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悪役令嬢、時々本気、のち聖女。  作者: もり


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 もちろん正式な婚約発表を前に、国王陛下と王太子ご夫妻にお会いすることはわかっていたわ。

 でも正直、ここまでの冷めた会見になるとは思ってもいなかった。

 温かいお言葉をかけて下さったのは陛下だけ。

 お忙しい陛下が早々に退室なされた後は、室内の気温が実際に下がった気がした。

 すきま風でも吹き込んでいるのかと、周囲をこっそり見回したほどよ。季節は夏なのに。


「エリカさん、貴女はヴィクトルの妻になるのがどういうことか、わかっていらっしゃるのかしら?」


 次々と質問を口にする妃殿下の顔には優しげな笑みが浮かんでいる。

 だけど青色の瞳には冷たく鋭い輝き。

 隣に座る王太子殿下は最初こそぼそぼそとお祝いの言葉を下さったけれど、あとは居心地悪そうに何度も身じろぎをなさっているだけ。


 さて、どう答えるのが正解かしら。

 でも妃殿下はわたしが何を言ってもお気に召さないみたいだわ。

 それはこのわずかな時間のわずかなやり取りで思い知らされたこと。

 覚悟していたことだから、今さら傷ついたりなんてしないけど。


「自分の立場は重々承知しております」


 にっこり笑って無難な答えを返すと、妃殿下の細い眉がくいっと上がり、真っ赤な唇がきゅっと結ばれた。

 それは辛辣な言葉が発せられる前触れで、何を言われてもいいように次の攻撃に備える。

 だけど妃殿下の真っ赤な唇が開かれる前に、殿下の明るい声が上がった。


「王太子殿下、妃殿下、今日は私達のためにお時間を割いて頂き、ありがとうございました。お二人から祝福を頂いたことは、感謝の念に堪えません。それでは、また婚約披露の祝宴でお会いできることを楽しみにしております」


 そう言うと殿下は立ち上がり、わたしへと手を差し出した。

 内心では焦ったけれど、どうにか笑みを浮かべて殿下の手を借りて立ち上がる。


「王太子殿下、妃殿下、今日は本当にありがとうございました」

「さあ、エリカさん。行こうか。では、失礼致します」

「――失礼致します」


 ろくに挨拶もできないまま、まるで攫うように殿下に謁見の間から連れ出され、しばらく無言で廊下を進んだ。

 たまにすれ違う人達が道を開け膝を折りながらも、殿下とわたしの繋いだ手にちらりと目を向ける。


 この手は二人の仲を知らしめるためというより、わたしを庇ってくれた殿下の無意識な行動のような気がするわ。

 ご両親とあまり親しくないとは知ってはいたけれど、ここまでの関係だなんて。

 そう思うと振り払うことができない。

 だけど、お母様の待つ控室に入ると殿下は何もなかったように手を離して微笑んだ。


「エリカさん、不快な思いをさせてしまって申し訳なかったね」

「……いいえ。そのようなことはございませんでしたから、お気になさらないで下さい」


 少し堅苦しいのはお母様の前だからよね。

 本当はもっと色々と聞きたいことがあったけれど、殿下はお母様に簡単な挨拶をするとさっさと出て行ってしまった。

 なぜかしら。ここ数日、殿下はどこかよそよそしくてなんだかもやもやするわ。


「エリカ、どうだったの? ずいぶんな嫌味を聞かされたのではない?」

「大丈夫です、お母様。覚悟はしていましたから、それほど酷いものではありませんでした」


 殿下が出て行くと途端に心配を口にしたお母様は、わたしの答えに安堵したみたい。

 それから、わたしに座るよう促すとお茶を淹れてくれた。

 いつもと変わらない優雅な仕草のお母様を目にして、ようやくわたしもほっとできてお茶を飲む。

 ここ数日の猛勉強の成果はひとまず出たみたい。


 あの日、殿下との婚約を決意したと伝えた時、喜ぶと思っていたお母様は悲しそうな顔をしたのよね。

 そして驚くわたしを抱きしめて優しく言った。


「自分でもおかしいと思うわ。あれだけあなたの婚約を望んでいたのに、いざとなると寂しいなんて」


 その言葉にわたしまで寂しくなって、思わず婚約を撤回しそうになったほど。

 だけど、きゅっと唇を噛んで堪えていると、抱擁を解いたお母様の表情は厳しいものに変わっていた。


「あなたはアンドール侯爵家の娘として、どこに出しても恥ずかしくないマナーと知識を身につけているわ。だけど、王宮での常識を知らなさすぎるのが問題ね。これは私の責任よ。だから自衛のためにも急いで学んでちょうだい」


