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「フェリシテさんが退学したそうだよ」
「え?」
放課後、殿下に時間を頂いて自習室に落ち着いてからの第一声。
予想できなかったわけじゃないのに、唖然として殿下を見つめた。
殿下は以前と同じように窓枠へと腰をかけていて、わたしをじっと見つめ返してくる。
「ついでに言うなら、昨夜のうちにこの街から出て行ったらしい。まるで夜逃げのようだけれど、どうやら父親の所――バルエイセンへ向かったようだね」
「そんな……」
今度の言葉にはショックどころじゃなくて、座っていてよかったと思えた。
先ほど殿下が頑なに座るようにと言ったのは、昨日のことを心配してというより、この話のせいだったのね。
「気にするな、と言うほうが無理だとは思うけど、気にする必要はないよ。彼女は最初からその計画だったんだろう。だからこそ、こんなに早く行動に移せたんだよ」
「……どういうことですか?」
「エリカさんにその自覚はないようだが、今この国でアンドール侯爵家の影響力はかなりのものなんだよ。その侯爵家を――エリカさんを敵に回すような行動を取っていたんだから、いつでも逃げ出せる準備していたのは当然だね」
「ですから、どうしてそんな……わたしを?」
「……さあ。それは僕もわからないな。ただ……今は他国からの魔法石の仕入れは全てベッソン商会がかんでいるんだ。そのため、ベッソン商会の発言力はかなり強くなっている。国王陛下でさえ簡単には退けられないほどにね。だが、そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのベッソン商会にとって、目の上のたんこぶと言うべき存在がアンドール侯爵家なんだよ」
「うちが?」
「そう。侯爵家の所領地では多くの魔法石が産出されているからね。国内で流通する魔法石の六割近くを産出していると言っていい。だが、アンドール侯爵はどんなに需要が高まっても良心的な値段で卸してくれる。お陰で国内では魔法石が高騰することを抑えられているんだ」
「そうですか……」
うう、恥ずかしいわ。
殿下が教えてくれたことはわかったけれど、本来なら説明されなくても知っていなければいけないことなのに。
先日、ジェラールお兄様から魔法石について知っておいた方がいいと言われて勉強を始めたものの、まだまだだわ。
それで、ええっと……侯爵家がベッソン商会にとって目の上のたんこぶだから、フェリシテさんもわたしが邪魔だったっていうこと?
確かに〝たんこぶ″って邪魔よね。触ると痛いし。
昔、とっても大きなたんこぶができて酷い思いをしたのよ。それで、わたしは絶対に結婚なんてしたくないって……あら?
何か思い出しそうで、思い出せない。何を忘れてしまったのかと考えて、今日のそもそもの目的を思い出した。
「あの、殿下……」
「うん、何?」
「お伺いしたいことがあるのですが……」
「どうぞ?」
あっさりどうぞと言われても、なかなか切り出せない。
昨夜からあれこれ考えて、もやもやして、憂鬱になって、はっきりさせたいと思ったのに、いざとなると何て訊けばいいのかわからない。
ええい、もう。とにかく始めればいいのよ。
「あの、昨日、父から聞いたのですけど……」
「何を?」
「その……殿下から……えっと、入学前に……お申し出があったって……」
「ああ、エリカさんと結婚させて欲しいってこと?」
「ちっ、ちょっと、そんなにはっきり……」
どうしても上手く言えなくてしどろもどろになっていたわたしの代わりに、殿下がはっきりと言葉にした。
改めてその言葉を聞くと、顔から火が出そうなほど熱くなる。
いいえ、別に照れているわけじゃないのよ。
ただ、わたしの知らないところで殿下が求婚の許可をお父様に求めていたなんて思いもよらなかったんだもの。
もちろん、わたしはギデオン様一筋だからお受けするわけにはいかないけれど、ほとんど会ったこともなかったのにいったいどういうつもりだったのかが知りたいのよ。
「まあ、正式に申し込んだわけではなく、僕の秘書官からのごく内密な打診だから、誰も知らないよ」
「そのことは……お父様から聞きました。ただ、なぜわたしなのですか?」
「それは……うん。本人を目の前にしてすごく言い難いんだけど……」
ふいっと顔を逸らしてしまった殿下の表情は、夕陽が眩しくてよく見えない。
胸がどきどきするのは、何を言われるのかわからないからだわ。
「先日、馬車の中でも言ったように、僕は噂のエリカさんに勝手に期待していたんだ。侯爵家の方々の人柄はよく知っていたから、噂の令嬢もきっとそうなのだろうと。侯爵達の口から直接聞いたわけではないのにね」
「……すみません」
勝手に噂されていただけなのに、なぜか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
それでつい謝ったけれど、殿下は苦笑して首を横に振った。
「いや、……エリカさんは謝る必要なんてないよ。むしろ怒っていい。僕はエリカさん自身を望んだのではなく、ただ面倒な立場から少しでも逃れたくて利用しようとしたんだから」
「……面倒な立場?」
「そう。王位継承者という立場だよ。本音を言えば、僕はもっと自由に生きたい。義務も責任もなく行きたい場所に行って、やりたいことをやりたいんだ。だが周囲は早く結婚しろと、結婚してまた次代の継承者を作れとうるさく言う。だから、誰からも文句を言われないような婚約者がいれば、少しは静かになると思ってね。その気持ちを見透かされていたのか、侯爵には丁重ながらもはっきりと断られたよ。おそらく僕と君とは合わないだろうからと。それでも君自身が僕を望むのならば許すとね」
「なるほど……」
