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悪役令嬢、時々本気、のち聖女。  作者: もり


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「良かった。元気そうで安心したよ」

「ありがとう、ジェレミー。なんだか久しぶりね」


 お昼休みにラウンジでジェレミーに声をかけられて、笑って応える。

 覚悟を決めて登校した学院はいつもと変わりはなく、ちょっと拍子抜け。

 まあ、当然と言えば当然なのよね。

 今さらわたしの新たな噂が流れたって、みんな耳を傾けはしても驚きはしないみたい。

 ただ今回は、はっきり見たというロレーヌさんの言葉だから今までのように曖昧にしておくことはできないけど。

 これはわたしの名誉の問題だから。

 さて、どうしようかしら。


「何か悩んでいるようだね? 新しい噂のこと?」

「そんなところね」

「そうか。まあ、男の僕にできることは少ないかもしれないけれど、男だからこそエリカさんを守ることはできるよ。いっそのことブランショの名前を使ってもいい」

「ありがとう、ジェレミー。でも、大丈夫よ」


 優しいジェレミーの言葉に感謝しながら、ここで頼るわけにはいかないとにっこり笑って首を振った。

 すると、リザベルが小さく吹き出す。


「ジェレミー、そんな遠まわしに言ってもダメよ。今までの悪戯の報いね」

「僕はこれでいいんだよ。エリカさんもね」

「何? 何のこと?」


 二人の意味ありげなやり取りがよくわからない。

 交互に二人を見ると、ジェレミーが困ったように笑って答えてくれた。


「今のは僕からのプロポーズだよ。婚約してしまえば、アンドールの名前だけでなく、ブランショの名前でもエリカさんを守れるからね」

「あら……。そういうのはダメよ。義務とか騎士道精神とか、そんなものでプロポーズしてはダメ。あと、遠まわしなのもね。やっぱりプロポーズは愛ある言葉ではっきり言われたいわ。あと、花束も必要ね」


 ジェレミーの説明に驚きつつ、気を取り直して夢を語る。

 するとリザベルはまた吹き出し、ジェレミーはショックを受けたように胸を押さえた。


「今までずっとはっきりお願いしてきたのに断られ、遠まわしに言うとまさかのダメ出し。僕はどうしたらいいんだ」

「本当に好きな相手を見つけることね」

「それは難しいな。僕の立場だと相手は限られる。せいぜい気の合う人だといいなと思うよ」


 どこか寂しげに笑ってジェレミーは首を振った。

 一人息子のジェレミーは、わたしやリザベルのようにある程度の自由も許されないものね。

 本当はわたしも考えなければいけないのかもしれないけれど、今のところこの国は諸外国とも関係良好だし、年頃の女性王族がいないとはいえ、政略的な縁談はなさそうだから安心。

