3
「わたしが?」
「ええ、そう。無茶なお願いなのはわかっているけれど、エリカさんが適役だと思うの」
「でも、わたしはまったく演技の経験もないのに……」
次の日、リザベルさん達と楽しい一日を過ごし、放課後はそのまま演劇部の部室で卒業公演の練習を見ていたわたしに、驚くべき提案がなされた。
一度、台本を読み合わせしてみない? と。
みんなが本気で演じている姿を目にして、興奮してしまったわたしはすぐに挑戦することにした。
だって、頭の中だけで妄想を繰り広げるだけじゃなくて、演技とはいえ実際に行動するんですもの。楽しいに決まってる。
そして割り当てられたのは、準主役と言ってもいいほどの役柄。
自由奔放で妖艶な美女。男を手玉に取る悪女。現実にはあり得ないわたしになれる。
ノリノリでセリフを口にしてみたら、思いのほか自分でも上手く演じられたと思う。
すると本来の演者であるリザベルさんが、わたしに演じてもらいたいと言い出したのよね。自分は演出で忙しいから、と。
「でもやっぱり無理よ。それにみんなだって嫌でしょう? 卒業公演なんて晴れの舞台に、いきなりわたしみたいな素人が立つなんて」
そう言って助けを求めるように周りを見たけれど、みんな笑顔で首を横に振っている。
どうして? だって、役をもらえていない子もいるでしょう?
「普通なら何の経験もない子がって思うかもしれないわ。でも今のエリカさんが声だけで演じた〝イザベラ″を聞いてしまっては反対できないわ」
「そうそう。ずっとリザベルさんが『わたしじゃダメ』って言ってらした意味がわかったもの」
通行人役の子が納得顔で言うと、主役の子が深く頷いて同意した。
でもわたしには意味がわからないわ。
わからないままに、今のは冗談よね? と縋る思いでリザベルさんを見ると、普段のお淑やかな姿からは想像できないような、情熱に満ちた真剣な表情でわたしを見返してきた。
「お願い、エリカさん! わたしはこの脚本を書いた時からずっと、エリカさんが適役なんじゃないかと思っていたの。その美しい顔に時折浮かぶ妖艶な笑み、周囲を睥睨する孤高の姿も。その上、今のように才能を見せ付けられてはもう絶対に諦められないわ!」
「え、ええ!?」
ちょっと待って! 何か色々間違っている気がする。お世辞にも程があるわよ。
嬉しくてテンションは上がっているけど、ここは冷静にならないと。
握られた手を逆に握り返し、落ち着いてリザベルさんに微笑みかける。
「リザベルさんのお言葉はとても嬉しいけれど、やっぱり無理だわ。わたしにはこの役柄のような美貌もなければ、色々な意味で経験がないもの」
「そうね、エリカさんの言う通り、経験はないかもしれない。でも演技は今見せてもらったように素晴らしかったし、そのほかの経験に関してはみんな同じよ。それから美貌については言うまでもないわね。下手な謙遜はいらなくてよ。かえって嫌味に聞こえるわ」
悪戯っぽく笑うリザベルさんはなんて素敵なことを言ってくれるのかしら。
これで毎朝時間をかけるナチュラルメイクも頑張っていた甲斐があるというものよね。
ただ、それとこれとは別。妖艶な悪女を演じるには無理があるわ。
「あのね、エリカさん。わたし達ね、これでお芝居は最後になるの。女学院にも高等科にも演劇部はないし、社交界デビューしてからではお芝居なんて、〝はしたない″って思われるでしょう? だから最後のこの公演は是非とも成功させたいの」
「だったら、尚更わたしなんて――」
「ううん。絶対、成功するわ。だって、エリカさんがもしこの役で出演してくれたら学院中の話題になるもの。エリカさんはたいてい一人で静かに本を読んでいたでしょう? 邪魔をしたら悪いっていう気持ちもあったけど、それ以上にアンドール侯爵家のお嬢様であるエリカさんはわたし達とは格が違い過ぎて、気軽には話しかけられなかったの。まあ、わたしは何かとチャンスを作って話しかけていたけど。エリカさんに憧れてる子はとても多いのよ? でもやっぱり、客寄せにされるのは嫌かしら?」
「ううん、そういうわけじゃなくて」
