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「おいしいっ!」

「本当に? 良かった」


 フェリシテさんに連れて来てもらったパティスリー。

 そこで供されるお菓子はどれもこれも美味しくて、一口食べるごとに歓声を上げてしまう。

 その度にフェリシテさんが嬉しそうに応えてくれると、さらに美味しく感じるから不思議。

 心配していた会話もスムーズに進んでいるし、なんて楽しいのかしら。


 お店の内装もカラフルで、見たこともないような異国の小物があちらこちらに置かれていて、まるで不思議な世界にいる気分。

 他の招待客らしき年配の女性も、子供みたいに顔を輝かせているわ。


「きっと社交界でも話題になるわよ、このお店。わたしも帰ったらさっそくお母様に報告するわ。とても素敵なお店だったって!」

「――ありがとう。エリカさんにそう言ってもらえると、嬉しいわ」


 銀に近い金色の髪をさらりと揺らしてにっこり笑うフェリシテさんはどこか儚げで、物語に出てくる妖精の国のお姫様みたい。

 ついうっとり見惚れていると、店内に差し込む午後からの陽光に反射して、フェリシテさんの華奢な首元に飾られたペンダントがきらりと光った。

 そちらに視線をとられて思わず声が上がる。


「魔法石? 珍しいわね、そのペンダント」


 深い翠色の石はエメラルドかとも思ったけれど、よく見れば質感が違う。昨日、お兄様から聞いていなければわからなかったでしょうけど。

 フェリシテさんはわたしの言葉にはっとして、首元をとっさに隠した。

 どうやらわたしが遠慮なくじろじろと見てしまったからね。

 でもすぐにペンダントから手を離して申し訳なさそうに微笑む。


「ごめんなさい。ちょっと驚いてしまって……。これが魔法石だってよくおわかりになりましたね?」

「ええ。ちょうど昨日、兄から魔法石について少し聞いたばかりだったから。そのペンダント、とても綺麗ね。それもお父様のお店で買えるの?」

「これは……売り物ではありません。母の形見なんです」

「まあ、ごめんなさい。失礼なことを言ってしまったわ」


 ああ、しまった。大失敗。

 リザベルから聞いた話では、フェリシテさんのお母様は彼女が七歳の時に亡くなられたそうだもの。その形見の品を売り物と勘違いするなんて。

 デボラさん達と揉めていたあの時も着けていたし、それに……とにかく、いつも身に着けているなんて、やっぱりとても大切にしているのね。


「お母様は確か、王太子妃様と同じバルエイセンの方だったのよね? それなのに知らない異国に嫁いでいらっしゃるなんて、勇気のある方だったのね」

「いいえ。ただ単に借金の形に売られたんです」

「え……?」

「そんなに驚かないで下さい、冗談ですから。とはいえ、似たようなものですけどね。母方の実家は名門とは名ばかりの没落寸前の伯爵家でしたので、母が嫁ぐ代わりに父から資金援助を受け、今はどうにか盛り返しているようです」

「そうだったの……。あの、ごめんなさい」

「なぜ謝るのですか? エリカさんが悪いわけではないのに?」

「その……無神経に踏み込んでしまったから……」

「ああ、どうかお気になさらないで下さい。よくあることでしょう? それに、このペンダントは母が心からお慕いしていた方に頂いたものなのだそうです。その方の故郷であるこの国で暮らすことができて嬉しいと母はよく言っておりましたから、それなりに幸せだったのでしょう」

「そ、それなら良かったわね」


 いえ、良かったのかしら? よくわからないわ。ただ自分がとんでもないへまをしてしまったのはわかる。口は災いのもと。よく知りもしないのに、余計なことに触れてしまったんだわ。


