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 長期休みの学院はひっそりとしていて、なんだか知らない場所みたい。

 虫の鳴き声だけが元気に響く中、少しひんやりとした廊下を進むと、付き添ってくれいているマイアが初めての場所に目線だけで物珍しそうに周囲を見ていた。

 そしてお兄様の研究室に着くと、気を利かせてくれて控室に下がってくれる。


「――お兄様、昨日はせっかく出迎えてくださったのに、すぐに寝てしまって……ごめんなさい」

「エリカが謝る必要なんてないよ。疲れていたんだろう? それなのに今日はわざわざ会いに来てくれるなんて、早々にこちらに戻って悪かったね。体は大丈夫かい?」

「ええ、もう大丈夫です。わたし、体力もついたんですよ。今回の旅で一度も熱を出さなかったんですから」

「そうか……。それは安心したよ」


 お兄様は優しく微笑んでルイの淹れてくれたお茶を勧めてくれた。

 先ほどマイアが淹れるかルイが淹れるかで揉めている声が聞こえてきたけれど、どうやらルイで決着したみたいね。

 あの二人はいい加減素直になればいいのに。


 まあ、わたしはどちらが淹れてくれたお茶も美味しくて好きだけど。

 お茶を飲んで落ち着いたところで、持っていたレティキュールから小さな箱を取り出す。

 そして蓋を開けてテーブルに置くと、お兄様が目を見開いた。


「これは……?」

「治癒石です」

「治癒石? ひょっとしてこれが黒ラド病に効いたという薬?」

「はい、その通りです」

「やはり魔法石だったのか……」


 一人納得したように呟いたお兄様に、それからはお父様たちと同じ説明をした。

 黒ラド病だけでなく、本当は万能薬なのだと付け加えて。


「……手に、取ってみてもいいかな?」

「もちろんです」


 遠慮がちな問いに頷くと、お兄様は用心深く革手袋をはめて石を掴んだ。

 石は陽光に反射してきらりと輝く。


「お兄様、その石を細粉して小さじ一杯分飲むと、どんな病も怪我も治してくれるんです。わたし、体に悪影響がないか試しに飲んでみました。レオンスお兄様も一緒に。聞いた話では小さじ半杯分飲めば病気予防にもなると。それでわたしたちはサントセ村でも元気に過ごせたんです」

「なるほど……」

「ですからお兄様、その粉末をギデオン様にさしあげてくださいませんか? そうすればきっと、ギデオンさまのご病気も……」


 さらに詳しい説明すると、お兄様はじっと石を眺めながら頷いた。

 だけどギデオン様の話になった途端、その真剣な眼差しが石からわたしへと向く。

 そして今度は居心地が悪くなるほどじっとわたしを見つめた。


「……エリカは暗黒の森へ行ったの?」

「い、いえ。ですから、それは夢で――」

「その話は母さんたちに心配をかけないための嘘だろう?」

「お兄様……」

「エリカは森へ行くために殿下と婚約したの?」

「それは………はい。お互いそれが都合が良くて……」

「都合が良い? ……ああ、そういえば殿下は暗黒の森にかなり興味を持っていらしたね。だけどまあ、……呆れたよ。レオンス兄さんもエリカには甘いからな」

「……ごめんなさい」


 いつもの優しいお兄様とは違う、厳しい表情のお兄様に問い詰められて、誤魔化すことなんてできなかった。

 ただ謝罪の言葉しか出てこない。

 そんなわたしから視線を外すと、お兄様は深いため息を吐いて石を箱に戻した。


「別に謝る必要はないよ。幸い無事に戻って来ることができたんだから。ただね、自分の行動には最後まで責任を持たなければいけないよ」

「わかっています」

「うん……。あとね、ギデオンは自分のためにエリカが危険を冒したなんて知ったら、逆に傷付くと思うんだ。だから、この石の――この薬の出所は内緒にしておくよ。いいね?」

