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「信じられない……」

「そう? こんなものでしょ?」


 朝になっても引きずっていた憂鬱な気分は、馬車寄せで待っていてくれたリザベルの姿を見ただけでぐっと良くなったのに。

 教室までの短くも長い道のりにぐったりと疲れてしまったのよね。

 進めど進めど誰かしらに捕まって、昨日はすっきりしただのよくやっただのと声をかけられてしまうんですもの。

 途中からは〝イザベラ″になりきって、話しかけないでオーラを出して通り過ぎたけれど、先輩からも声をかけられてびっくり。

 とにかく、みんな勝手すぎるわよ。

 わたしが男を手玉に取る悪女だとか、淑女として恥ずかしいとかって噂をしていたのはつい昨日なのに。


「まあ、しばらくすれば落ち着くわよ。それよりも、フェリシテさん、やっぱり来ないわね」

「そうね……」


 予鈴が鳴ってもフェリシテさんの席は空いたまま。

 その隣の席では、コレットさんが不安そうに座っている。


「今日はお休みするのかしら……」

「というよりも、このまま退学するんじゃないの?」

「え? まさか!」

「あら、あれほどの騒ぎを起こしておいて、普通の神経じゃ学院にはいられないわよ」


 確かにその通りだけれど、なんとなくフェリシテさんは来ると思っていたのに。

 結局、本鈴が鳴ってもフェリシテさんは現れず、先生が来るまで教室ではひそひそ話が続いていた。


 フェリシテさんも気になるけれど、コレットさんも心配だわ。

 今までずっとフェリシテさんと一緒にいたから心細い思いをしているんじゃないかしら。

 あとで声をかけてみる? それとも余計なお世話?

 うーん。どうしよう。


 授業はわたしの大好きな詩文だったけれど、色々と気になって集中できない。

 ぱらぱらと教科書をめくっても、なぜか失恋の詩ばかりが目に入ってくるし。

 いやだわ。縁起でもない。

 ため息をのみ込んで何気なく外へと視線を向けると、窓際に座る殿下とばっちり目が合ってしまった。


 慌てて目を逸らしたものの、なぜか笑われている気がする。

 そもそもどうしてこちらを見るのかしら。

 今は授業中なんだから、ちゃんと前を向くべきよ。

 つんっと前を向いて、先生の言葉をしっかり右から左に流して、昨日のことをもう一度きちんと考えてみる。


 殿下がジェラールお兄様とお知り合いだったのはわかるけれど、ルイの名前まで知っていたのには驚いたわ。

 ルイも殿下の訪問に慌てた様子がないんだもの。

 殿下はお兄様の研究室を何度も訪ねているのかしら?

 お兄様からは一度もそんな話は聞いたことなかったのに。何だかちょっと変よ。

 でもひょっとして……。いえ、まさかね。


 帰宅してからは、お父様とお母様に放課後の出来事を簡単に説明すると、また面倒なことになったのよね。

 お母様は学院をやめるべきだって言うし、お父様はしつこくケンカの相手は誰だって訊ねるし。

 さすがにフェリシテさんの名前は出せないもの。

 しかも殿下と同じように、もう一人で行動してはいけないなんて言って、通学もトムだけじゃなくて今日から護衛まで一緒に御者席に乗ることになったのよね。

 なんだか仰々しいけれど、これが妥協案だから仕方ないわ。


 ああ、でも本当に憂鬱。

 お母様は正式に殿下と婚約して、花嫁修業に専念するべきだって言い張るんだもの。

 実はもう殿下には無理だと宣言されましたなんて、言えないわよね。

 別にわたしは気にしていないけど。ふん!


 だけど、殿下にも確かめないといけないことがあるのよ。

 まあ、このあとは体育だから時間がないし、お昼休みはリザベルと話したいし、放課後はギデオン様の研究室にお邪魔する予定だから……今日は無理ね。


 授業の終わりを告げる鐘の音が響いて、みんなが着替えを持って立ち上がる。

 ぼうっとしていたわたしも慌てて準備をしたけれど、用意が出来た時にはもうコレットさんはいなかった。


「どうしたの? 行くわよ」

「ええ……。ねえ、コレットさんはもう更衣室に向かったのかしら?」

「早々にね。さっさと着替えて密室から出ないと何をされるかわからないもの」

「どういうこと?」

「みんな噂に惑わされたことで怒りのはけ口を求めているのよ。それなのに、フェリシテさんがいないから、コレットさんがターゲットにされるかもしれないってこと」

「何それ……自分達が勝手に噂を信じていただけなのに」


 あまりの馬鹿馬鹿しさに怒りを通り越して呆れてしまうわ。

 でも集団心理はとても恐ろしいものだから、やっぱりコレットさんが心配。


「リザベル、急ぎましょう」

「ええ、わかったわ」


 廊下を走るのはお行儀が悪いから、できる限りの速足で進む。

 あら、ちょっと、みんなあからさまにわたしを避けていない?

