」
「っ、本当に!?」
「もちろん本当だよ。ギデオンはもう大丈夫だと思う」
――もう大丈夫。
その言葉を聞けたら、わたしは嬉しくて涙が溢れるかと思っていたのに。
実際は、はふっと変な息が洩れただけで、体から力が抜けてしまった。
「……エリカ? エリカ? 大丈夫かい?」
「――え? あっ、え、ええ。大丈夫よ、お兄様」
お兄様に声をかけられて、はっと我に返り慌てて背を伸ばす。
ちょっとぼんやりしていたわ。
「では……ギデオン様は治癒石を飲んでくださったのですね?」
「そうなんだ。何て言うか……ギデオンは実験には協力的だからね。そして次の日にはもう効果があったらしい。だけどすぐに教えなくて悪かったね、エリカ。もう少しはっきりしてから伝えようと思っていたけど、待つ身にとってはつらいものだったね」
「いいえ、それはかまわないんです。ただ……ギデオン様には治癒石の効果がわかったということですか?」
「みたいだね。ギデオンが言うには、失力症になってからずっと、お腹の奥のほうに黒い塊のようなものがあって、それが力を――魔力を奪っているような感覚だったらしい。まるで盗魔石のようにね。そして塊が大きくなるにつれ、病も進行していたと。それが治癒石を飲んでから一日で塊が消失したそうなんだ。もちろんこれはすべて感覚だから、実際には目に見えているわけじゃないし、当人以外にはわからないことだけど、おそらく間違いないだろうと」
「では……では本当に、ギデオン様は大丈夫なんですね?」
「うん。しばらくは経過観察が必要だけどね。昨日はオーレリーとやって来て、もう大丈夫だと僕からオーレリーに説明してくれとお願いされたよ。オーレリーはどうしても盗魔石で自分の力をもらってくれと頑固に言い張っていたらしい」
「まあ……」
そうよね。もしわたしが同じ立場なら、お兄様にいっぱい力をもらってほしいもの。
オーレリーさんが時折つらそうな顔をしていたのも、きっとギデオン様を心配してのことだったのよね。
うん。本当に良かった。
だんだん実感が湧いてきて、嬉しくて嬉しくてなんだかむずむずしてくる。
「お兄様、わたし、飛び上がって喜びたいくらい嬉しいです!」
「よし。じゃあ、遠慮なくどうぞ」
「え? ど、どうぞと改めて言われては……」
「なんだ。昔みたいにぴょんぴょん飛び跳ねるエリカが見たかったのに」
「それではウサギみたいではないですか」
子供扱いするお兄様に抗議してから、からかわれていたことに気付く。
だけど楽しそうなお兄様の明るい笑顔を見ると怒る気も失せて、わたしも一緒に笑った。
それからルイの淹れてくれたお茶を飲んで、美味しい焼き菓子を食べる。
お兄様が研究室に籠りがちになる前は、よく屋敷でこうして過ごしていたのよね。
あら、それなら……。
「ねえ、お兄様。なぜお兄様は今もお家に帰って来てくださらないのですか? 研究は必要でも、少しはゆっくりできるようになったのでは……?」
ふと浮かんだ疑問をそのまま口にすると、お兄様は口へと運びかけたカップをテーブルへ置いて、困ったように笑った。
「そうなんだけどね。実は治癒石があまりにも面白くて、つい時間を忘れてしまうんだ」
「治癒石が、面白い?」
「そう、とてもね。エリカが頑張ったことで、世間ではサントセ村の奇跡なんて言われているらしいけど、本当に治癒石は奇跡だよ」
「そうなんですか?」
「うん、ちょっと待って」
そう言って立ち上がったお兄様は机へと向かい、何かを手に取ってソファに戻ると、テーブルの上に灰色の石の小さな小さな欠片と翠色の石を置いた。
「エリカ、この二つの魔法石が何かわかる?」
「ええっと……灰色のものは光魔石を使い切ったものかしら? それに翠色の石は誰かの魔力が込められた盗魔石?」
「一つ目は不正解。二つ目は正解。盗魔石には僕の力を込めているんだ」
「お兄様、また無茶を……」
「ごめん、ごめん。どうしても試したいことがあってね。でもお陰で面白いことがわかったんだよ」
心配するわたしにお兄様は笑いながら謝ってくれた。
別に謝罪がほしいわけじゃなくて、無茶をしないでほしいだけ。
でもお兄様のお顔はすごく明るく輝いていて、わたしまでわくわくしてくる。
「それで、どんなことがわかったのですか?」
「実はね、この石の欠片は治癒石なんだ」
「治癒石?」
「そう。たったこれだけの欠片で、僕が盗魔石で失った魔力を補ってくれたんだよ。この欠片を握った途端に、僕は元気になったんだからね。そして欠片はこうして変色してしまったんだ」
「では……治癒石は飲まなくても効果があるということですか?」
「そうなんだ。ただ飲み込んだ方が効果があるんじゃないかとは思うんだけどね。もっと石があれば色々と試せるんだけど……」
ちょっと残念そうに呟いて、それでもお兄様はわたしを見てにっこり笑った。
「なんて、贅沢を言ってはダメだね。エリカがすごく苦労して頑張って持って帰って来てくれた大切な石なのに。しかも多くの人を、ギデオンを助けることができたんだ。こうして少しでも手にできるなんて僕は幸運だよね。ありがとう、エリカ」
「わたしは……お兄様のお役に立てて嬉しいです」
改めてお兄様にお礼を言われて、なんだかじんとしてしまった。
そんなわたしに、お兄様は翠色の石を小さな革袋に入れて差し出した。
「それでね、エリカ。この石だけど、これはエリカが持っていてくれないかな?」
「え? ですがこれはお兄様の……」
「確かに僕の力が込められてはいるけれど、以前も言ったようにもう僕の許には戻らないからね。エリカが持っていてくれたら、何かの力になるかもしれないだろう? もちろん、魔法技のテストに使うのはなしだよ」
「そ、そんなことはしません。酷いです、お兄様」
「うん。ごめん、ごめん」
お兄様は抗議するわたしに謝りながらも石を入れた革袋を持たせてくれる。
そうよ。すっかり忘れていたけれど、ジェラールお兄様の口癖はちっとも反省していない「ごめん、ごめん」なのよ。
それからもうしばらく楽しいお話をしてから、お兄様の研究室をお暇した。
もちろん近いうちに必ず屋敷に帰って来てくれるよう約束をして。
今日はお兄様と水入らずでお話ができて、本当に楽しかったわ。