「もちろんです。わたしもそれはお願いしたかったことですから。それで、あの……ギデオン様は大丈夫ですよね? このお薬で治りますよね?」

「そうだね。エリカが苦労して手に入れた魔法石なんだから、きっと効果があるよ。大丈夫。今も増魔石のおかげで、あれから一度も発作を起こしていないんだ」

「よかった……」


 いつもの穏やかな表情に戻ったお兄様の言葉に安堵のため息が洩れる。

 ギデオン様が元気になれるのならそれだけでいい。

 幸せのかたちは人それぞれだって言うけれど、本当にそうだもの。

 わたしはわたしの幸せのために頑張ったんだから、これで満足。


「ではお兄様、お忙しいのにお時間を頂きありがとうございました。これでわたしは失礼いたします」

「いや、こちらこそ疲れているのに悪かったね。これは間違いなくギデオンに渡すから、安心してしっかり休むんだよ」

「よろしくお願いいたします。でも、わたしはこれからリザベルと約束があるんです」

「え? リザベル君も帰ったばかりだろう? 元気だねえ」

「今日はちょっと緊急の用事ができてしまったので」


 あれからすぐにリザベルに手紙を出して、会う約束をしたのよね。

 出口に向かいながら詳しい話をすると、お兄様はくすくす笑った。


「確かに、それは大事件だね」

「もう、からかわないでください。笑いごとじゃないです」


 大騒ぎしすぎかもしれないけれど、女の子にとっては一大事だもの。

 面白がるお兄様に反論していると、あっという間にドアまで到着。

 そこでもう一度、改めてお兄様に頭を下げる。


「お兄様、どうか治癒石のことお願いします」

「うん、もちろんだよ。きっと近いうちに良い知らせをエリカに伝えられることができると思うよ」

「はい。ありがとうございます! ……あ、それと、残った石はどうかお兄様の研究に役立ててください」

「……こんなに貴重なものをいいのかい?」

「ええ。わたしが持っていても仕方ありませんから。わたし、今回のことで色々考えて……お兄様のような研究は難しくてできませんが、それでも困っている人のために少しでも力になれたらって……。ですから、まずはお母様のお手伝いを始めようと思います」

「そうか……。エリカならできるよ。大丈夫」

「ありがとうございます」


 最後はお兄様に励まされて、笑顔でお別れ。

 これでギデオン様は大丈夫。そうよね?

 幸せな達成感で足取りも軽く馬車に乗り、リザベルのお屋敷へ向かう。

 急な訪問だけれど、リザベルは快く受け入れてくれたのよね。

 なんでも弟さんたちは領地に滞在中で、邪魔者がいないからですって。


「エリカ、いらっしゃい」


 やがてアジャーニ家に到着すると、すぐに居間へと通されてリザベルが現れた。

 リザベルのお家は二度目だけれど、前回に比べてとっても静か。

 なるほど。弟さんたちがいないとこんなに違うのね。


「急にごめんね、リザベル」

「いいのよ。わたしも昨日知って驚いたばかりだから。まさかレリアがもう結婚するなんてねえ」

「しかもお相手は三十一歳! おじさんよ!」

「エリカ、そんなにはっきり言ってはダメよ。それにエリカのお兄様だって――」

「デュリオお兄様はまだ二十八歳よ!」

「そうだったわね……。まあ、とにかくレリアのためにお祝いしてあげなくちゃ」

「ええ、それはもちろんよ。でも結婚したらお相手の領地で暮らすなんて、寂しくなるわ……」

「そうね。もう気軽にお茶にも誘えないもの」


 ちょっとしんみりして二人とも黙ってお茶を飲む。

 あの卒業公演で主役を演じたレリアからの結婚式の招待状はかなりの衝撃だった。

 だって、同じ年の子がもう結婚するなんて思ってもいなくて、そのお相手にびっくりして、それから……。


「ねえ、リザベルは誰と出席するの? ジェレミー?」

「まさか。結婚式なんて公の場に一緒に出席したら、周囲に変な誤解を与えてしまうもの。わたしはお父様と出席するつもり。明日には帰ってくる予定だから。うるさいのと一緒に」

「そっか……」

「エリカは殿下に同伴してもらうんでしょう?」

「……やっぱりそうよね?」

「それはそうよ。正式な婚約者なんだから」

「うん……。じゃあ、明日お願いしてみるわ。殿下にも招待状は届いているだろうし」

「たぶんね。でもレリアのお家も、お相手のお家も士族だし、本来なら代理人が出席するか、祝辞だけですまされたでしょうね。それがエリカの同伴者として殿下自らが出席するとなれば一大事よ。そもそもアンドール侯爵令嬢のあなたが友人として出席するだけでもレリアの格が上がるんだから」

「レリアの格?」

「そうよ。要するに、婚家でのレリアの立場も変わってくるってこと。とにかく明日なんて言わず、さっさとお願いしなさい。もうすでに出欠のお返事を出されている可能性は高いけれど、訂正するなら早いほうがいいんだから。殿下がいらっしゃるとなると主賓が変更になるわけだし、急いだほうがいいわ」

「……わかったわ。でも何て書けばいいの?」

「普通でいいのよ」

「普通って? 結婚式に一緒に出席してほしいってだけでいいの? そもそもこういうのって女の子から誘ってもいいの?」

「もう婚約しているんだから大丈夫よ」

「そうかしら……」

「ほらほら、心配しないで。わたしの部屋に行って、どの便箋を使うか選びましょう」

「……ええ。そうするわ。ありがとう、リザベル」


 殿下と一緒に友達の前に出るのはなんだか恥ずかしい。

 しかも手紙で誘うだなんて。明日お会いした時にお願いしようと思ったのに。

 ああ、どうしよう。何て書けばいいのかさっぱりわからないわ。




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