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面倒なことはさっさと済ますのが一番。
という訳で、レルミットさんとは放課後にラウンジでお茶をすることにしたのよね。
リザベルに付き合ってくれるようお願いして返事を書きかけたものの、また配達人にお願いするのも馬鹿らしく思えて直接伝えることにして。
それが今、激しく後悔中。
せめて最初くらい、ギデオン様にも同席して頂けば良かったわ。
「――だから、友達としてアンドールさんを理解するためにも、まずあなたの生い立ちから話してほしい」
「あの……友達になるのに生い立ちを一から話す必要はないと思います。そういうことは、徐々にわかっていくものかと……。おそらく家族構成や趣味の話から始めるのが良いかと思います」
「そうか。だが家族構成は十分理解しているので、趣味の話をしよう」
「では……レルミットさんのご趣味は何ですか?」
「特にないな。アンドールさんは?」
「……読書です」
ほんの数カ月前まで友達らしい友達がいなかったわたしが言うのもなんだけど、この人ちゃんと友達がいるのかしら。
でも確か、数日前には教室で他の男子とお話されていたわよね。
引っ込み思案だったわたしにも友達ができたんだもの。たぶんリザベルのような奇特な人が他にもいるのよ。
そのリザベルをちらりと見ると、どうやら必死に笑いを堪えているみたい。
俯いて顔を伏せているけれど、肩が小刻みに揺れているわよ。
それにしても、これで終わりにするわけにもいかないし、何か共通の話題を探さないと。
「そういえば、昨日の朝はレルミットさんも本をお読みになっていましたよね? どんな本なのか伺ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、あれは『三圃式農業の利点と課題』という本だよ。今、世界は魔法石によって変革の時を迎えているだろう? 我々が利便性を追求することによって生活様式は大きく変わっている。だけどそれを一部の人間だけが享受していてはいけない。都市部だけではなく、農村部も豊かになってこそ、国は発展していくものだと思うんだ。特にレルミット家の領地ではアンドール家ほどの魔法石を埋蔵していないからね。それでもっと領地を豊かにするために何かできないか、勉強していたんだ」
「そうですか……」
先ほどまでとは打って変わってレルミットさんは活き活きとして見える。
きっと、領地のことをとても大切に思っていらっしゃるのね。だけど、ごめんなさい。その話題にはついていけないわ。
助けを求めてリザベルを見ると、まだ笑いを堪えている様子だったけれど、頼もしくも力強く頷いてくれた。
「ねえ、せっかくお友達になるのですから、お互い名前で呼び合ってはどうかしら? 家名で呼び合うのはよそよそしいもの」
「なるほど。確かにその通りかもしれないな。では、アンドールさん、アジャーニさん、名前で呼ばせてもらってもいいだろうか? もちろん、僕のこともオーレリーと呼んでくれてかまわない」
「――ええ、どうぞ。……オーレリーさん」
「もちろんかまいませんわ」
「ありがとう。エリカさん、リザベルさん」
話題を変えてくれたリザベルの提案に、レルミットさん――オーレリーさんは生真面目に応えた。
そうね。確かに名前で呼び合った方が友達っぽいというか、親密度が増す気がするわ。
それからはリザベル主導で好きな科目や苦手な科目などを話した。
やっぱり学生は勉強の話が一番盛り上がるわね。
オーレリーさんは相変わらず堅物な感じではあったけれど、わたしがいかに数学が苦手かを語っていた時は馬鹿にするでもなく、アドバイスまでくれたんだもの。意外と良い人ね。
それに時折浮かぶ笑顔はギデオン様によく似ていて嬉しくなる。
席を立った時には、始まった時のぎこちなさは消えていて、仲良くなれたとまでは言わないけれど、それなりに理解できたような気がした。
うん。オーレリーさんは真面目がかなり過ぎるのね。
* * *
気が付けば季節はすっかり夏で、学院ではもうすぐ長期休暇が始まる頃。
わたしの心がとっても浮かれているのは、去年とは違う夏になりそうだから。
今年はリザベルと避暑地で過ごすのもいいかもなんて、あれこれ計画を立てているのよね。
正式に決める前にお母様に予定を聞いておかなくちゃ。
それに、あれから定期的にラウンジでお茶をしているオーレリーさんとは、かなり親しくなれたと思うわ。
意外というのは失礼かもしれないけれど、オーレリーさんはとても面倒見が良くて、わたしが授業でわからないところがあったと言うと、すぐに教えてくれる。
お陰で数学も魔法学も少しずつ理解できるようになっているのよね。
しかも魔力についてのオーレリーさんの独自見解はとても面白い。きっと殿下も興味を持つんじゃないかしら。
でも殿下とは一方的に絶交中だから、挨拶以外は口もきかないの。
そのせいか、ジェレミーのクラスでの賭けは今、オーレリーさんが一番人気なんですって。
まあ、どうでもいいけど。
「お母様、只今戻りました」
「お帰りなさい、エリカ。着替えたら居間にいらっしゃい。大切なお話があるから」
「――はい、わかりました」
学院から帰宅すると、お母様がいつものように出迎えてくれた。
だけどお説教が始まりそうな気配に不安が募る。
