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「エリカ! いったいどうしたの!?」
お見舞いに来てくれたリザベルの驚きの声に、立ち上がったわたしは微笑んで応えた。
だけどやっぱり騙せなかったみたい。
リザベルは持っていた荷物を手近なテーブルに置くと、わたしに駆け寄り座るように促す。
「座って、エリカ。本当にどうしたの? ロレーヌさんとのことは聞いたわ。それで、どこか怪我をしてしまったの?」
リザベルは隣に腰を掛けて上から下からわたしを調べるように見ている。
そんなにわたしは酷い顔をしているかしら。
侍女に任せきりでろくに鏡も見ていなかったから、今自分がどんな顔をしているのかよくわからない。
あの日から五日。ベッドから出られるようになって二日。
図書室で倒れていたわたしを見つけたのはクレファンスで、その時にはもう熱が出ていたみたい。
医学書がわたしの手にあったのは、体の不調を自分で調べようとしていたからだと思われたらしく、あとでお母様に叱られてしまった。
それから、「エリカが望まないのなら、結婚なんてしなくていいのよ」って優しく言ってくれた。
違うのに。そうじゃないのに。
結局、お母様達に謝ることもできないまま、わたしは今も甘やかされている。
「リザベル、心配かけてごめんね。でもロレーヌさんは関係ないの。ちょっと他にショックなことがあっただけ」
「まさか、殿下に何かされたの?」
「もちろん違うわよ」
眉をきゅっと寄せたリザベルの問いに、思わず吹き出してしまった。
濡れ衣を着せられてしまった殿下には申し訳ないけれど、久しぶりに笑って心が少し軽くなる。
そんなわたしを見てリザベルもにやりと笑う。
「白馬に乗った王子様の如く、殿下がロレーヌさんの魔の手からエリカを救い出したって聞いたんだけど?」
「本物の王子様じゃない、ヴィクトル殿下は。ただし、わたしの王子様じゃないけどね」
「そうね。エリカの王子様なら、誰もいない準備室に連れ込んだりはしないわよねえ」
「ちょっと、変な言い方しないで! 当然、何もなかったんだから!」
「わかっているわよ。今のはちょっと脚色しただけ。その話は大して話題になっていないもの。学院ではすっかりエリカと殿下は公認の仲よ」
「何それ、最悪だわ……」
リザベルから聞いた話は好ましくないけれど、やっぱりこうして話しているのは楽しい。
わざと茶化して楽しませてくれるリザベルの気遣いに嬉しくなって、ぎゅっと抱きしめる。
「大好きよ、リザベル」
「わたしも大好きよ」
抱き合って告白し合ったところで、お茶を用意して持って来てくれた侍女が一瞬びくりとした。
だけどすぐに素知らぬ顔でお茶を淹れてくれる。
その間じっと黙っていたわたし達は侍女がお辞儀をして出て行くと、堪え切れずに吹き出した。
「ちょっと、笑わないでよ」
「リザベルこそ。わたしはつられているだけよ」
「うそ。エリカが先に笑い出したんじゃない」
くすくす笑いながらリザベルはお茶菓子を見て「そうそう」と思い出したように立ち上がり、テーブルに置いていた荷物を手に取った。
「これ、渡すのが遅くなってしまったけれど、お見舞いよ」
「まあ、可愛い! それにこれは、わたしの好きなパティスリーの? ありがとう、リザベル」
リザベルからもらったのは両手のひらサイズのフラワーアレンジメントと、最近のお気に入りのパティスリーの包み。
ここのマカロンがとっても美味しいと、先日のお昼に切々と語ったばかりだったから。
おもたせだけれど、リザベルと一緒に食べたいもの。いいわよね?
