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(わたしが……美人?)
鏡の前に立って自分をしげしげと見つめる。
学院から戻ったわたしはドレスに着替えて宿題を始めたものの、リザベルの言葉が気になって、思わず立ち上がっていた。
新しい友達ができるかもと意気込んで登校したのに、今日は結局できなかったのよね。
どうやらあの噂のせいで、みんなからは避けられていたみたい。リザベルはその状況を楽しんでいたけど。
そんなわたし達とは逆に、ヴィクトル殿下とブリュノー公爵のご子息……マティアスだったかしら? とにかくあの二人はもう友達ができていた。恨めしい……いえ、羨ましい。
今日は男子だけだったけど、どうせそのうち女子にも囲まれてキャーキャー言われるのよ。
鏡の中でしかめっつらしている自分に気付いて、慌てて笑顔を作る。
(うーん、笑顔が一番可愛く見えるっていうけど……どう見ても怖い気がするわ)
そうよね。あの衝撃の言葉、「ブス」って言われたのも笑った時だったわ。
王妃様主催のティーパーティーでよね。初めての王宮、初めての社交行事だったからとても緊張していたのに。
あれからしばらくは、笑うのも怖かったのよ。でも、そんなわたしを……。
そうね、リザベルは臆病なわたしに自信をもたせてくれようとしているんだもの。噂なんて気にしなくていいのよ。
改めて決意するとすっきりして、わたしは勉強机に向かった。
* * *
「ああ、エリカさん。今日もなんて綺麗なんだ。どうか僕にエスコートさせて下さい」
「止めて、ジェレミー。わたしに近寄らないで」
跪いて差し伸べられたジェレミーの手を無視して通り過ぎると、周囲がかすかにざわめいた。
また誤解されるわね、まったく。
「ノリが悪いよ、エリカさん」
「舞台でもないのに、あんな悪趣味なセリフに付き合えないわよ」
「冷たいな」
「当然よ。わたし、怒ってるんだから」
食堂に向かうわたし達の後から、立ち上がったジェレミーがついて来ながらぼやく。
入学から五日、結局わたしに新たな友達はできていない。
当然、いつも一緒にいるリザベルまで新しい友達はできていない。リザベルは気にしなくていいのよ、なんて言うけど、やっぱり気になるわよね。正等科ではいつもたくさんの友達に囲まれていたんだから。
いえ、別に、リザベルが新しい友達を作ってくれたら、わたしも便乗できるのになんて少しくらいしか思っていないわよ。
「ジェレミーも、いつまでもこんなことをしていたら、友達ができないわよ?」
「心配してくれてるの? それは嬉しいね。だけど大丈夫だよ。友達はちゃんといるから」
「本当に?」
「僕達は女の子と違って、そんなにしょっちゅう一緒にはいないよ。今日、食堂を利用するのは僕だけだから一人ってだけさ」
「そうなの」
いいわね、男子って。女子は一人でいるのは、敢えて一人でいるのよアピールが必要なのに。
トレイを持って空いている四人掛け丸テーブルの席に着くと、向かいにジェレミーが座った。
さっき近寄らないでって言ったばかりなのに本当にマイペースよね。
「わたし、あなたのせいで困った噂が流れているのよ?」
「あれ、嫌いなのかい? イザベラのこと」
「イザベラのことは好きだけど、それとこれとは別よ。リザベルにまで迷惑をかけているんだから」
横目でちらっとリザベルを見ると、彼女は全然違う方向を見ていた。
つられてわたしもジェレミーもそちらへ目をやる。
するとヴィクトル殿下とマティアスさん、そして数人の男子がいた。けれど、リザベルはそのすぐ近くに座る女子達を見ている。
「ロレーヌさん達がどうかしたの?」
「彼女、もうあんなに友達ができたみたいね?」
「そりゃ、ロレーヌさんは可愛くてとても優しいもの。編入生達も彼女の人柄に惹かれたんでしょうね」
「本当にそう思う?」
「え?」
「僕は彼女とは友達になりたいとは思わないな」