 確かに急いでいるから真っ直ぐに進めるのはありがたいけれど、廊下の端へさっと寄るみんなの姿は傷つくわ。


 そして更衣室に着いた時には、少し息が切れていた。

 本当に少しだけね。

 最近はダンスのレッスンも乗馬もさぼっているからかしら。

 次のお休みはお兄様と遠乗りするのもいいかもしれないわ。


 どうでもいいことを考えて気持ちを落ち着かせ、呼吸を整える。

 コレットさんに関しては、きっとわたしとリザベルの取り越し苦労よ。

 そう自分に言い聞かせ、リザベルと顔を見合わせ、ドアを開く。


(ああ、やっぱり……)


 部屋に入り衝立の陰からそっと覗くと、コレットさんが数人の子に囲まれていた。

 さらにその周囲には、自分は直接関わりたくないけど興味津々って感じの子達と、困惑顔の更衣室付きのメイドが二人。

 ああ、もう。こんなのおかしいわよ。


「――何をしているの?」


 胸を張って堂々と室内に足を踏み入れると、みんながはっと息をのんで、またさっと道が開けた。

 いやな花道ね。

 もったいぶった足取りで進むと、壁に追い詰められたように立つコレットさんと……えっと、誰だったかしら。

 正等科でも同じクラスになったことのない、隣のクラスの子。

 隣のクラスはどうやら一限目が体育だったみたい。


「ねえ、何をしているの?」


 しんと静まり返った更衣室に、再び問いかけるわたしの声が響く。

 早く答えなさいよと言わんばかりの、先ほどよりもきつい口調に、中心の子は真っ青になった。


「わ、わたしはただ……コレットさんがペンダントを盗んだんじゃないかって……」

「盗んだ?」

「違います! これは元々わたしのものです!」


 思いもよらない言葉が出てきてショックを受けたわたしとリザベルに向けて、コレットさんがすぐに力強く否定した。

 そうよね。何かの間違いよね。

 ひょっとしてまた余計なことに首を突っ込んでしまったんじゃないかとどきどきしながら、平静を装ってため息を吐く。


「ねえ、……えっと――」

「グレース」

「――グレースさん? あなたは今、コレットさんに対してとても失礼なことを言っているのよ?」


 リザベルがこっそり教えてくれた名前で呼びかけて、くいっと眉を寄せる。

 その芝居がかった高飛車な態度に、グレースさんはあきらかに怯んだ。


「でも、コレットさんがあんな高価な物を持っているなんておかしいわ」

「そ、そうよ。翠色の魔法石なんて、エメラルドよりも値が張るのよ!」

「……魔法石?」


 友達の援護を受けて勇気を得たらしいグレースさんの言葉に、思わずコレットさんへと目を向けた。

 コレットさんはぎゅっと手を握りしめたまま。

 その手の中にあるらしいペンダントに目を凝らしたけれど、見えるわけないわよね。


「これは先ほどから言っているように、お守りにと父がわたしに持たせてくれたものなんです。父は採掘師ですから……」


 採掘師と言えば、魔法石を採掘する人のことよね。

 だとすれば別に持っていてもおかしくない気がするのだけど。

 それにしても魔法石のペンダントって流行っているのかしら。


「それなら何もおかしいことなんてないと思うわ。どうしてグレースさん達が誤解したのかは知らないけれど、コレットさんに謝るべきじゃないかしら」

「ですが……コレットさんは特待生です。制服から寮費から全て援助してもらっているのは、ご実家が貧しいからでしょう? それなのに、そんな高価なものをもらっただなんて、ねえ?」

「ちょっと――」

「それに、オーレリー様のペンダントがなくなっているのよ。偶然とは思えないわ」

「……オーレリー様って、レルミット家の?」

「ええ、そうです。グレースの婚約者ですわ」

「まあ……」


 グレースさんの侮蔑に満ちた言葉に、コレットさんは真っ赤になって俯いた。

 その醜い偏見に腹が立って、抗議しようとしたわたしの声にかぶさって発言したのは、グレースさんの隣にいる子。

 それはもう、びっくりなんてものじゃないわ。

 だって、ギデオン様とグレースさんは義理の兄妹になるってことよ。


「――レルミットさんのペンダントが失くなったのは確かなの? レルミットさんがそうおっしゃっていたの?」

「そ、それは……」


 混乱するわたしの代わりにリザベルが事情を訊いた。

 その質問でわたしもようやく我に返る。

 そうよ。これが濡れ衣だったらとんでもないことなんだから。

 急に勢いを失くして言い淀むグレースさんを疑わしげに見つめると、彼女は明らかに動揺していた。


「グレースさん? レルミット侯爵家の名前を出しておいて、誤解でしたなんて許されないんじゃないかしら?」

「で、ですが……オーレリー様がここ最近ずっと着けていらしたペンダントを、数日前からお見かけしなくなって……それで、コレットさんがよく似たものを着けていたから……」

「それだけの理由? 直接失くしたと聞いたわけじゃなくて?」

「そ、そんな、直接なんて……」


 はあ? 何それ? 

 大声を上げそうになるのを必死に堪えたけれど、顔が怖かったみたい。

 グレースさん達が数歩後ずさる。

 リザベルは「どうしようもないわね」とばかりにため息。

 怒りをぶつけたいのはやまやまだけれど、でもそれをしていいのはわたしじゃない。コレットさんだから。

 俯いて小さくなっているコレットさんに近づいて、握りしめたままの手にそっと触れた。


「みんなコレットさんに謝るべきじゃないかしら?」

「で、ですが……」

「まだ疑うのなら、わたしがレルミットさんに訊ねてみてもいいわよ?」

「い、いえ! わ、わたしの誤解だったみたいですから……。コレットさん、ごめんなさい」


 もう少し渋るかと思ったのに、ずいぶんあっさり謝るのね。

 だったら、今までのやり取りは何だったの?

 他の子達も口々に謝って更衣室からそそくさと出て行く。

 本当はまだすっきりしないけれど、コレットさんも小さく首を振るだけだし、時間もないからこれ以上の追及は無理ね。

 やれやれ。

 それで結局、レルミットさんのペンダントはどこへ消えたのかしら。




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