 それからは貴族名鑑片手にまずは人間関係から必死に頭に入れた。

 リザベルに手伝ってもらって少しずつ勉強していたこともあって思ったほど難しくはなかったけれど、お母様の口から聞くお話には驚くしかなかった。

 はっきり言って、愛憎入り混じった小説みたい。

 そしてお母様が繰り返したのは、心構えについて。

 将来の王妃として周囲からは厳しい目で見られるのだからと。


「本来なら社交界デビューをしてから少しずつ身につけるべきものですけれど、仕方ないわ。この際、あなたの最近の噂に乗じて殿下の婚約者を作り上げましょう」

「噂?」

「あなたの学院での噂よ。悪女だとか言う」


 ぽかんと口を開けたわたしを見て、お母様は楽しそうに笑った。

 いつもの上品さは消えていないけれど、なんて言うか、子供みたいな感じ。


「正直に言えば、ずいぶんはらはらさせられもしたわ。本当のあなたを知っているだけに悔しくもあったし。だけどお父様やデュリオに手も口も出してはいけないと言われたの。今はエリカの成長の時期なのだから、もう少し様子を見ようって。それなのに我慢しきれずに余計なことを言って、あなたを傷つけてしまったわね」


 噂が学院の外にも流れているだろうとは当然わかっていたけれど、お母様達がそんな思いでいたなんて知りもしなかった。

 自分のことしか考えていなかったわたしは、どうしようもない馬鹿ね。

 しかも、心配しながらも喜んでくれているお母様達を騙しているんだわ。

 この婚約は森へ行くための嘘なのに……。



   * * *



「本当に大丈夫?」

「わたしはそんなに頼りなく見えますか?」

「どうかな。とても毅然として見えるけど、少し震えているからね。でもそれがわかるのはきっと僕だけだと思うよ」


 殿下にそう言われて、思わず自分の手を見下ろした。

 今から祝宴の席に出るために殿下の腕にかけた手が震えている。

 その手に殿下はもう片方の手を重ねて微笑んだ。


「イザベラ、だったかな?」

「え?」

「エリカさんの演技は素晴らしかった。だから、僕の婚約者の役も上手くできるよ。むしろ僕の方が足を引っ張らないか心配だな」


 まさか殿下があの卒業公演を観に来ていたなんて。

 励ましの言葉にびっくりしているうちに扉は開かれ、殿下とわたしの登場を告げる侍従長の高々とした声が上がった。

 王宮で一番大きな広間を埋め尽くすほどの大勢の招待客を前にして足がすくむ。

 その時、重ねられたままの殿下の手に力が入り、はっとして目を上げると、温かな琥珀色の瞳にぶつかった。


(この瞳……こうして前にも励ましてくれたような……?)


 頭をかすめる記憶に戸惑ってしまう。

 それで促されるまま会場に足を踏み入れた時にはぼんやりとしていて、みんなからの祝福も上の空で受けていた。

 それでも次第に意識がはっきりとしてくると、自分に割り当てられた役柄を演じるために頑張った。


 『あなたはこれから王子妃に、そしてこの国の王妃となるのよ。将来あなたが頭を下げるべき相手はただ一人。今もほんの数人しかいないわ。だから何を言われても笑って受け流すだけ、嫌なことには答えなくていいの。答えるにも値しないって態度で笑ってみせればね。学院での噂を逆手にとって、高飛車な態度でいなさい。そうすれば、意地悪な貴婦人達を黙らせることができるわ。ただね、王太子妃殿下にだけは注意なさい。もちろん、その取り巻き達にも警戒するべきだけれど、それは私が……私達がフォローするから大丈夫よ』


