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「ねえ、お兄様。あのね、正直に教えて頂きたいのですけど……」
「うん、何だい?」
「その、ギデオン様は、ご病気なの?」
「……どうしてそんなことを?」
わたしの思い切った問いかけに、ジェラールお兄様は少し沈黙してから応えた。
でも質問に質問で返すなんてずるいわ。
それではまるで真実を誤魔化そうとしているみたいじゃない。
そんなお兄様の態度に胸がぎゅっと苦しくなったけれど、ここで引いてはダメ。
ごくりと唾をのみ下して、お兄様を真っ直ぐに見つめる。
「ギデオン様は失力症というご病気なの? 正直に答えて、お兄様。お願い」
「……それをエリカは誰から聞いたんだい?」
「お兄様! そんなことはどうでもいいでしょう? やっぱりそうなの? ねえ、わたしとても心配なの。お願い。違うなら違うと言って!」
お兄様を問い詰めるようなことはしたくなかったけれど、本当のことを教えてほしい。
その気持ちが昂って前へと身を乗り出したわたしの頬にお兄様はそっと触れた。
「エリカ、泣いてはダメだよ。エリカが泣くと、みんなが悲しんでしまう」
頬に触れるお兄様の手が優しく涙を拭いてくれる。
どうしてわたしはここで泣いてしまうのかしら。
これではやっぱり子供だと思われても仕方ないわ。
「お兄様、わたしは泣いていません。怒っているんです。自分の不甲斐なさに」
「……うん。エリカの気持ちはわかるよ。僕も同じだったからね。だけど今はとりあえずルイの淹れたお茶を飲んでごらん。気持ちが落ち着くから」
わたしが何を言ってもお兄様は穏やかなままで、仕方なく勧められたお茶を飲む。
すると、確かに焦っていた気持ちが落ち着いてきた。
ルイが淹れてくれるお茶はいつも美味しいけれど、今日はどこか特別みたい。
ハーブか何か混じっているのかしら。
しばらく味と香りを楽しんでカップを置くと、それを合図にしたようにお兄様はゆっくり口を開いた。
「それで、ギデオンのことだったね?」
「はい」
「そう……確かに、ギデオンは失力症だよ」
ああ、やっぱり……。
本当はどこか心の奥でお兄様が否定してくれるのを期待していたみたい。
わかっていたはずなのにこんなにつらいなんて。
がっくりと肩を落としたわたしをお兄様が心配そうに見ている。
そのお顔は悲しみに曇っていて、わたしはそこでやっと気づいた。
そうよ。本当に励ましが必要なのはお兄様の方なのに。
ギデオン様とは正等科に入る前からのお友達なんだもの。つらくないはずがないわ。
そんなことにも気付かなかったわたしって本当に馬鹿。
「お兄様、わたしは大丈夫よ。もう泣いたりしないわ。でも、お兄様は……大丈夫?」
「ありがとう、エリカ。僕は大丈夫だよ。そりゃ、もちろん初めは信じられなかったし受け入れられなかったけどね。僕達は高等科の三年で、将来についてあれやこれや語り合っていたんだから。失力症の診断が下されるまでは、ただの疲労だろうくらいにしか思っていなかった。だけど現実は残酷だね。僕はギデオンから打ち明けられた時、とても取り乱したよ。それなのに当のギデオンは冷静に受け止めていて、それが逆に腹立たしくてね。一方的に怒りをぶつけてしばらくは口もきかなかったんだ」
「まあ、本当に?」
「本当だよ。僕は甘やかされた三男坊だからね」
家族の中でも一番穏やかなジェラールお兄様が怒るなんてびっくり。
しかも〝甘やかされた″だなんて。
「それでも、一方的に絶交している間に色々と考えたんだ。僕がギデオンのためにできることは何かって。ギデオンは早々にオーレリーに嫡子としての立場を譲り、生きている間に少しでも人のためになることをしたいと、研究科への進学を決めてしまった。その頃、新たな魔法石がどんどん発見されていたからね。それで僕も魔法石の活用方法を研究しようと思ったんだ。僕はギデオン自身のためにね」
「そうだったんですね……。それで、効果はあったのでしょう? ギデオン様はお元気そうですもの」
「いや……今はまだ何とも言えないな」
「そんな……」
