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教室にはたくさんの生徒がまだ残っていて、その中でのこのやり取りが注目を浴びていることはわかっているわ。
正直なところ、みっともないけれど、それでもここは引けない。
やましいことがあるなんて思われるわけにはいかないもの。
わたしが恥をかけば、お父様もお母様も、お兄様達だって恥をかくわ。
これは名誉の問題。
「それで?」
「え?」
「わたしが先ほど研究科生に助けて頂いたことに、何か問題でもあるの?」
軽く一歩前へ踏み出して問いかけると、ロレーヌさんはさらに一歩後退した。
そうよ。この調子。
昨日、屋敷の図書室で見つけた本、『淑女の処世術』には、機先を制することがその場の主導権を握るためにも大切だって書いてあったもの。
埃をかぶっていて内容も少し古臭かったけれど、頑張って読み込んだんだから。
「も、問題というか……。た、ただ、彼はどう思うかしらね?」
「彼って?」
くいっと顎を上げて、居丈高にロレーヌさんを見下ろす。
『相手より常に高い位置にいるように心がけ、優位性を保ちましょう』ともあったもの。
これはロレーヌさんが小柄なお陰で無理をしなくても実行できる。
たぶん……いいえ、きっと傲慢なわたしがか弱いロレーヌさんを苛めているように見えているでしょうけど、かまわないわ。
「こ、この前の休日にわたしがお見かけした方よ。ルルシエヌ通りをお二人で歩いていらしたじゃない。とても仲良さそうに。叔母様が驚いて馬車を止めたほどだもの。覚えていらっしゃるでしょう?」
ついにきたわ、この話題。いつ言い出すのかと思っていたのよ。
ロレーヌさんは自分の優位を感じたのか余裕の笑みを浮かべる。
でもこれも昨日、お母様から殿下とどういう話に合わせたのか確認して、ちゃんと答えも用意しているんだから。
「それは――」
「わたしが悪いんです! わたしがあの時、エリカさんを一人にしてしまったから!」
「は?」
何? 何なの?
どうして急にフェリシテさんが割り込んでくるの?
突然のフェリシテさんの登場に、ロレーヌさんも唖然としている。
わたしとロレーヌさんの間に立って、顔を覆って泣き出したフェリシテさんは相変わらず儚げで、一気にクラスのみんなの同情を引いたみたい。
コレットさんが進み出て、フェリシテさんの背中を慰めるように撫でる。
いったい何なのかしら、この茶番は。
わたしとロレーヌさん二人共があっという間に悪役になってしまったわ。
貴族の意地悪な令嬢二人が、無力な庶民の女の子を苛める構図ね。
……なるほど。そういうこと。
悔しいけれど、殿下の言葉が身に沁みるわ。
でも負けない。
「ねえ、フェリシテさん。確かに、あの日は予定よりは早く別れてしまったけれど、迎えに来て下さったお母様とはすぐに会えたもの。だから、もう気にしないでって伝えたわよね?」
そして、わたしとは関わらない、あのことは口外しないって、お母様と約束したはずなのに。
こんなに大勢の前で、その全てを破るなんて。
騙されたわたしが悪いけれど、ちょっと許せないわよね。お母様に――侯爵家に対する侮辱だもの。
それに、あの時は本当に怖かったんだから!
「ご、ごめんなさい……。許してほしいとは言いません。でも……」
え? 今の声に出していないわよね? 気にしないでって言っているのに、そこは謝罪ではなくお礼でしょう?
すごいわ。これでわたしは完全に悪役にまわってしまったもの。
以前の似たような場面では、みんなの前で良い子ぶりたいだけかと思っていたし、わたしと仲良くしたいんだと自惚れていたけれど。
それが学院の女子を敵に回してしまったゆえの処世術だと思ったから。
だけど今までの全てを疑ってみれば、自分がどんなに馬鹿だったかわかる。
理由はわからないけれど、フェリシテさんはわたしに悪意をもっているのよ。
静まり返った教室内に、しくしく泣くフェリシテさんの声が響く。
そこへ、ロレーヌさんが一歩二歩と進み出て、フェリシテさんと並んだ。
「いったい何があったのかはわからないけれど、こんなに謝っているんですもの。許してさしあげたら? ねえ、エリカさん?」
そう言ってフェリシテさんの腕にそっと手を添えたロレーヌさんは、悪役からあっという間に正義の味方に変身。
それは見事に観客の――クラスのみんなの敵意をわたし一人へ向けることに大成功。
まさかこんなことになるなんて。
予想もしていなかったこの状況。どうしよう……はっきり言って、わくわくするわ! まるで正等科でのお芝居みたいだもの!
用意していた台本に、ちょっとアレンジを加えなくちゃ。頑張れ、わたし!