「じゃあ、悪役だから?」
「違うわ。〝イザベラ″はとても魅力的だと思うもの。きっと楽しいわ」
「じゃあ、どうして?」
「お母様が……両親が何て言うか……」
「ああ、そうよね……」
押し切るように言い募っていたリザベルさんも、わたしの最後の言葉には納得して勢いを失くした。
みんなも「ああ」と頷いて意気消沈。そんなに期待してくれていたなんて嬉しい。
本気でチャレンジしたくなったけど、難しいわよね。
わたし達貴族はお芝居は楽しむけど、演じるのは庶民の人達だけ。役者達は男女問わず貴族の愛人になる人も多く、子供のお遊びならともかく成人した紳士淑女がお芝居を演じるのは〝はしたない″って思われてしまうもの。
仮面舞踏会などでは楽しんでいるのに、大人って理不尽だわ。
ああ、演じるってこんなに楽しいことだとは思わなかった。しかも妖艶な悪女なんてお芝居じゃないと絶対にできないもの。
そうよ、せっかくのチャンスじゃない。
「わかったわ。わたし、お母様を説得してみるわ」
「本当に!? やった! 是非お願いね!」
「エリカさんが出演してくれたら、絶対観客席は満席よ」
「謎めいた存在だったエリカさんが、まさかの悪女役なんてってね」
謎めいただなんて、いったいどれだけ良い方に誤解してくれてるのかしら。ただの引っ込み思案なのに。
でもとにかく、こうしてできた友達と……友達って思っていいわよね? 卒業に向けて一つのことに集中して頑張れるなんて、とても素晴らしいことだわ。
「わかったわ。せっかくの機会ですもの。帰ってお願いしてみる」
「ありがとう、エリカさん!」
わたしの決意でみんなが喜んでくれるなんて、客寄せでもお世辞でもとにかく嬉しい。
こうなったらわたしなりに、立派な悪女を演じてみせるわ!
強い決意を胸に屋敷へと戻ったものの、当然お母様は許してくれなかった。
でもそこは末娘の特権を活かして、まずお兄様達を味方につけ、次にお父様を陥落させて、お母様をどうにか説得して十日。
そこから猛練習を重ね、本番は大喝采の内に幕は下りた。……まあ、少し誇張した言い方だけど。
あれだけ渋ってたお母様も、わたしの悪女ぶりを「もう、自分の娘とは思えないくらいに憎らしかったわ! でも女は少しくらいしたたかな方がいいのよ」って褒めてくれた。
やっぱり、これで終わりって悲しいわ。もっと早くにリザベルさん達と仲良くなっていれば、学院生活ももっと楽しいものになっていたのに。
自分の内気さが恨めしい。せめてわたしが美人だったら、成績だけでも良ければ、自分に自信がもてたのに。
卒業公演から卒業まで五日。
この地味な三年間は何だったの? と言うくらい、わたしは人気者になった。……まあ、自分で言うのは痛いけど。
男を手玉に取る妖艶な悪女の役は、今までのわたしとあまりにも違い、そしてはまっていたらしく、みんなが驚き喜んでくれた。
なかには悪女なわたしが本当の姿じゃない? なんて言う子もいたりして。いえいえ、わたしの外見を見てくれればわかると思うけど、それは無理があるよね。
そして卒業の日。
クラスのみんなはもちろんのこと、演劇部のみんなとは進む道が違うことを嘆き、別れを惜しんだ。
高等科へ進むわたしとリザベルさんは、女学院に進むみんなより社交界デビューも遅くなってしまうけど、内輪のティーパーティーなどでは会えるし、数年後には社交界でも会えるもの。
だから再会を約束して、一時のお別れ。
「エリカ、いつまでも悲しんでいないで、高等科のことを考えましょうよ。十日後には入学なんだから」
このふた月あまりですっかり仲良くなったリザベルからの励ましの言葉。
そうよね。三年間、友達らしい友達ができなかった内気なわたしだけど、こうして親しい友人ができたんだから、高等科ではもっとできるはず。
生徒の顔ぶれはがらりと変わるけど、大丈夫。リザベルもいるしね。
「ありがとう、リザベル」
「何が?」
「全てよ」
「訳わかんないわ」
美しい顔に不機嫌な色をのせて、それでもわたしの手を握ってくれるリザベルが大好き。