実は治療法が見つかったんだと、その言葉を待っていたのに。
でも悲しそうなお兄様に落胆の言葉を言えるわけもない。
お兄様は大きくため息を吐いて立ち上がると、机の上にあった革手袋をはめた。
そして引出しの中からいくつかの魔法石を取り出す。
「お兄様、その黒い魔法石は……」
「うん。以前、エリカに触らないように言ったものだよ。あの時はすまなかったね」
「いいえ。わたしが悪かったのですから気にしないで下さい。それにしても、色々な魔法石があるんですね」
戻ってきたお兄様がテーブルの上に並べた魔法石は様々な色や形に輝いている。
乳白色の魔法石は光魔石と呼ばれていて光を灯すための一般的なもの。
それにフェリシテさんがしていたペンダントのような翠色の石や、青色のものもある。
「以前にも話したと思うけど、魔法石には色々な種類があり、力がある。これらはその一部だよ。たとえばこの青色の魔法石。これは魔力を増強させる力が秘められていて、今一番高値で取引されているんだ。手の中で握り締めれば実力以上の魔法技を操ったり、魔力を持続させることが可能だからね」
「すごいですね! それでは、わたしが握れば苦手な炎魔法も操れるのかしら?」
「できないことはないけど、あまりお勧めはできないな。貴重な魔法石をわざわざ苦手な魔法のために使うなんてもったいないからね。それよりも得意な魔法をさらに増強させた方がいいだろう?」
「それもそうですね……」
これで魔法技の授業も苦労しないかもなんて、ちょっと期待したのに。
でもやっぱり実力を偽っても自分のためにならないものね。反省。
「ねえ、お兄様。その魔法石も光魔石のように、使ってしまうと灰色に変わってしまうのですか? 無限に力を与えてくれるわけではないのでしょう?」
「うん、その通りだよ。今のところ、どの魔法石にも限りはあって、力を引き出せば次第に灰色に変色してしまう。だけど力を作用させるための方法はそれぞれ違うんだ。まあ、それはギデオンの研究分野になるね」
「ええ、ギデオン様に少し教えて頂きました。同じ石でも扱い方を変えれば引き出せる力も違うと。だからそれを各国は必死になって研究しているって」
「そうだね。光魔石が別名・炎魔石と呼ばれて燃料として使われるように、この青色の石――最近では増魔石と呼ばれているらしいけど、これも他に何か力があるのではないかと考えられている。そういえば、ある人が体内に取り込めば手に握る以上の力が得られるのではないかと、石のまま飲み込んだらしいよ」
「石のまま!?」
「そんなに驚かないで、エリカ」
わたしがどんな顔をしてしまったのかはわからないけれど、お兄様は声を出して笑った。
だって、石を飲み込むだなんて本当に?
「向こう見ずな人間はどこにでもいるからね。まあ、幸か不幸か何の変化もなかったらしいけど。未知なるものに危険は付きものと言ったところかな。ちなみにこちらの石――怪我に治療効果のあるこの薄紅色の魔法石は、たまたま採掘師が怪我をした手で握ったところ、その怪我が治ったことから治療効果が発見されたんだ。そしてさらに、どこかの無謀な男が酷い二日酔いの勢いで、細かく砕き飲み込んだらしい。するとたちまち回復したということで、今では万能薬として粉末にしたものも高値で取引されるようになったんだよ」
「では、ギデオン様も……」
期待を込めたわたしの言葉はそれ以上口にできなかった。
お兄様は静かに首を振ってまたため息を吐く。
「万能薬と謳ってはいても、その効能は限られているようだね。この二年、分量を変えたり、飲み方を変えたりしているんだけど、あまり効果は見られないんだ」
「でも、ギデオン様はお元気そうだわ。医学書には発症から三年ほどでと……」
「ああ、うん。確かに病気の進行を少しは抑えられているのかもしれない。だが、発作の頻度は徐々に多くなっているんだ。だが今回……」
「何か見つかったのですか?」
言い淀むお兄様に焦れて、またソファから身を乗り出す。
お兄様はそんなわたしの肩を軽く押してソファに戻らせると、あの黒い魔法石を手に取った。
「エリカ。この石はね、採掘師達に〝盗魔石″と呼ばれ、長年の間恐れられていたものだよ」
