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「エリカ、入学おめでとう!」
「リザベルもおめでとう! わたし達、同じクラスね!」
卒業式から十日後、新しい制服に身を包んで、高等科の校舎にある正面入り口に張り出されたクラス発表を見ながら、リザベルと今さらながら祝福の言葉を交わした。
正等科とグラウンドを挟んだ反対側に建つ高等科の校舎は正等科よりかなり大きい。
奥には研究科の棟があって、わたしの三番目のお兄様――ジェラールお兄様がいる。
高等科を卒業したあとも魔法についての研究に日夜没頭しているのよね。たまには屋敷に帰って来てほしいわ。
二人で教室まで移動しながら、こっそり辺りを見回す。
この学年はどうやら女学院や騎士訓練所に進んだ子が多いらしく、知らない子ばかり。
一般家庭の子はわたし達以上に緊張した様子だからすぐにわかる。
それにしても、なんていうか……視線を感じるわ。
やだ、ひょっとして、こっそり引いたアイラインが滲んでる? でもそれなら、リザベルが教えてくれるはず。薄く化粧していることは、この前のお芝居の時に気付かれているもの。
「ねえ、リザベル。何か視線を感じない?」
「ああ、それはエリカが美人だからじゃない? みんな慣れてないから、きっとつい見てしまうのよ」
「そういう冗談はいいから。そうだとしてもリザベルを見てるのね、みんな」
「……エリカ、前から思っていたんだけど、あなたって――」
「こんにちは、エリカさん、リザベル。久しぶりだね」
「あら、ジェレミー。こんにちは。これからまた三年間よろしくね」
「こんにちは、ジェレミー」
リザベルは何か言いかけていたけど、ジェレミーの挨拶に遮られてしまった。
ま、大切なことならまた話してくれるわよね。
ジェレミーは数少ない男子演劇部員。この間のお芝居ではヒーロー役を演じていた。
伯爵家の嫡男だから騎士訓練所には通わずそのまま高等科に進学したけれど、本当は下町にあるらしい演劇学校に進みたかったみたい。
せめて二男や三男なら、両親も許してくれたんじゃないかって嘆いていたものね。……たぶん、それでも無理だったと思うけど。
「ああ、僕はなんてついていないんだ。愛しのエリカさんとクラスが離れてしまうなんて。こうなったらもう、告白するしかない。エリカさん、愛している。僕と付き合って欲しい」
「もう、やめてよ。馬鹿なことを言わないで」
わたし達の教室まで来たところで、いきなりジェレミーが跪いてわたしに愛の告白をしてきた。
その芝居がかったセリフは止めてほしいわ。
あのお芝居以来、ジェレミーはわたしをこうしてからかうんだから。
怒ったふりをして彼の差し出した手を振り払い、教室に入る。
リザベルも笑いながら立ち上がったジェレミーに手を振って、あとから教室に入って来た。
「ほんと、ジェレミーには困ったものよね」
「困ったどころじゃないわよ。どこでもかしこでも、お芝居を始めるんだから」
「まあ、ジェレミーはわたし達の中でも一番本気でお芝居に取り組んでいたから。これくらいは許してあげないと」
「じゃあ、次はリザベルが相手になりなさいよ」
「えー、それは無理」
「まったくもう!」
教室内でもいささか視線は感じたけれど、もう気にせずに決められた席に着く。
リザベルはわたしの前の席だからおしゃべりはまだ続けられる。正等科でもリザベルは出席番号がすぐ前だったから、よく話しかけてくれたのよね。
どこか浮かれた空気の中で予鈴の音が響いた時、新たな二人の生徒が教室に入って来た。
途端に、ざわりと教室が大きく揺れる。
リザベルは無言のまま、机に置いたわたしの手を何度も叩く。ええ、わかってるから、痛いから止めて。
お父様から話は聞いていたし、先ほどのクラス発表でも名前は見たからわかっていたもの。
このケインスタイン王国の第二王位継承者である、ヴィクトル・ケインスタイン王子殿下が編入して来るって。
殿下は正等科には通っていなかったからあまり知らないけど、騎士訓練所には一年入所していたらしく、年齢は確かわたしより一つ上だったはず。
一緒にいるのは……えーっと、たぶんブリュノー公爵のご子息ね。名前は忘れたけど。
二人の存在はわたしでも興奮するけど、一般の子達はもうそれどころじゃないみたい。
まあ、初めは仕方ないわよね。でも将来この国の中枢を担う為に、貴族相手にもしっかりした態度で臨めるようにならないと。早く慣れるといいわね。
殿下は一度教室内を見まわすと、わたしをじっと見つめた。
やっぱりアイラインが滲んでる? それともマスカラ?
公爵の息子が殿下に何か耳打ちしてる。もう、気になるじゃない。
ここが学院でなければ当然すぐに立ち上がって膝を折るけれど、今はしないわよ。名乗るのはあとの自己紹介の時間で十分だもの。
そっと目を伏せ前を向いた時、本鈴が鳴った。
それからは何事もなく、講堂での式のあとは教室に戻り、緊張と興奮の中での自己紹介も終えて、みんなが家路についた。
「おかえりなさい、エリカ」
「ただいま、お母様」
「それで、今日はどうだったの?」
「どうって、何のこと?」
「ヴィクトル殿下と同じクラスになったのでしょう? 何かお話した?」
「いいえ、そんな機会はなかったもの」
「まあ、そうなの? 残念ね」
お母様はがっかりしたようにため息を吐いたけれど、どうして殿下と同じクラスになったと知っているのかしら?
