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「で、何て返事がきたの?」
「……〝もちろん喜んでご一緒します〟って」
「あらあら、〝喜んで〟ねえ……」
「それは普通に社交辞令よ、リザベル」
「でも、殿下はずっと王宮をお留守にしていらしたからお忙しいだろうし、断られるかもしれないと思っていたんだから、良かったじゃない」
「まあ、それはそうだけど……」
良かったのかどうなのか、よくわからないわ。
殿下が無理ならお父様かお兄様にお願いしようと思っていたし。
「それで、どんなドレスを着るの?」
「それがお母様が張り切っちゃって、大急ぎで新しくあつらえてもらっているの。王都に帰ってから初めての公の場だからって」
「ああ、確かに注目されるわよね」
「仕立人さんには花嫁さんより目立たないようにしてってお願いしたんだけど……」
今朝の大騒ぎを思い出すとため息が出てしまう。
だけどもう気持ちを切り替えないと。
今日は残ったわたしの宿題を片付けるために、リザベルがわざわざ手伝いに来てくれたんだから。
まあ、なぜか殿下とマティアスまで同席することになったんだけど。
それでわたしの部屋に殿下たちを招くわけにはいかないので屋敷の図書室ですることに。
だから図書室をちょっとだけ模様替え。
ソファとテーブルを他の部屋に移動させて、大きな机と椅子を四脚運び込んでもらった。
その机にわたしの天敵・数学の教本とノートを広げる。
そこにクレファンスが殿下とマティアスの到着を知らせにやって来た。
「――おい、本気でまだ何も手をつけていないのかよ。信じられねえ」
図書室に案内されて入って来た途端、マティアスが広げた教本を見て呟いた。
それを無視して礼儀正しく膝を折る。
「こんにちは、殿下、マティアスさん。ようこそいらっしゃいました」
「こんにちは、エリカさん、リザベルさん。マティアスが失礼でごめんね」
「いいえ、いつものことですから気にしていませんわ」
「こんにちは、殿下、マティアスさん。今日はエリカをよろしくお願いします」
「ちょっと……」
別に頼んでいないのにやって来たのは殿下たちなんだから。
抗議しかけて、殿下が苦笑しながら口を挟む。
「いや、お願いしないといけないのはマティアスもだから」
「え?」
「俺もまだ詩文と読書感想文が残っているんだよ」
「はあ!? それなのにわたしのことを馬鹿にしていたんですか?」
「俺は計画的に残しておいたんだよ。だからまったく手をつけていなかったお前とは違うだろ」
「それはそれはご立派ですこと。ですがどうして我が家にいらっしゃるんですか? ご自宅で計画的にお一人でなさるべきでしょう?」
「何を寂しいこと言ってんだ。冷たいやつだな。宿題はみんなでしたほうが楽しいだろうが」
「……何を子供みたいなことをおっしゃっているんですか。みんなといっても宿題を残しているのはわたしとマティアスさんだけでしょう? 手伝いは殿下お一人で充分でしょうに、わたしとリザベルの邪魔をなさらないでください」
「ごめんね、エリカさん、リザベルさん。僕も感想文とか詩文は苦手で、リザベルさんはマティアスに付き合ってやってくれないかな? 僕は数学が得意だからエリカさんのことは任せて」
「ええ? そんな勝手に――」
「今さら文句言うなよ。我が儘なやつだな」
「マティアスさんにだけには偉そうに言われたくありません!」
「ほらほら、エリカ、頑張って。それが効率良いんだから」
うむむむ。残った宿題を片付ける話をしていたとき、マティアスが割り込んできたのはこういうことだったのね。
あら? でもこれって憧れのシチュエーション〝勉強会〟じゃない?
わたし、ちゃんと青春を謳歌しているような……。いいえ、メンバーに問題ありね。
もっとこう、どきどきする相手――そう、ギデオン様となら……勉強が手につかないわね。
ああ、でもお会いしたいなあ。今は何をしてらっしゃるのかしら。
「エリカさん、先ほどから一ページも進んでいないよ?」
「はい、すみません」
殿下は本を読んでいると思ったのに見ていたなんて、これだから完璧男子は……。
ん? だけど感想文などは苦手なのよね?
「殿下はどのような本で感想文を書かれたのですか?」
「……『アレクテーゼの椅子』だよ」
「それって……サイコミステリーですよね?」
「うん、そう。エリカさんも読んだことある?」
「読みましたけど……途中でリタイアしてしまって、最後だけさっと読みました」
トラウマになるほど何人もが酷い殺され方をするのよ。
そんな話の感想文なんて怖いんですけど。
思い出したらまたちょっと気分が悪くなってきたわ。
「えっと……マティアスさんは何の本の感想文を書かれるおつもりなんですか?」
「俺は『ソルニエ法論』だよ」
「……それって、兵法書ですよね?」
「ああ、よく知っているな。女子はあまり興味ないだろう?」
「それはそうですけど、『ソルニエ法論』は有名ですから」
だけど兵法書で感想文だなんて、いったい何を書くのかしら。
しかもあれって全十二巻だったような?