「――許すも何も、気にしないでって言っているわ。どうしても気にしてしまうのは仕方ないかもしれないけれど。だって、あの時わたしはとても怖い思いをしてしまったのですもの。だけど……だからこそ、もう思い出したくないの。それなのにこうして何度も話題に出されると、とてもつらいわ……」
気丈な態度から徐々に弱々しく、最後は悲しげに訴えて、ハンカチを取り出し涙を押さえる。……泣いていないけど。
悪役の――いいえ、悪役だと思っていた人物の涙は観客の心に良くも悪くも響くのよ。
まさかフェリシテさんを相手にするとは思っていなかったけれどね。
「そ、それじゃあ……いったい何があったというの? ごめんなさい、エリカさん。でも、わたしが見たものに誤解があったのなら、それを正すためにもおつらいでしょうけど話して下さらない?」
そう促すロレーヌさんの顔も声もとっても同情に満ちていたけれど、隠しきれない好奇心が見えるわ。
もちろんクラスのみんなも興味津々。どうやら、違うクラスの子もいるみたい。
「いいえ! もうこれ以上、エリカさんにおつらい思いをさせてしまうわけには――」
「いいの、フェリシテさん。ありがとう。でも大丈夫よ」
変わりつつある形勢に少し焦ったようなフェリシテさんを遮り、昨日の夜に何度も鏡の前で練習した儚げな笑み――は無理だったから、苦しげな笑みを浮かべてすっと息を吸う。
さあ、ここからが本番。みんなから軽蔑ではなく、同情を引かないと。
「あの日は……フェリシテさんのお父様の経営するパティスリーのプレオープンに招待して頂いたの。それでフェリシテさんは親切にもおうちの馬車で送迎して下さると約束して下さって……。だけど帰りは大通りを馬車まで少し歩かなければならなくなって、わたしがはぐれてしまったから……。懸命に追いかけて呼んだのですけど、フェリシテさんも従僕もどんどん先に行ってしまってとても怖かったわ。しかも、人波に押されて路地裏に入ってしまったばかりか、そこで悪漢に囲まれてしまったの。それはもう恐ろしくて……」
「まあ、なんてこと……」
「それで、どうなったの?」
みんなが一様に青ざめ、ロレーヌさんが引きつった声を洩らした。
そこで続きを促したのは、意外にもシュゼットさん。
「幸い、わたしを心配したお母様が迎えに来て下さったんだけど、やっぱり馬車では大通りを進めなくて、一緒に来ていた従兄弟を寄こしてくれたの。その彼がわたしを見つけてくれて、悪漢を追い払ってくれたのよ」
「ああ、良かった……」
「なんだか、物語みたいね。まるで王子様だわ」
「……ええ、そうね」
そこは王子様ではなくて、騎士だと思うけど、まあいいわ。
みんながほっと安堵すると同時に、教室内の空気が緩んだから。
ロレーヌさんでさえ胸を撫で下ろしているし、シュゼットさんはちょっと夢見心地。王子様なんてちっとも素敵じゃないのに。
「……では、その方に是非お会いさせて頂きたいわ。お礼をさせて頂かないと気が済まないもの。わたしがうっかりエリカさんを見失ってしまったせいで、それほどに酷いことになっていたなんて……。無理ならお名前だけでも教えて下さらない?」
終わりかけた話題を蒸し返すフェリシテさんの涙に濡れる瞳がきらりと光る。
観客の同情がわたしに向いた今でも、まだ引く気はないのね。
それならわたしだって、最後まで演じきってみせるんだから!
「ねえ、フェリシテさん。わたしは今回のことでショックのあまり熱を出してしまって、二日も学院を休んだわ。今日はどうにか勇気を振り絞って登校したのに、こうしてとても不名誉な出来事をみんなの前で打ち明けなければならないなんて……。お願い、もう許して……」
まあ、本当は進んで打ち明けたんだけど。
それでも、ハンカチを握りしめ涙を堪えるわたしを見た誰かが、「もうそっとしておいてやれよ」との援護射撃をくれる。
これでようやく終わりにできると思った瞬間、フェリシテさんがわっと泣き出した。
「わたし……そんなつもりじゃなかったの! ただ……」
ええ? まだ続けるの?
わたしの心を映したように教室内に漂ううんざりとした空気。
ここで根競べをしても仕方ないし、わたしが慰めでも言って引くべきかしら。
「フェリシテさん――」
「――じゃあ、どんなつもりだったの?」
わたしがため息を飲み込んで、口を開いたと同時に聞こえたリザベルの凛とした声。
遠巻きに見ていた人達の間がさっと割れて、すっとリザベルが進み出てくる。
すごいわ。本当にお芝居みたい。
「リザベル、どうしたの?」
わたしの隣に並んだリザベルに戸惑いつつも問いかけると、にっこり笑顔が返ってきた。
だけどすぐにきつい表情に変わって、フェリシテさんを睨みつける。
「この際だから、フェリシテさんにはっきり訊きたいわ。今までのエリカに関する悪意ある噂、あなたから全て始まったようね? いったいどういうつもりなのかしら?」




