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「ねえ、君……エリカ・アンドール君だよね?」

「え? あ、はい。そうですけど……」


 校舎の正面入り口から少し離れた場所にある、馬車寄せで迎えの馬車を待っている時、見知らぬ先輩に声をかけられた。

 というのは嘘で、本当は顔とお名前だけは知っている。この学院でヴィクトル殿下の次に有名だと言ってもいいほどの有名な先輩。そして実は、先ほど見かけたばかり。


「……ノエル・シェフェール先輩ですよね?」

「うん、正解。じゃあ、これで自己紹介は終わったね。と言うわけで、僕達はもう見知らぬ他人同士じゃないね」

「はあ……」


 あら、やだ。みっともない返事をしてしまったわ。

 でも仕方ないわよね。予想外の展開なんですもの。

 お友達になりましょう的に声をかけられるのに憧れていたけれど、高等科に入学して二十日、まさか初めてそれっぽく声をかけてくれたのが、〝女たらし″で有名な先輩だなんて。

 しかも先ほど目撃したのは、第一図書室の奥――書架の間での……。

 見てはいけないものを見てしまったと、慌てて図書室から逃げ出して……いえ、退室してきたのに。


「あの……先輩はどうしてわたしの名前をご存知なんですか?」

「ん? それはお互い同じ理由だと思うよ?」

「それは……」


 言い訳めいたことを言おうとして諦める。

 イザベラの噂は上級生の間でも広がってるのね。


「ご心配なさらなくても、先ほどのことは誰にも言いませんわ」

「そう? それは有り難いね。だけど僕は口止めをしたかったわけじゃないよ。ただ君と話したかっただけ」


 少し濃い金色の髪を夕陽に赤く染めて微笑む先輩は本当にかっこよくて、ついふらっと気持ちが揺れそうになる。

 ダメダメ。心をしっかりもって。

 この先輩は学院内でキスするような破廉恥な人なんだから。


「ありがとうございます。シェフェール先輩にそのようにおっしゃって頂けるなんて光栄ですわ」

「……社交辞令はいらないよ。まあ、僕の噂を考えれば、警戒するのは仕方ないけどね」

「い、いえ。そういうわけでは……」


 ただ先ほどキスシーンを目撃してしまったばかりで、どうにも顔を合わせづらいというか、恥ずかしいのよ。

 だからいつも以上に表面だけ冷静に取り繕ったのだけれど、なぜか先輩は恥ずかしがるどころか楽しそう。


「本当のことを言えば、謝りたかったんだ。邪魔をしてしまったから」

「……邪魔、ですか?」

「そう、読書の邪魔をしてしまっただろ? いつも迎えの馬車が来るまで図書室で本を読んでいるのに、今日は早々に退室してしまった。僕が驚かせたからだよね」


 違います、と言うのもバレバレの嘘だし、だからといって肯定もできない。

 返答に困っていたら、ようやくアンドール侯爵家の馬車が門を抜けてやって来た。

 ほっと息を吐いたわたしを見て、先輩がくすりと笑う。


「そんなにほっとしなくてもいいのに。じゃあ、気をつけて帰ってね。それと、これ」


 そう言って先輩は一冊の本を差し出した。

 何かと視線を落として、あっと驚く。


「さっきはこれを探しにきてたんだよね? 本当はダメだけど、特別に友人に又貸ししてもいいって許可ももらっているから、ゆっくり読めばいいよ」


 思わず受け取ってしまったわたしに手を振って、先輩はまた校舎に戻って行ってしまった。

 その背を呆然と見送って、本に視線を戻す。

 又貸しの許可をもらったのは、きっと図書の先生からでしょうね。だって、キスの相手だもの。

 後ろ姿だけだったけど間違いないと思う。でもあの先生って結婚していなかったっけ?


(それにしても、どうしよう……)


 確かに読みたかった本で、書架にはこれを探しに行ったのではあるけれど、どうして先輩がそのことを知っていたのかすごく不思議。


(というか、こわっ!)


 いつも放課後は図書室にいることも知ってたのよね? 女の子の心でも読める魔法でも扱えるとか? それでモテるのかも?