そういえばお父様から殿下が編入されるらしいって聞いた途端、女学院に進むようにと言わなくなったけど、まさかね。
わたしが引っ込み思案なのは知っているはずだし、変な気を起こさないでほしいわ。
自室に戻り、侍女に手伝ってもらって制服からドレスに着替える。
膝下スカートの制服の方が動きやすくて好きだけど、お母様は制服を嫌がるのよね。体操服を見た時は青ざめていたもの。『私達の時代には女の子は体育なんてしなかったのに!』って。
でもやっぱり手伝ってもらわないと着られないドレスより、自分で着替えられる制服や体操服の方がわたしは好きだわ。
明日から始まる授業の予習をしながらも、つい自分が〝レディ・ジューン″だったら、なんて妄想して楽しんでしまう。
内気な自分じゃなく、もっと明るくて楽しい自分だったら。自由奔放なイザベラのように。
そんな妄想はベッドに入ってからも続き、夢の中では憧れの冒険に出掛けていた。
* * *
「いってらっしゃいませ、エリカお嬢様」
「ありがとう、トム。いってきます」
御者に見送られて学舎に入り、教室に向かう。
心なしか昨日よりも視線を浴びている気がするけれど、きっと思いすごしよね?
なんだか自意識過剰になっているみたい。リザベルがもうすでに教室にいてくれてほっと息を吐く。
「おはよう、リザベル」
「おはよう、わたしの大好きなエリカ」
「急にどうしたの?」
席に着いていたリザベルに挨拶をしたら、いきなり告白めいた挨拶を返されて驚いた。
朝から何をふざけてるのかしら。リザベルは〝にやにや″と表現した方がいい笑みを浮かべてる。
「今日は朝からおもしろい話を聞いちゃった」
「何? どんな話?」
「この学院にね、とんでもない悪女が入学してきたんですって」
「本当に? どんな人?」
「自由奔放な美女で、男を手玉に取る妖艶な悪女ですって」
「ええ? まるで〝イザベラ″のようね。何て言う名前なの? このクラス?」
「ええ、このクラスよ。名前はエリカ・アンドール。アンドール侯爵令嬢よ」
「ちょっ! えっ!? ええっ!?」
あまりの驚きに椅子からひっくり返りそうになったわ。冗談にも程があるでしょう!?
喉が詰まったように言葉もなく、口をパクパクさせていたら、リザベルはにやにや笑いのまま続けた。
「どうやら昨日のジェレミーとのやり取りを見た誰かが、イザベラと結びつけたみたいよ。それで一日の間に噂が広まったみたいね。一般の子達は貴族に対して興味津々だし、エリカの美貌に恐れをなしたのも無理はないわね。入学早々、こんなに楽しい話題を提供してくれるなんて、大好きよ、エリカ」
「……冗談よね?」
「あら、本当よ。前から言いたかったんだけど、エリカって自分が美人って自覚ないわよね。最初の頃は謙遜しているのかと思っていたけど」
「わたしが美人なわけないじゃない。目だって奥二重だし――」
「アイシャドウとアイラインで綺麗に見せているわよ。紫水晶のような瞳の色は神秘的だし」
「髪の色だって、インクをこぼしたようにまっ黒よ?」
「ありきたりな金髪じゃないところがまた魅力的ね」
「唇だって薄いわ」
「そのリップの色、とっても綺麗に映えているわよね」
「美人っていうのはリザベルのことを言うのよ」
「ありがとう。でもわたしは平凡な美人よ。エリカの謎めいた美しさにはとてもとても及ばないわ」
もう何も言えず唖然としていたら、リザベルは悪戯っぽく笑ってわたしの手を握った。
なんだか嫌な予感がするわ。
「ねえ、エリカ。あなたは内気な自分を変えたいって言っていたじゃない? だからこれはチャンスよ」
「チャンス?」
「そう。内気なエリカから、自由奔放なイザベラになるチャンス。イザベラは困った人ではあるけれど、魅力的で友達も多かったんだから。その上でエリカ自身を知ってもらえばいいのよ」
「……そんなに上手くいくかしら?」
「もちろん、相応のふるまいは必要だわ。未婚のわたし達には名誉の問題もあるものね。だけどやましいことがなければ堂々としていればいいのよ。言いたい人には、言わせておけばいいわ。噂を信じる人は、所詮その程度ってことなんだから」
リザベルの言うことはもっともなことで、何も間違ってはいない。ただ問題は、わたしがお芝居ではない〝イザベラ″になれるのかってこと。
でも、今までの引っ込み思案な自分を変えるために、できるだけのことをやってみてもいいかもしれない。
「そうね。すぐには無理かもしれないけれど、わたし、頑張ってみるわ!」