 お母様の言葉を思い出して、笑みを顔に張り付けて会場を殿下と回る。

 〝私達″という言葉はお父様やお兄様のことかと思っていたけれど、どうやら間違いだったみたい。

 お母様がいない時でも、必ずお母様のお友達が誰かしらそばにいて、わたしに意地悪な質問を向けられるとさりげなく助けてくれる。

 それは以前聞いた「アンドール侯爵夫人は社交界で妃殿下に次ぐ実力者」との殿下の言葉を実感せずにはいられなかった。


「疲れただろう? 少し座って休んだ方がいいよ」


 ずっと立ちっぱなしだったせいで足が痛くなり、スカートの中で足をもぞもぞさせていたわたしに殿下は気遣いに溢れる言葉をかけてくれた。

 だけどわたしのために用意されている椅子は壇上にあって、どうしても座る気になれない。


「ではテラスに出ようか。きっと一息つけるよ」


 わたしの気持ちを察したらしい殿下の誘いに目を見張る。

 上手く演じているつもりなのに、殿下にはやっぱりわたしの考えていることがわかるみたい。

 でもここは不満に思うのではなくて感謝するべきね。


「ありがとうございます、殿下」


 素直な気持ちでお礼を言うと、殿下の顔に満面の笑みが広がった。

 これはちょっと反則だわ。いつもの意地悪な笑顔はどこ? 

 ときめいてしまったのは殿下が優し過ぎるからよ。

 慣れない場でわたしの緊張を察したのか、ずっとそばにいてくれたんだもの。

 妃殿下が蔑みのこもった言葉をわたし達に向けた時も、殿下は笑みを崩さないままだった。


「まあ、ヴィクトル。エリカさんとそんなにずっと一緒にいる必要があるかしら? この先、嫌でも一緒にいなければいけないのよ?」

「先のことなんて関係ありませんよ。僕は今の時間をエリカさんと一緒に楽しみたいのですから」

「あら……でもエリカさんも少しぐらい息抜きをしたいわよねえ?」

「息抜きは必要ですが、それは殿下がそばにいて下さってこそですので」


 笑顔で応えながらも知らず殿下の腕に両手で縋ると、殿下はわたしの左手を取った。

 そして、服がしわになるからだわ、なんて間抜けなことを考えるわたしの指先に、殿下はそっとキスをした。

 はっと息をのんだのはわたしだけじゃないはず。

 敬意を表した殿下のあからさまな愛情表現に、会場内は一瞬静まり返った。

 妃殿下とわたしの対決に会場内が注目していたせいで余計に目立ったみたい。


(それにしても、殿下はやり過ぎよ……)


 驚いて手を振り払わなかったわたしは頑張ったと思うわ。

 殿下が足を引っ張るどころか、逆にわたしが足を引っ張りそうになっていたもの。


 会場内から洩れてくる明りしかないテラスは、わたしと殿下の他には誰もいなかった。

 お陰でわざわざ会話しなくてもすむ。

 窓一枚を隔てただけで遠くに聞こえる喧騒を耳にしながら石のベンチに座って、深く息を吐いた。

 殿下は手すりにもたれてどこか遠くを見ている。

 しばらく夜風にふかれてぼんやりしていると、突然すぐ近くで殿下の声が聞こえた。


「そろそろ戻ろうか? いくら婚約したとはいえ、あまり長く姿を消していてはよくないからね」

「は、……はい」


 心地良い沈黙に浸っていたせいで、とっさに殿下の言葉を理解できなかった。

 差し出された手を借りて立ち上がった時もまだぼうっとしていたから、それでまた優しく微笑む殿下にときめいたりしたのよ。

 そうに決まっているわ。


 せっかく夜風に当たって体の熱を冷ましたのに、頬がさっきよりも熱い。

 だから会場内にこっそり戻れたことにほっとした。

 変に誤解されても困るもの。


 どうにか平静を取り戻してまた会場内を笑顔で回る。

 もう殿下の腕に手をかけていても恥ずかしさは感じなかった。

 何度も助けてもらった殿下の隣にいると頼もしく感じて笑顔も自然と浮かぶ。

 だけど――。


「エリカ、おめでとう」

「お兄様!」


 大好きなお兄様に声をかけられ嬉しくて振り返ると、ジェラールお兄様と一緒にいる人物を見て自分でもわかるくらい不自然に笑顔が消えた。


「ギデオン様……」




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