 とにかくどう対処すればいいのか明日リザベルに相談してみよう。

 それまでこの本は借りていてもいいわよね? だって、今さら返せないし。続きが気になるんだもの。

 本を胸に抱えたところで、御者のトムが血相を変えて馬車から飛び降りた。


「お嬢様! お待たせして申し訳ありません!」

「いいのよ。わたしが早過ぎたの」


 授業終了後すぐは馬車寄せが込み合うから、迎えの時間は少し遅くしてもらっているのよね。

 そうすれば部活終了後の混雑も避けられるし、第一図書室の窓際に座れば迎えの馬車の到着もわかるから。

 だけど今日は早くに図書室を出てしまったせいで、トムに悪いことをしてしまったわ。

 トムに大丈夫だと笑いかけて馬車に乗り込む時、ふと校舎を見上げると図書室の窓に人影が見えた。

 ただ夕陽に反射して男子か女子かもよくわからない。


(珍しいわね……)


 放課後は新しく出来た第二図書室を利用する人が多く、第一図書室はほとんど利用者がいないのに。

 それでもあまり気にせず座席に着くと、ふうっと深く息を吐いた。

 今日はなんだか疲れたわ。

 でも嬉しいことに宿題はないから、本に没頭できるのよね。

 わくわくしながら帰宅したわたしは夜遅くまで本を読み耽ってしまい、翌朝は激しく後悔しながらベッドから這い出ることになった。



   * * *



「ずいぶん眠そうね?」

「ええ。昨晩は遅くまで本を読んでいたから」

「ああ、例の先輩に借りた本? そんなにおもしろいの?」

「おもしろいわよ。『レディ・ジューン』シリーズの次におもしろいわね。いっそのことお父様にお願いして、シリーズ全巻買ってもらおうかと思ってるくらい」

「へえ、そんなに?」


 昼食後にリザベルとラウンジでのんびりしていると、抑えようとしても何度もあくびが出てしまった。

 今日は絶対早く寝るぞと、決意を新たにして珈琲を飲む。

 そこへやって来たジェレミーが空いている席に座り、大げさにため息を吐いて胸を押さえた。


「酷いよ、エリカさん。僕というものがありながら」

「全てにおいて何のこと?」

「シェフェール先輩だよ。昨日、放課後を一緒に過ごしていたんだって?」

「どうしてそれを?」

「え? 本当なの!?」


 わたしの返事にジェレミーは驚いたみたいだけど、わたしだって驚いているんだから。

 昨日のたったあれだけの出来事を、どうしてジェレミーが知っているのか嫌な予感しかしないわ。

 でもリザベルはとっても楽しそう。


「それで、どんな噂なの?」


 その問いに応えてジェレミーもにっこり笑う。さっきの驚きはどこにいったの?


「朝、僕が聞いた話では、エリカさんとシェフェール先輩が人気の少ない第一図書室で放課後を一緒に過ごし、馬車寄せで名残惜しそうに別れていたって。本当かい?」

「……事実にたくさんの脚色がなされているわ」

「ええー! 事実なんだ?」

「だから、脚色されているの、とっても。盛り過ぎよ」

「じゃあ、先ほど聞いた話はデカ盛りだね。放課後の図書室で二人きりで過ごしたエリカさんとシェフェール先輩は、その後一緒に馬車に乗ってどこかに行ってしまったって」

「ちょっ! 何よ、それ!?」

「エリカ、落ち着いて。噂なんてそんなものよ」

「だけど、朝には〝人気の少ない″だったのに、どうしてお昼には〝二人きり″になってるの!?」

「というか、〝二人きり″なのに、なぜかどこかの誰かは知っているのよねえ」


 苛立つわたしとは逆に、リザベルは意味ありげに笑う。

 言われてみればその通りだけど、誰もそんな矛盾には気付かないでしょうね。

 みんなおもしろければどうでもいいのよ。


「ねえ、エリカ。あなたは今日も図書室に行くんでしょう? わたしも行くわ」

「……部活はどうするの?」


 リザベルは正等科からの進級組では珍しく、ダンス部に入部したのよね。

 高等科の部活動の大半は、国立学院からの編入組が将来役立つためにダンスや乗馬などを身につけるためのものが多くて、王立学院からの進級組はほとんど入部しないのだけど。

 でもリザベルは演劇の次にダンスが好きらしいから。


「少しくらい遅刻しても平気よ。それより確かめたいことがあるから」

「確かめたいこと?」

「ある程度の状況把握はしたわ。でも、まだ気になることはあるから」


 リザベルは演劇部でも演出をしていたせいか、全体を客観的に見るのが得意みたい。

 だからわたしがあれこれ心配するよりも、リザベルに任せている方が間違いないと思う。

 自分もと参加したがるジェレミーをリザベルが強く突っぱねたところで、予鈴が鳴った。

 さあ、睡魔との闘いが始まるわ!




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