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ショックのあまりよろめいたわたしを支えてくれたのはリザベル。
そして目の前を何かが過ぎったと思った瞬間、マティアスが勢いよく頷いた。
って、あら?
「いい加減にしろ、マティアス! お前はあの時から、ちっとも成長していないな!」
「っ、てぇ……。んだよ、成長していないのは、お前も一緒だろ?」
初めて聞くような殿下の怒った声とマティアスのふてくされた声。
まさか殿下が暴力をふるうなんて。
でも今回に限っては信念を曲げて暴力賛成!
古傷を抉られたわたしの痛みに比べたら、後頭部を叩かれるぐらいどうってことないわよ。
やっぱりマティアスがあの意地悪な男の子だったんだわ。
「信じられない。ブリュノーさんって、最低ですね! 先ほどから酷いことばかりおっしゃって、エリカがどれだけ傷ついているのかおわかりにならないのですか?」
「リザベル……」
弱気になったわたしを庇うように、リザベルが抱き寄せて抗議してくれる。
わたしこそリザベルに対して酷いことをいっぱい言ったのに。
最低なのはわたしだわ。
そう思うと情けなくて恥ずかしくて、もう泣かないって決めたはずなのにまた涙が込み上げてきた。
「エリカさん、すまない。マティアスが失礼なことを……」
「い、いや。言い過ぎた。悪かったよ。だが本気で思ってたら言えないというか、とにかく泣くな――」
「リザベル! ごめんね!」
殿下やマティアスが何か言っていたみたいだけれど、今はとにかくリザベルに謝りたくて、すがるように抱きついた。
涙と鼻水を我慢すると息苦しい。
それでもちゃんと伝えないと。
「わたしのことを心配して言ってくれたのに、さっきはごめんね。……お願い、わたしのこと嫌いにならないで!」
「馬鹿ね、嫌いになったりなんてしないわ。エリカはわたしの大切な友達なんだから」
「本当に?」
「ええ」
「ありがとう、リザベル! 大好きよ!」
「わたしもよ、エリカ」
大好きなリザベルとぎゅっと抱き合って仲直り。
優しいリザベルも、厳しいリザベルもわたしを思ってくれているから。
意見が合わないこともあるけれど、それはそれなのよ。
「……お取り込み中のところを申し訳ないけど、そろそろ本題に戻っていいかな?」
「なんで女子ってすぐべたべたするんだ? おかしいだろ」
「あら……」
しばらくすると、少し苛立ったような殿下と呆れたようなマティアスの声に遮られて我に返った。
嫌だわ。自分達がケンカしたからってわたしとリザベルの友情に水を差すなんて。きっと嫉妬しているのね。
でも確かにリザベルとケンカした原因、今も解決していない問題が残っていたわ。
そう、殿下の説得よ。
リザベルとの抱擁と解いてちょっと身づくろいをする。
それからちらりと視線を向けると、リザベルは小さく頷いた。
ええ、やってみせるわ。
「では、その……。もう今さら誤魔化しても仕方ありませんので、正直に申しますと、わたしは森へ行くつもりです。でも家族に心配をかけないためにも、アーグレイ離宮に滞在するのだと思わせたいのです」
「うん。それはわかったよ。だけどエリカさんはそれで僕が、僕達が心配しないとでも思ってるの?」
「それは……」
「しかも、たとえば君に何かあったとして、協力した僕達がどれだけ迷惑を被るかは考えた? むしろ何かない方があり得ないのに?」
殿下の答えはどうやらリザベルと同じで、わたしの浅はかさを冷静に指摘されてしまった。
確かにわたしに何かあれば、協力してくれた人達には多大な迷惑をかけてしまうもの。当然よね。
だからこそ、大丈夫だと納得してもらわないといけないのよ。
「森は……暗黒の森は奥へ踏み込むほどに、魔獣は光に怯えて近寄って来ないと聞きました。わたし、光魔石がなくても〝レンブル″で半日以上は光を灯すことができますし、〝ルーベント″も連続で数回は放てます。ですから、魔獣を追い払うことができるはずです」
「へえ。それは本当にすごいな」
先ほどよりも驚きをあらわにした殿下の言葉にちょっと誇らしくなる。
わたしでも自慢できることはあるのよ。
光魔法だけは、ここ数日必死に練習したもの。
「でもね、エリカさん。マティアスは口は悪いけど、言っていることは間違っていないんだ。いくら光魔法が扱えたからって、森へ行くなんて無理なんだよ」
「……どうしてですか?」
今、すごいって感心してくれたのに。
光魔法に関しては、もう殿下よりも上手く扱えるって先生も褒めて下さったほどよ。
マティアスは「ほら、言っただろう」とばかりににやにやしてる。嫌な感じ。
むっとしたまま見返すと、殿下は大きくため息を吐いた。
「危険だからだよ」
「ですから、それは――」
「危険なのは魔獣だけじゃない。エリカさんは先日の街でのことで、何も学んでいないんだね」
「あ、あれは……わたしが軽率な行動をしたから……」
「だからさ、そもそもこの計画が軽率なんだよ。この国はとても治安が良い。それでも、街には悪漢がいるし街道には追い剥ぎが出る。他にも数え上げればきりがないほど危険は潜んでいるというのに、いくら離宮からクラエイまでがわずかの距離でも、大した護衛も付けずに旅をするなんて無謀過ぎるよ」
先日の街でのことを持ちだされると弱い。
だけど何も知らずに街をふらふら歩くのと、心構えをして旅をするのとでは違うと思うわ。
「……コレットさんは、ここまで駅馬車を乗り継いでいらっしゃったそうです。駅馬車には護衛もいて危険地帯では隊を組んで進むので安全だと――」
「あのさあ、彼女は若くても十分に世間の実情を知っているし、見るからに貴族のお嬢様なお前とは違うんだよ。駅馬車だって、宿屋だって、まっとうな人間ばかりが利用しているんじゃないんだ。いつまでも馬鹿なことを考えてないで諦めろ。お前一人じゃ、近場の公園にピクニックにだって行けねえよ」
「そ、それぐらい行けるわよ!」
「へえ?」
大丈夫だとみんなを納得させるはずなのに、なぜか上手くいかない。
それどころかマティアスにはさらに馬鹿にされてしまったわ。
でもわたしにはまだとっておきの切り札が残っているもの。
「エリカさんはもし願いが叶ったとして、どんな装備で森に入るつもりなのかな。まさかドレスで行くつもりじゃないよね?」
「そ、装備?」
「ああ、確かにそんなひらひらした格好で草木が生い茂る森に入れるわけないよなあ」
殿下には遠慮がちにちらりと、マティアスには無遠慮にじろじろと視線を向けられて、思わず自分を見下ろした。
「ひらひら」と言われても、わたしが持っている服の中でこの制服が一番動き易いのに?