それでもきっと大したことはないはずと言い聞かせて着替えると、急いで居間に向かった。
「エリカ、あなたは今、学院でレルミット家のオーレリーさんと噂になっているそうね?」
「え、ええ。そのようですが、ただ一緒にお茶を飲んでいるだけですわ。リザベルも同席しているのに、どうしてわたしと噂になるのか……」
「その方が話題性があって面白いからでしょうね。噂なんてそんなものだし、本来は学院内でのことは外の世界に持ち出さないものだけれど、今回ばかりはそうはいかないのよ」
深いため息を吐いて、お母様はこめかみに手をやった。
その仕草がとても疲れて見えて心苦しくなる。
学院内のことに大人が介入してくることはまずあり得ないから油断していたけれど、それでも耳には入るはずだもの。
「お母様、心配をかけてしまってごめんなさい。でも本当にオーレリーさんとはただのお友達なのよ?」
「もちろん、わかっているわ。だけどね、エリカ。少し前の騒動で、あなたと殿下との関係は社交界でも公然の秘密となってしまったのよ。それなのに他の男性との噂が流れてしまうなんて、今のままではあなたは軽薄な娘だと皆から背を向けられてしまうわ。だから、ここできちんとしておくべきよ」
「きちんと?」
「殿下と正式に婚約なさい」
「まさか! お母様、それは無理です!」
突然のことにびっくりして紅茶をこぼしそうになり、持ったままだったカップを慌てて置く。
繊細な磁器が悲鳴を上げるように音を立てたけれど気にしていられないわ。
お母様はわたしの不作法に軽く眉を寄せたけれど、それについては何も言わずにまたため息を吐いた。
「殿下から内密のお話があったことは、あなたもお父様から聞いたでしょう? 今もまだ有効だと思うわ」
「い、いいえ。もう無効だと思います。お母様、わたしは殿下とは――いえ、殿下はわたしなどにはもったいない方で、その……」
どうにか落ち着いて冷静に、お母様にわかってもらえるよう説明したいのに、上手い言葉が出てこない。
もういっそのこと全てを打ち明けてしまおうかと考えてためらう。
殿下にはもう無理だと言われてしまったことも、わたしには好きな人が――ギデオン様が大好きだってことも何て言えばいいの?
悶々と悩んでいるうちに、お母様は立ち上がってわたしの隣に座った。
そしてわたしの手に手をそっと重ねる。
「お母様?」
「あなたの気持ちはわかったわ。殿下とは結婚したくないのね?」
「……ええ、お母様」
「そう。――では、オーレリーさんと婚約なさい」
「お母様!? どうしてそうなるの!?」
立ち上がりかけたわたしの手を、お母様はぎゅっと握って押し止めた。
「心配しなくても、うちとの縁談ならレルミット侯爵もお受けして下さるわ」
「い、いいえ! そうではなくて、わたしはオーレリーさんとも婚約も結婚もしないわ。お願い、お母様。わたしは――」
「エリカ。これはあなたの名誉のためなのよ。未だに誰とも正式に婚約なさろうとしないヴィクトル殿下に、王太子妃殿下は痺れを切らしてしまわれたらしく、故国から遠縁の令嬢を呼び寄せることになされたそうよ。もしこのまま殿下がその方と婚約なさってしまったら、あなたの立場はどうなると思うの?」
「殿下が……婚約?」
思いがけない言葉に驚いて確認するように聞き直す。
すると、お母様はきっぱり頷いて励ますように微笑んだ。
「妃殿下はご自分の思う通りに何でも進めようとなさる方ですからね。けれど心配しなくても、あなたが先に他の方と婚約してしまえば名誉は守られるわ。あなたは殿下に棄てられたのではなく、棄てたのだと。だからね、エリカ。今晩にでも、お父様にお願いしましょう?」
「それはできないわ、お母様。だって、わたしがお慕いしているのは……ギ、ギデオン様ですもの!」
このままではいけないと勇気を出したわたしの告白に、お母様ははっと息をのんだ。
その顔は真っ青になって、すぐに真っ赤になる。
「いいえ! ギデオンさんはダメよ。許しませんからね!」
「どうして!? ギデオン様は同じレルミット家の方なのよ!? それにジェラールお兄様のお友達で、お母様だって気に入っていらっしゃるじゃない!」
「それとこれとは別です。ギデオンさんは……彼は、レルミット侯爵家の継嗣ではないのよ。あなたの相手として相応しくないわ」
「何よ、それ! そんなのおかしいわ!」
「いいえ、大切なことですよ。だからね、エリカ――」
握られた手を強引に振り払って立ち上がると、厳しい顔つきのお母様を強く睨んだ。
それでも続くお説教が腹立たしくて、もうお母様と同じ部屋になんていたくなくて、ドアへと向かう。
「エリカ、こちらに戻っていらっしゃい!」
「いやよ! 絶対にいや! だから、わたしは結婚しないって言ったじゃない! お父様もお母様も、それでいいって言ったじゃない! 嘘つき! お母様なんて、大っ嫌い!」
ドアを勢いよく閉め、部屋へと駆け出す。
メイドが何人か驚いたように顔を覗かせたけれど、気にしてなんていられない。
ああ、もう! 苛々する!
自室に戻るとベッドに突っ伏して、枕を何度も叩いた。
物に当たるなんて間違っているけれど、怒りのやり場がないんですもの。
我慢なんてできないわ!
そもそも殿下が悪いのよ! 殿下が婚約するかもしれないから!
殿下なんて、大っ嫌い!
名誉が何よ! 侯爵家が何よ!
ギデオン様ほど素敵な人はいないんだから!