 まあ、これはリザベルに昨日聞いた話だけど。

 国内にしても、アンドール侯爵家は領地に恵まれていて王宮での立場も強く、わたしの出番はなさそう。

 まあ、これはデュリオお兄様にそれとなく聞いた話だけど。

 あとは王家からの縁談だけれど、殿下からは無理と言われたばかりだもの。

 だから、心おきなくギデオン様を好きでいられる。

 本当にわたしは『幸運には恵まれている』わ。


 予鈴が鳴ったので席を立ち、ジェレミーと別れてリザベルと美術室へ向かう。

 午後からの美術は今日も写生だからとっても気楽。

 美術室に置いていた道具を持って、また先日と同じ中庭のベンチに座り、スケッチブックを開いた。


「ねえ、エリカ。ちょっと困っているんだけど……」

「ええ、わたしもよ」


 応えてリザベルと顔を見合わせ、くすくす笑う。

 そこへ、大好きな声が割り込んだ。


「楽しそうだね。何がそんなに面白いの?」

「ギデオン様!」


 驚いて振り向くと、そこにいたのはいつもの温かな笑みを浮かべたギデオン様。

 とっても嬉しいけれど今どんな顔をしているかしら。

 きっと初夏の風に髪が乱れていると思うわ。


「写生をしていたんですけど、前回よりずいぶん景色が変わってしまって困っているんです」

「ああ、本当だ。今の時期はあっという間に植物が生長するからね」


 ギデオン様の質問には、あたふたと髪を整えるわたしの代わりにリザベルが答えてくれた。

 前回写生した時よりも中庭は青々と木々が茂り、咲いていた花が消え、新しい花が開いていて、描き直すべきか、記憶を頼りに描き続けるか、悩むところなのよね。

 絵を描くのは大好きだけど、残念ながら才能はないから。

 でも今はそんなことどうでもいいのよ。思いがけずギデオン様にお会いできたんだもの。


「ギデオン様はこれから研究室ですか?」

「そうなんだ。風が気持ちよくて、食後の運動がてらのんびり散歩していたんだよ」


 研究科生は特に時間に縛りがないから、自由に行動できるのよね。

 それでこうしてお会いできるなんて、美術を選択していて良かったわ。


 すっかり浮かれていたわたしはアレが近づく気配にまったく気付かなかった。

 だからギデオン様から何気なくスケッチブックに視線を戻した時、アレが突然目の前に現れて、わたしはパニックに陥ってしまったのよ。

 淑女にあるまじき悲鳴を上げてしまった覚えはあるけれど、そこでぷっつり記憶は途切れてしまった。

 そして気が付いた時には、まさかのギデオン様の腕の中。

 ちょっとの間うっとりと凛々しいお顔を見つめ、はっと我に返る。


「良かった。気がついたね。でもじっとしてて。今、保健室に向かっているから」

「――ギ、ギデっ、で、でで……」

「エリカ、落ち着いて。また気を失うわよ」


 こんな状況で落ち着けるわけがないわ!

 このままだと暴走した心臓が止まってしまうに決まっているもの。

 恥ずかしくて、嬉しくて、胸が苦しくて、ぎゅっと目をつぶる。

 保健室ってこんなに遠かったかしら? 中庭からはすぐだったはずなのに。


 ようやく保健室の座り心地の良い椅子に下ろされた時には、知らず詰めていた息を吐き出した。

 状況の説明を受けた先生が、わたしの目や脈を手早く診てくれる。


「どうやら心配ないわね。レルミットさんが抱き止めてくれたお陰で、倒れる時に頭も打たなかったみたいだし、幸いだったわ」

「ありがとうございます。あの、ではもう戻っても大丈夫ですか?」

「そうね……。少しだけ、ここで休憩してからにしたほうがいいわ。アジャーニさんは付き添ってくれる? 私は美術の先生にそのことを報告してくるから、戻って来たらもう一度大丈夫か確認させてもらうわ」

「わかりました。よろしくお願い致します」


 リザベルが礼儀正しく応じると、先生はギデオン様に軽く頷いてから出て行った。

 その姿を三人で見送ってから、恐る恐るギデオン様に向き直る。


「あの、ギデオン様……この度は大変なご迷惑をおかけして――」

「気にしないで、エリカちゃん。苦手なアレが目の前に現れたんだから、動転するのは当然だよ。災難だったね」

「それでも……ギデオン様、本当にありがとうございました。あの、もう大丈夫ですから、どうか研究室にお戻り下さい」

「ギデオン様、エリカのことはわたしに任せて下さい。ちゃんと面倒をみますから」

「……うん、そうだね。これ以上は僕にできることはなさそうだし、戻るよ。じゃあ、無理はしないで」


 そう言ってギデオン様はわたしの頬に優しく触れてから、手を振って出て行く。

 リザベルは手を振り返して見送っていたけれど、わたしは一瞬で熱くなった頬に気を取られて満足な挨拶もできなかった。

 触れられた頬を押さえてぼうっとするわたしに、振り向いたリザベルが悪戯っぽく微笑む。


「もう、大興奮! 倒れかけたエリカをとっさに抱き止めて、手早く介抱するギデオン様はかっこよかったわ。しかも、悲鳴を聞いて駆けつけてきた先生達にはエリカを一切触らせず、抱き上げて保健室まで運んでくれたのよ? さすがにちょっとときめいちゃった」