何かしら、このがっかり感。別に殿下のことなんて好きでも何でもないのに。
むしろ殿下の言う通り怒ってもいいわよね。
でも、ひょっとしてわたしの乙女心が物語のような何かを期待していたのかも。
だから事情はわかったものの、さらなる好奇心が抑えられないわ。
「それほどに行きたい場所、やりたいことっていうのは何ですか?」
「それは……魔法石だよ」
「魔法石?」
「うん。魔法石はここ近年でどんどん需要が高まっているだろう? しかも、新たに発見された魔法石の中には、病気を治癒する力や魔力を増幅させる力があることがわかったんだ。だから今、各国は新しい魔法石を手に入れるために躍起になっている。その波に乗り遅れないないためにも僕は暗黒の森へ、ひいてはその奥深く――深淵へと行きたいんだ」
「森の深淵へ? そんな……とても……」
「もちろん、今の僕の立場では無理だよ。それはわかっている。だが……」
殿下は窓枠から立ち上がると、そのまま外へと向いてしまった。
窓の外、街並みの遥か向こうには、暗黒の森を麓に有する群峰が見える。
その暗黒の森の奥深くには、深淵と呼ばれる前人未到の地があるらしい。
「僕は国王なんて器じゃない。本当はノエルが――兄こそがその立場に相応しいんだ。それなのに、ノエルはわざと不品行なふるまいをして、皆の不満を僕に抱かせないようにしている。僕が今、品行方正なふりをしているのと同じようにね」
「……わたしは、ノエル先輩がどうかはわかりません。ですが、殿下は十分に王としての資質をお持ちだと思います。器なんて、みんな同じ形をしていなくてもいいのではないでしょうか。威厳を持ってどんと座っている王様がいても、冒険好きの王様がいてもいいはずです」
「それは……面白い考えだね」
くすりと笑った殿下に、わたしは力強く頷いて見せた。だって今のは冗談じゃないもの。
馬車の中でわたしに義務と責任を説いた殿下は本気だったから。
自分が向いていないと思っても、やりたいことが他にあっても、殿下はその気持ちを押し殺して継承者として生きているんだわ。
そんな殿下がわたしを利用して、少しでも静かにしていたいと思ったのは理解できる。
だから、ちょっとくらいわたしのプライドが傷ついたって平気。
そう思った時、ドアがノックされて、すぐにマティアスが入って来た。
「邪魔してすまない。ヴィクトル、このあとはどうする?」
「ああ、予定通りでいいよ。もうすぐ行くから」
「本当にいいのか?」
マティアスが気遣わしげにわたしを見て問いかける。
最初は腹が立ったけれど、デリカシーのなさに目をつぶればマティアスは意外と良い人だと思うわ。
「ええ、殿下に確認したかったことはもう聞けましたから大丈夫です」
「確認したいことって?」
「おい――」
「大したことではありませんわ。殿下とわたしの父とのちょっとした話し合いについてですから」
「ああ、結婚の申し込みか。いっそのことさっさと結婚して、一人二人子供を作れば自由になれるのに、ってぼやいてたからな、ヴィクトルは」
「は?」
子供って、何のこと?
そんな話はしたかしら? と思って殿下を見ると、ばつの悪そうな顔をして額を押さえていた。
それでマティアスに視線を戻すと、何か問題でも? って顔。
何よ、それ。問題どころか、大問題よ。
「信じられない……」
「違うんだ。あれは酔った勢いで言っただけで――」
「酔った!? 酔うほどお酒を飲んだんですか!?」
まだ未成年なのに! いえ、殿下は……何歳だった? とにかく信じられない!
品行方正な〝ふり″をしていたんじゃなかったの!?
「まあ、落ちつけよ。騎士団の訓練所に入れば、覚えるのは剣だけじゃなく、酒と――」
「マティアス!」
「あ……っと、すまない。余計な話だったな」
何が余計な話なのよ! 今さら謝るなんて遅いわ!
騎士団ってそんな所なの?
いいえ。きっと一部の人達だけよ。レオンスお兄様は立派な方だもの。
だけど目の前の二人はそうでないみたいね。
歩み寄ろうとする殿下を押し止めるように睨みつけながら立ち上がり、まっすぐに背筋を伸ばしてすうっと息を吸う。
「もっともらしいことをおっしゃっておいて、結局は好き勝手なさりたいだけじゃないですか。――サイテー!」
最後は抑え切れずに捨て台詞を吐き出して、一気に駆け出し自習室を飛び出した。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、かっこいいと思ったのに!
「――エリカさん!」
呼び止める声は聞こえたけれど、振り向くものですか。
本当に信じられない。最低よ!
怒りに任せて廊下を走っていたせいで前をよく見ていなかったわたしは、危うく誰かとぶつかりそうになってしまった。
よろけるわたしを支えてくれたのはぶつかりそうになった相手。
「ご、ごめんなさい。ありが――」
申し訳ない気持ちで顔を上げると、そこにいたのは不機嫌顔のレルミットさん。
なんてついていないの。いえ、全面的にわたしが悪いんだけど。
よろよろとしながらどうにかわたしが真っ直ぐに立つと、レルミットさんは大きなため息を吐いた。
「廊下は走らないってことは、注意されるまでもなく常識だと思っていたけどね。あなたは一度、生活態度を改めた方がいい。今のままだと皆からの尊敬を集める侯爵夫妻に恥をかかせっ――っ!」
くどくど始まったお説教が途切れてしまったのは、わたしがレルミットさんのすねを思いっきり蹴ってしまったから。
ああ、どうしよう! 暴力をふるってしまったわ!
謝ることもできず、また走って逃げだす。
だって、お父様達のことまで言わなくてもいいじゃない!
本当は八つ当たりだってわかってるわ。レルミットさんが何も悪くないことも。
でも、でも、我慢ならなかったんですもの。
ああ、もう! 男子なんて、大っ嫌い!