レゼルー伯爵令嬢のロレーヌさんは、正等科では同じクラスになったことはなかったから話したことはない。だけどよく噂は聞いたのよね。だから今回、初めて同じクラスになって、仲良くなれるといいな、なんて思っていたんだけど。
「淡い金色の髪に澄んだ青色の瞳、優しい笑顔に思いやりのある言葉。まさに愛されヒロインよね」
「でも、演技力は今一つだよ」
「女学院に進むって話だったのに、急に高等科進学に変更したなんて、おかしいと思ったのよ」
「それで、今の彼女に必要なのは、自分を引き立ててくれる悪役ってところかな?」
「イザベラの噂の出所は間違いないでしょうね」
「そうだね」
「あの……何の話をしているの?」
皮肉っぽく笑う二人の会話にまったくついていけなくて、焦ってしまう。
正等科ではほとんど友達付き合いというものをしてこなかったから、わたしだけ何か大切なことを知らずにいるのかもしれない。
だけど、リザベルは微笑むだけ。
「まだ様子見だから、エリカは気にしないでいいのよ」
「僕はエリカさんのそういうところが好きだな」
どういうところ? と訊き返す間もなく、ジェレミーはわたしの手をとって軽く口づけた。
それはもう、驚くなんてレベルじゃないわよ。
「ちょっと! そんなことしないで!」
思わず上げた大きな声はみんなの視線を集めてしまった。
しかも、振り払った手は運悪くジェレミーの頬を直撃。パシンと乾いた音が静まり返った食堂に響く。
「――大丈夫。心配しないで」
動揺のあまり「ごめんなさい」さえ言えないわたしの震える手を、ジェレミーはぎゅっと握ってから放すと、安心させるように微笑んでくれた。
だけど頬は少し赤くなっていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
「ジェレミー……」
「ごめんね、エリカさん。少し悪ふざけが過ぎたみだいだ」
「そうよ、ジェレミー。あなたが悪いわ」
リザベルが厳しくたしなめると、ジェレミーは目に見えてしゅんとした。
そのいつもと変わらないやり取りにほっとして、わたしも落ち着くことができた。
「ごめんなさい、ジェレミー。痛かったでしょう?」
「いいや、大げさな音が鳴っただけで、痛みはないよ。本当に大丈夫だから」
今ではもう頬の赤みも引いていて、どうやら本当に大丈夫そうだ。
それならこの機会にちゃんと言わなければとわたしは心を決めた。
「あのね、ジェレミー。もうそろそろ今のようなお芝居は止めた方がいいわ」
「どうして? 迷惑?」
「わたしは迷惑じゃないけど、ジェレミーの将来のお嫁さんのために止めた方がいいと思うの。もし心ない人からこの話を聞いたら傷つくんじゃないかしら? ひょっとしたら、今も傷ついている子がいるかもしれないじゃない」
「別に僕に崇拝する女性がいたくらいで傷つかないよ。唇にキスしたわけじゃあるまいし」
「そ、そういう話はこんなところでしてはダメよ!」
笑って言うジェレミーの言葉にびっくりしてしまう。
キスだなんて、こんな昼間から公の場でする話題じゃないでしょ。
自分でも真っ赤になっているのがわかるくらい、頬が熱い。
なのにジェレミーは訳がわからないって顔をしているし、リザベルは小さく吹き出した。
「わたしってば、たったのふた月あまりですっかりあなたのことをわかったつもりでいたわ。エリカのイザベラは本当に素晴らしかったしね。でも少し間違っていたみたい。ごめんなさい」
そう言ってリザベルはわたしを軽く抱きしめた。
よくわからないけど、わたしはリザベルが大好きだから抱きしめ返す。
その時ふと視線を感じて顔を上げると、ヴィクトル殿下とばっちり目が合ってしまった。すぐに逸らされたけれど。
少し騒ぎ過ぎたかしら?
周囲を見れば、みんなもう自分達の話題に夢中になっていて、わたし達のことを気にしている人はいない。
今のは偶然で、考え過ぎだったみたい。
それでもやっぱり公共の場では騒がないようにしないと。マナーは大切だもの。気をつけなくちゃ。