「リザベル、まさか――?」

「あ、心配しないで。それだけだから。好きになったりはないわよ」

「そう……」


 ほっと息を吐いて、それからリザベルのもう一つの言葉に気付く。


「リザベル……先生達が駆けつけて来たって……」

「ええ、残念ながらちょっとした騒ぎになったのよ。エリカの悲鳴はなかなかのものだったから」

「そんな……」


 もう顔から火が出そうなくらいに恥ずかしかったけれど、これも自業自得。

 アレを克服できないわたしが悪いのよ。

 ギデオン様には改めてお礼をさせてもらうけれど、それも後回し。


「リザベル、本当にありがとう。いつも迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」

「だから、どうってことないわよ。謝罪もお礼もいらないわ。それよりも、カ……アレが嫌いなんて知らなかったわ。小さくて可愛いのに」

「やめて。本当に苦手なの。アレの話も無理。それでも普段はここまでじゃないのよ。さっきはあまりに急で近かったから」

「なるほどね。じゃあ、写生する場所を変えなくちゃ。どこにする?」


 優しいリザベルの明るい声に救われて、ほっと体から力が抜ける。

 そうね、アレにはもうこりごりだから、室内がいいわ。

 相談した結果、今度は景色が変わらない場所――ラウンジから見上げる渡り廊下に決めて、残りの時間はそこで写生した。

 終業の鐘が鳴る前に美術室に戻って道具を置くと、教室に向かう。

 途中、授業が終わってダンス部の子に声をかけられたリザベルに先に行くよう促されて、一人で教室に戻った。

 廊下でいつも以上の視線を感じたのは、先ほどの〝ちょっとした騒動″のせいかも。


「あら、エリカさん。お体はもうよろしいの?」

「……ええ、ロレーヌさん。ありがとう、大丈夫よ」


 気遣うような笑みを浮かべて近づいてくるロレーヌさんに、帰り支度の手を止めて微笑み返す。

 以前はとても優しい笑顔だと思っていたけれど、改めて見ると不自然さが目立つわね。それに今の話し方、叔母様であるサジュマン伯爵夫人によく似ていたわ。ロレーヌさんも将来、あんなふうになるのかしら。

 そんなことを考えながら、次の言葉に身構えた。

 もちろん、その気持ちは外には出さないけど。

 ゆったりと余裕の笑みを浮かべて、相手を見下すように少し顎を上げる。

 頑張れ、わたし! 昨日、たくさん練習したんだから大丈夫!


「先ほどエリカさんを介抱されていた方は研究科生のようでしたけれど、お兄様?」

「――いいえ、違いますわ。あの方は兄の友人で、わたしが小さな頃からとてもお世話になっている方よ」

「まあ! それでは、要するに赤の他人ということ? そんな方に体を触られたの?」

「それが何か問題でも? 緊急事態ですもの。気を失ったわたしを保健室まで運んで下さったのよ。とても感謝しているわ」


 もしこれ以上ギデオン様を侮辱するようなことを言ったら、本気で許さないんだから。

 さあ、言えるものなら言ってみなさい、とばかりに睨みつけると、ロレーヌさんは一歩後退。

 不安そうな表情のシュゼットさんがロレーヌさんの腕に触れたけれど、それを振り払った姿は本性が出ているわよ。


 先ほどまでがくがく震えていた足も、今は真っ直ぐに立ってくれている。

 大丈夫。確かにわたしは世間知らずだけれど、もうみんなと仲良くできればいいなんて、甘えたことは考えていないもの。

 どうでもいい人に嫌われたってかまわないわ。

 だって、わたしは〝イザベラ″――いいえ、わたしはエリカ・アンドール。

 アンドール侯爵令嬢だもの!




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