「これから書かれるのですか?」
「ああ、下書きはしてあるが、用紙八十枚ほどになってな。せめて十枚くらいにしろとヴィクトルが言うんだが、簡潔にするのは苦手なんだよ」
「それってもう論文ですよね。感想文ではなくて」
わたしよりも全然上手がいたわ。
七枚だなんてかわいいものだったのね。
うん。リザベル頑張って。
応援の意味を込めてリザベルを見ると、深いため息が返ってきた。
「マティアスさん、ひとまずその感想文を読ませてください。その間に二編くらいは詩文を考えてくださいね」
「ええ?」
「エリカもよそ見しないの。問題に集中しないと」
「はい、すみません」
そこからは黙々とみんなが作業を進めた。
だけどわたしはどうしても応用問題でつまずいてしまう。
すると殿下がわかりやすく教えてくれて、最終的には自分で答えを導き出すことができる。
殿下は教え方がとても上手いわ。
お兄様に教えてもらうのもわかりやすいけど、お兄様自身が解き方を思い出すのに教本を見直したりしないといけなくて申し訳ないのよね。
「卒業してからは使わないからなあ」なんて言うけど、お兄様のお仕事でも使わないのならいつ使うのかしら。勉強する意味なんてある?
「数学なんて、成人してから使う機会はほとんどないのに、勉強するのは無駄ではないですか?」
「うん。へりくつはいいから、頑張って」
「でも……美術や香学みたいに選択授業にすればいいと思いません?」
「……エリカさんはどうして高等科に進学したの? 女学院に進むことも、進学しないことも選択できたのに。高等科では数学が必須だって知ってたよね?」
「はい、すみませんでした」
ううう。正論すぎる殿下の笑顔が怖い。
ちょっと愚痴っただけなのに。
マティアスはさっきから笑っているし。
いいわ、見てなさい。あっという間に問題を終わらせて、今度はわたしがマティアスを笑うんだから。
「…………そろそろ休憩にしませんか?」
「ああ、そうだな。喉も渇いたしな」
「二人とも、せめて半分くらいは終わらせてからにしようよ」
「でも頭を使うとどうしても甘いものがほしくなってしまって……」
「俺は腹も減ってきたな」
「まあ、確かに甘いものは必要ですし、休憩にしましょうか?」
「リザベルさんって、エリカさんに甘いよね」
「あら、殿下ほどではありませんわ」
うーん。二人の会話からして休憩ってことよね?
とりあえず止められる前にベルを鳴らしてメイドを呼ぶ。
気分を変えるためにもテラスにお茶の用意を頼んで、準備が整うまでもう少しだけ頑張ることにした。
といっても、一問解いたところで準備が整ったと告げられてテラスに移動。
えっと、何か気の利いた会話を……。
「――殿下、今度の結婚式ではよろしくお願いします」
「ああ、うん。エリカさんは新婦のレリア嬢とは正等科で友達だったんだよね?」
「はい。婚約者がいるっていうのは聞いていたんですけど、こんなに早く結婚するなんて思っていなくて……。マティアスさんは出席なされるんですか?」
「いや、その日は……俺は用事があって無理なんだ。新郎のロドルフには世話になったし、出席したかったんだがな」
「マティアスさんはロドルフさんとは親しくなされているんですか?」
マティアスの言葉に反応して、リザベルが問いかけた。
そうね。わたしもロドルフさんのことは気になるわ。
レリアから名前を聞いたことがあったから、貴族名鑑を見ていたときになんとなく引っかかって年齢まで覚えていたみたいなのよね。
「ロドルフさんって、かなり年上の方ですけれど……」
「あいつは面倒見が良くて頼りがいのある良い奴だぞ。ただちょっとお人好しがすぎるか?」
「そうだね。仕事もできるし申し分ないと思うよ。まあ、確かに年齢差はあるけれど、レリア嬢のことはとても大切にするだろうから、心配はいらないんじゃないかな」
殿下とマティアスの評するロドルフさんはとっても良い人みたい。
よかった。ひとまずは安心ね。
レリアも婚約者のことは悪く言ってなかったはずだし。
リザベルも同じ気持ちみたいで微笑み合う。
それからもう少しだけ休憩して、中盤戦。
新学期まであと三日。
この調子ならきっと間に合うわ。
みなさま、いつもありがとうございます。
本日、書籍発売日です!
読書感想文にぜひどうぞ!(笑)