あ、そうだわ。
「体操服がありますもの!」
体操服に体操靴なら動き易いし、一人でも着替えられる。
とってもいい考えだと思ったのに、室内には一瞬の沈黙が落ちて、マティアスが大きく吹き出した。
殿下は笑いはしなかったけれど、なんだか気が抜けたみたいに反応がない。
そんなにおかしなことを言ったかしら。
どんどん自信がなくなって、落ち込みそうになったわたしの手をリザベルが強く握ってくれる。
「ブリュノーさん、エリカは殿下とお話しているんです。黙っていることができないのでしたら、出て行って頂けませんか?」
「はあ? 何言ってんだ? まさかお前、この馬鹿な計画に賛成しているのか?」
「いいえ、もちろん反対ですわ。ですが、エリカが殿下に協力をお願いすることに邪魔はできませんもの」
「何だ、そりゃ。変な奴だな……」
マティアスはリザベルの毅然とした態度に顔をしかめたけれど、結局一言ぼやいて口を閉ざした。
さすがリザベル。
わたしの計画には反対だけれど、わたしの味方はしてくれる。
それだけですごく嬉しくて心強い。
こうして反対されたお陰で、わたしの計画の甘いところがたくさんわかったわ。
だからもう一度最初から計画を練り直せばいいのよ。
「ところで、エリカさんが急に森へ行こうと思い立ったのは何のため?」
「え? は、いえ、その……」
装備についてはレオンスお兄様のお部屋を探せばどうにかなるかも、なんて考えていたせいで唐突な殿下の質問についていけない。
えっと、森へ行く目的ってことよね?
それって何て答えるべきなの?
ただの冒険だと答えたとしてますます反対されるに決まっているもの。
ここはやっぱり一部正直に言うべきだわ。
「あの、今は魔法石の需要が高まっていると聞いて、わたしにも何かお手伝いができるのではないかと……」
ちょっと苦しいかしら? いいえ、立派な理由よね?
これでどうかな? と殿下を窺うと、いつもの爽やかな笑みが返ってきた。
「要するに、ギデオンを助けるためだよね?」
その笑顔の意味を考える間もなく、ずばりと核心をついた殿下の言葉に驚いて、わたしだけでなくリザベルもマティアスまでもがはっと息をのんだ。
どうしてそれを? 殿下はギデオン様のご病気のことを知っているの?
パニックになりかけてふと気付く。
そうだわ。レルミット侯爵家の家督に関する問題だもの。殿下が――王家の方が知らないはずがないのよ。
殿下とルイが顔見知りだったことからして、きっとお兄様の研究のこともご存知なんだわ。とすれば、誤魔化しても仕方ない。
「……森の中では光魔石の消耗が激しいそうです。どんなに良質の光魔石を用意していてもあっという間に灰になってしまうと。採掘師の方達は〝レンブル″を数回唱えるのが精いっぱいなので、どうしても二日の行程を超えることができないと聞きました。ですからわたしが先生のおっしゃる通り、他の人達よりも光魔法に長けているのなら、お役に立てると思うんです。足手まといになる以上に」
もしわたしが二日の行程を三日に延ばすことができたなら、増魔石がもっと見つかるかもしれない。新しい魔法石が発見できるかもしれない。だから一度でいいから森へ行きたい。
その願いがどんなに我が儘でもやっぱり諦められないわ。
「エリカさんの言い分はわかったよ。あれだけ僕との婚約は嫌だと言っていたのに、なぜ急に受ける気になったのかもね。確かにアーグレイ離宮に滞在するには僕と婚約したことにする方が自然だよね。僕が一緒にいないのは不自然だけど。それで、僕の婚約者となれば今以上に重要な立場になることはわかってる? もし行方不明にでもなれば、君のご両親は責任を問われてしまうことになるのに。そのことについてはどう考えているの?」
「え? あの、それは……」
「ああ、やっぱり答えなくていいよ。申し訳ないけれど、僕はこの話を受けないから」
「なっ、なぜですか?」
婚約の利点ばかり考えていて、問題点を考えていなかったわたしはどうしようもない馬鹿だけど。
どうしてこんなにあっさり断るの? ついこの間まであんなに熱心だったのに。
「ギデオンを助けたいという思いは僕も一緒だよ。だけど、エリカさんが森へ行くなんて危険なことは承認できない。だから……」
一旦言葉を切った殿下はうつむき加減に小さく息を吐いた。
そして顔を上げると、また爽やかに微笑んだ。
「エリカさんは、ノエルと婚約してはどうかな?」