「盗魔石?」
「そう。この石に触れれば途端に力を失う。そしてしばらくは立ち上がれないほど体に不調をきたしてしまうんだ」
「それでは、まるで……」
「うん。〝失力症″のようだよね」
お兄様は手にした黒色の石――盗魔石をじっと見つめたまま、ぽつりと応えた。
そして石をテーブルに戻す。
「しかも石によってどれほどの力を失うのかはわからない。一日動けなくなることもあれば、半日程度の場合もある。どちらにしろ森の中でそんな状態になるなど、命にかかわる事態だからね。採掘師達が恐れるのもわかるだろう?」
「ええ」
お兄様があの時あんなに厳しく触らないようにと言ったのにはそんな理由があったのね。
なるほど、と納得しつつ自分の軽率さを改めて後悔。
「では、お兄様が手袋をなさっているのは、直接その……盗魔石を触らないためですか?」
「そうだよ。これはとある魔獣の皮から作られているんだ。衝撃にはそれほど強くないけれど魔力を通しにくいこの皮は、最近では鎧の下などに身に着けるために需要が高まっているみたいだね。採掘師にとっては、この革手袋のお陰で視界の悪い森の中、盗魔石を恐れることなく安心して他の魔法石を探せるようになったんだよ」
要するにこの革手袋のお陰で、次々と新しい魔法石が発見されているってことかしら。
しげしげと手袋を見ていると、お兄様は次に翠色の石を手に取った。
「それで、力を得た盗魔石はどうなると思う?」
「え? そ、それは……灰色に変色するとか?」
突然の質問に戸惑って、翠色の石からお兄様へと目を向ける。
でも逆にお兄様は石へと視線を落としてしまった。
「いや、盗魔石は力を満たすと、このように翠色に輝くんだ」
「まあ! まったく別物のようなのに。……では、何か力があるのですか?」
「それが何の力もない。ただ貴石のように輝くだけ――と最近までは考えられていたんだけどね……」
やっぱり何かあるんだわ。
人の力を吸っているのかと思うと不気味だけれどすごく気になる。
またまた身を乗り出しそうになって我慢すると、お兄様の方がちょっと身を乗り出して囁いた。
「エリカ、これから教えることは母さんには内緒だよ? 心配をかけるからね」
「え、ええ……」
「じゃあ、手を出してごらん」
まさかお兄様の口からそんな言葉を聞くなんて。
どきどきしながらわたしが差し出した手に、お兄様はひょいっと翠色の石をのせた。
「え? あっ!……あら? 温かい?」
「うん、驚かせて悪かったね。危険はないから安心していいよ。温かく感じるのはエリカが今、石から力を得ているからなんだ」
「力って……では、これは誰かの力なのですか? わたし、その方の力を奪ってしまっているのですか?」
「心配しないで。それは僕の力だから」
「お兄様の!?」
「大丈夫だから落ち着いて」
石を放そうとしたわたしの手に手を重ねて、お兄様は穏やかに微笑んだ。
でもお兄様がつらい思いをして失った力を、わたしが得てしまうわけにはいかないわ。
「エリカ、気にしないでいい。失ってしまった力は、なぜか自分自身には戻せないんだ。だからそのまま石を握って、さっき言っていた炎魔法を……そうだな、あの暖炉に向かって〝ディーラン″を放ってごらん」
「でも……」
「大丈夫。エリカならできるよ。さあ!」
お兄様に強く促され、ちょっと投げやりで炎魔法の〝ディーラン″を唱える。
炎魔法は今まで一度も扱えたことなんてなかったから。
それなのに暖炉に灯った火にびっくり。
「お兄様……今の、お兄様がお力を貸して下さったのですか?」
「いいや。力を貸したと言うならその盗魔石だけだよ。エリカは炎魔法が苦手だと言っていたけれど、今まで〝ディーラン″に成功したことはあるの?」
「いいえ。初めてです。サムエル先生に教えて頂いてどんなに試しても、炎魔法だけはどうしても上手くいかなくて。魔力の属性の問題じゃないかって、先生はおっしゃっていましたけど……」
「そうか……。じゃあ、やっぱりそういうことなんだろうな。ありがとう、エリカ。お陰で確信が持てたよ」
そういうことって、どういうこと?