そう思って包みを開けると、箱に詰められていたのはフィナンシェ。
ちょっと拍子抜けしたけれど、これももちろん美味しいから大好き。
「先ほど、こちらにお邪魔する前に寄って来たのよ。そうしたらね、誰にお会いしたと思う?」
「え? わざわざリザベルがお店に行ってくれたの? ありがとう! でも、誰かしら? 女学院に進学した子達?」
「残念。実はね、ヴィクトル殿下にお会いしたの。あちらも学院からの帰りだったみたい」
「……殿下が?」
「そうよ。それでプレゼント用にマカロンを包むようにおっしゃっていたから、重なっても困るかと思って、フィナンシェにしたの」
「重なるって……」
フィナンシェをお皿に盛って顔を上げ、リザベルと目を合わす。
するとリザベルの碧色の瞳は好奇心に輝いていた。
「ここ数日、色々なパティスリーで殿下の出没情報があがっているのよ」
「出没って……魔獣じゃないんだから」
「あら、それだけ珍しいってことよ。近衛騎士を連れられた制服姿の殿下は目立つもの。しかもパティスリーにいらっしゃるなんてね。だから学院だけでなく、街中の噂よ」
確かにそれは目立つわね。
以前、……あの時の殿下はお忍びだからと良家の若者風の格好で帽子を深くかぶっていたし、近衛騎士も制服ではなかったから。
「それで学院では、欠席しているエリカのために殿下がご自分でお見舞いの品をお求めになっているのではないかって、噂されているのよ。で、どうなの? やっぱり、お花とお菓子を持っていらっしゃるわけ?」
「……いらっしゃってはいないわ。それにお花もないけど、お菓子だけは毎日届いているみたいね」
「あら、求愛にお花は付きものなのに」
「リザベル! わたしと殿下はそんなのじゃないってば! それにわたしにはギデオン様が……」
殿下がどういうつもりなのかなんてわからないけれど、そんなことはどうでもいいの。
ただギデオン様のお名前を口にしただけで、また悲しみが込み上げてきて、涙を堪えられなかった。
そんなわたしを見て、リザベルはからかいの笑みを消し、優しくわたしの手を握ってくれる。
「ねえ、エリカ……ショックなことって……ギデオン様が婚約なされたとか?」
恐る恐る問いかけるリザベルに首を振って応えるだけで精いっぱいで、それからわっと泣き出してしまった。
リザベルは声を出して泣くわたしをただ黙って抱きしめてくれる。
「……ありがとう、リザベル。泣いたりして、ごめんね」
泣くだけ泣いて落ち着いてくると、顔を上げてどうにか微笑んだわたしに、リザベルは気にしないでと言うように微笑み返してくれた。
その温かな微笑みに甘えて、この五日間ずっと誰にも言えずにいたことを打ち明ける。
「まさか……何かの間違いじゃなくて?」
「……わからないの。ちゃんと確認するのが怖くて。間違いだったらいいのに……でも本当だったら?」
またぐすぐすと泣きながら、それでもこの五日間――正確には三日間考えていたことをリザベルに話す。
病気の真偽をジェラールお兄様に確認してみること。お兄様の研究はギデオン様のためなんじゃないかって思っていること。だとすれば、魔法石での治療が一定の効果を上げているのかもしれないって。
「だって、医学書には発症から三年ほどでって……。でもギデオン様はお顔の色が優れない時もあるけれど、まだ……まだお元気だもの。だからやっぱり間違いじゃないかとも思うの。それでもとにかく明日勇気を出してお兄様に訊いてみるつもり」
もっとわたしの頭が良かったら、魔法を上手く扱えたら、お兄様のお手伝いができるのに。
そう考えては、何の力もない自分が嫌になってしまう。
せめてコレットさんくらいの実力があれば……。
「――エリカ、大丈夫?」
「え? ええ、大丈夫よ」
どうやらぼんやりしていたみたいで、リザベルが心配顔でわたしを見ていた。
気が付けば太陽はずいぶん傾いている。
「リザベル、今日はありがとう。お陰で少し楽になれたわ」
「ううん。つらいとは思うけれど、何かわたし達にだってできることがあるかもしれないもの。そのためにも元気にならなきゃダメよ」
「ええ、そうね。本当にありがとう」
にっこり笑って大丈夫なところを見せると、リザベルはわざと疑わしそうに顔をしかめた。
それがおかしくてまたくすくす笑い合う。
「じゃあ、明日は登校できるのね?」
「もちろんよ」
「良かった。それじゃあ、今のうちに言っておくわね。ロレーヌさんとシュゼットさんが女学院に転籍したのよ」
「……シュゼットさんまで?」
「ええ。あの二人はずっと仲が良かったし、元々二人とも女学院に進学予定だったから」
「わたしのせいで、クラスの女の子が減っていく……」
ちょっと落ち込んでぼそりと呟くと、リザベルがぺちんとわたしの背中を叩いた。
「馬鹿ね。エリカのせいじゃないわよ。フェリシテさんもロレーヌさんも自業自得なんだから。まあ、学院では「エリカ様には逆らってはいけない」って囁かれ始めているけど」
「またそんな……」
今さら何を言われても驚かないけれど、このままだと本当に学院に君臨してしまいそうだわ。
ほんの半年前までは一人で本を読んで過ごす、引っ込み思案の一生徒だったのに。
あの〝レンブル"の事故からわたしの運命は大きく変わってしまったみたい。
今では大親友になったリザベルにお見舞いのお礼を言って、玄関でお母様と一緒に見送る。
そして夕食まで少し休むためにベッドに入った。
体調は悪くないけれど、また熱がぶり返さないために休息は必要だから。
明日は登校してまずはオーレリーさんとグレースさんに謝罪しないと。
約束を破ってしまった謝罪の手紙は今日書いて出したけれど、あれだけ偉そうにグレースさんを誘ったんだもの。改めて謝罪しないと申し訳ないわ。
たぶんわたしが次の日から欠席したことで、グレースさんは気にしているでしょうし。
それから放課後はお兄様の研究室にお邪魔して、きちんと確かめるのよ。
リザベルに打ち明けたことで前向きな気持ちになれて、ベッドの中であれこれ考えているうちにぐっすり眠ってしまった。
だからこの日の夕方、殿下がマカロンを持ってお見舞いに来てくれたと知らされたのは翌朝になってからだった。