炎魔法が成功したことは嬉しいけれど、お兄様の言葉の意味がわからないわ。
「お兄様?」
「うん。実はね、ギデオンの病気は失力症と呼ばれてはいるけれど、いったい何が原因なのか今まではっきりとはわからなかったんだ」
「では、わかったのですか?」
「おそらく間違いないと思う。失力症というのは、魔力を失ってしまう病気なんだよ」
「魔力を?」
「そうなんだ。学者達も薄々は魔力を失うことが……体内に宿る魔力がバランスを崩してしまうことが原因ではないかと考えてはいたんだけどね。試しにギデオンに増魔石を持たせたところ、あっという間に灰色に変色してしまい、それからしばらくは発作が起こらなかったんだ」
「まあ! それでは増魔石をたくさん集めればいいんですね?」
「そうできればいいが……。増魔石はとても希少でうちの領地でもなかなか手に入れられないんだ。それに、各国とも増魔石の確保には躍起になっているからね」
「それでも……あ! だから盗魔石なんですね!? 盗魔石でギデオン様のお力を補えばいいのですね!?」
「うん……」
「では、わたしにも盗魔石を下さい! わたし、魔力だけは通常よりも多いって言われているんですもの!」
これでギデオン様が助かる。わたしも力になれる。
その興奮から声まで弾んでしまう。
それなのにお兄様のお顔は曇ったまま。
「残念ながら、それは無理なんだ」
「……なぜですか? わたしには無駄でしかない魔力なのに」
「それが……どうやら魔力には型があるようなんだ」
「……型?」
「そう。これも最近の研究でわかってきたことなんだけどね。エリカが盗魔石を通して僕の魔力を得ることができたのは、魔力の型が同じだからなんだ。実は先ほどの石をギデオンに持たせてもまったく反応しなかった。ルイに協力してもらったが、それも同じ結果だったよ。だからギデオンが受け入れる魔力は同じ型――家族のものだけのようなんだ」
また落胆をあらわにしないように気をつけて質問したわたしに、お兄様はゆっくりと説明してくれた。
すごい発見のはずなのにお兄様が浮かない様子なのは、ギデオン様のお力になれないからなんだわ。
「それで先日、盗魔石をオーレリーに預けてみたんだ。直接触れると一気に力を奪われてしまうけど、布越しなら倒れるほどのことにはならないだろうと、ペンダントにして肌着の上に着けるようにお願いしてね。そして翠色になった石をギデオンに持たせたところ、発作が長期間起こらなかったんだ」
「では、オーレリーさんにお願いすれば――」
「それが、オーレリーに頼ることをギデオンが承知しないんだ。一度は研究のためと石を受け取ったけれど、これ以上はオーレリーに負担をかけたくないからと。盗魔石に力を奪われ続けるとどうなるのかわからないせいでもあるだろう。それであの時――エリカに怒鳴ってしまったあの時、オーレリーからの石を受け取ろうとしないギデオンと口論になってしまって……。そして数日後、発作を起こしてしまったものだから、オーレリーまで落ち込んでしまってね」
「そうだったのですね……。でも、あの……ギデオン様が発作を起こされる前日、わたしを保健室まで運んで下さったんです。そのせいで発作を起こしてしまわれたのではないでしょうか?」
「いや、それはまったく関係ないよ。だから気にしないで」
ずっと気になっていたことを口にしたわたしの頭を、お兄様は優しく撫でてくれた。
小さいころからずっと、ジェラールお兄様の温かな手はとても安心できる。
お兄様は知らず笑っていたわたしを見てほっとしたみたい。
「失力症についての根本的な原因はまだ謎ではあるけれど、応急的対処法はわかったからね。それだけでも良しとするべきだな。それに、これから新たに発見される魔法石が奇跡を起こしてくれるかもしれない。だから僕も精いっぱい研究を続けるよ」
「……そうですね。お兄様の研究はきっと素晴らしい結果を出すことができますわ。それに奇跡のような魔法石だって発見されるかもしれませんもの。でもお兄様、研究も大切ですが、お体のことも考えて下さいね」
「ああ、そうだね。ありがとう」
「いいえ、こちらこそありがとうございました」
「うん。遅くなってしまったけど、気をつけて帰るんだよ。じゃあ、馬車寄せまでルイに送らせるから少し待っていて」
「――ええ、ありがとうございます」
お兄様に笑顔でお礼を言って研究室を出ると、その途端に堪えていたものが涙と一緒に込み上げてきた。
わかってはいたけれど、真実に胸が痛い。
だけどもう泣かない。だってギデオン様は絶対に治るもの。
「もうここまででいいわ。ありがとう、ルイ」
「ですが、エリカ様……」
「少しだけサムエル先生とお話があるの。トムにも今日は遅めに迎えに来てくれるようにお願いしているから大丈夫よ」
教務室の前でルイと別れ、サムエル先生の机へと向かう。
先生には前もってお話があると伝えていたから、待っていてくれたみたい。
遅くなったことをお詫びして、衝立で仕切られた席に場所を移すとメモを準備。
知りたいことはたくさんあるけれど、まずはわたしの力について。
オーレリーさんが言っていたように、世界は魔法石によって変革の時を迎えているんだわ。
だからもう古臭い医学書なんて信じない。
お兄様がギデオン様のために研究なされているように、わたしはわたしにできることを頑張るわ。