「――もし良ければ、ここの品をいくつかお持ちになって下さい。生ものはダメですけど、焼き菓子などをお包みいたしますから。侯爵夫人へのお土産にして下さいませんか?」

「まあ、いいの? 嬉しいわ!」

「ええ。是非、侯爵夫人によろしくとお伝え下さい」

「ありがとう」


 ちょっと気まずい沈黙のあとに、フェリシテさんが気分を変えるように温かく微笑んで提案してくれた心遣いに嬉しくなる。

 今日のことをとても心配していたお母様も、お土産を持って帰れば喜んでくれるに違いないわ。

 わたしもこんなふうに気遣いできる女性になれるよう頑張らないと。


 店内が招待客で徐々に混み始めたので、邪魔にならないうちに帰ろうと席を立つ。

 それからクロークで上着を受け取ったところで、馬車を呼びに行っていたフェリシテさんが申し訳なさそうに戻って来た。


「ごめんなさい、エリカさん。実は道が混んでいて馬車を回せないんです。それで申し訳ないのですが、少しだけ歩いて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんよ。今日は休日だから仕方ないものね」


 街中を歩くのは初めてで緊張するけれど、フェリシテさんが一緒だもの。

 来る時に車窓から見た街はとても賑やかで、たくさんの露店が出ていて楽しそうだったし。

 でも、そう思ったのは甘かったみたい。


「本当にごめんなさい。エリカさんのような貴族のお嬢様に、このように雑多な場所を歩かせてしまうなんて」

「あら、気にしないで、大丈夫だから。こういうのも楽しいわ」

「……そうですか。安心しました」


 本当は怖いけれど、フェリシテさんに気を使わせてしまうから。

 だけど一本道を曲がった途端に、肩がぶつかってしまう程の混雑ぶりは想像もしていなかった。

 これでは確かに馬車だと前へ進めないわね。ただ、わたし自身もなかなか前へ進めない。

 いたっ! 誰かわたしの足を踏んだわ! って、あら?


「待って! フェリシテさん!」


 痛みに気を取られて目を離したすきに、フェリシテさんはベッソン家の従僕と一緒にずっと先に進んでいた。

 急いで追いかけようとしたけれど、人が多くて無理。


「フェリシテさん!」


 どうして先に行ってしまうの? わたしがいないことに気付いていないの?

 先ほどまで楽しそうに見えていた街の賑わいに襲われて身動きが取れない。

 人並みに押されて、流されて、どうにか人の少ない横道に逃げ込む。


(どうしよう……完全にフェリシテさんを見失ってしまったわ……)


 一息吐いて、混雑した大通りを覗いてみたけれど、フェリシテさんは見当たらない。

 馬車を止めた場所はそれほど遠くないって言っていたから、頑張って探せば見つかるかもしれないわよね。

 この薄暗い横道にいてもフェリシテさんだってわたしを見つけられないだろうし。

 よし!

 どうにか自分を鼓舞して、大通りへと戻りかけたところで後ろから声がかかる。


「やあ、嬢ちゃん。こんなところで何してるの?」


 これはもう嫌な予感しかしないわ。

 振り返るのが怖いけど、背中を向けたままも怖い。

 恐る恐る振り返ると、やっぱり嫌な予感は当たっていた。

 まさか、こんな物語みたいな展開になるなんてありえないわよね。夢なら醒めて!


「あの……どうぞ、おかまいなく」


 笑顔が引きつっているのはわかっているけど、気にしない。それよりも、わたしの言葉にずいぶん下品に笑う目の前の男性三人に気を付けないと。

 これはあれよね。物語では、か弱き乙女を攫う悪い人達なのよ。

 たぶん、一緒にフェリシテさんを捜してくれる親切心はなさそう。

 だけど偏見はよくないかも。とりあえず笑顔でさよならしましょう。


「では、友人が待っておりますので、さようなら」

「まあ、待てよ。ここら辺は物騒だ。俺達が送ってやるよ」

「いいえ、大丈夫です」

「遠慮すんなって、嬢ちゃん」


 これは間違いなく危険だわ。どうしよう、どうすればいいの!?

 このまま走って逃げたいけれど、このドレスだとすごく走り難くて逃げ切れる自信がない。

 それでも大通りに出てしまえば何とかなる?

 そうだわ! こういう時は大声を出すのよ。頑張れ、わたし!


「ぎ――ゃっ?」

「ここにいたのか、捜したよ」


 突然後ろからぐっと引き寄せられて、訳がわからないうちに頭上から聞こえた声。

 唖然として見上げて、さらにぽかんと口が開く。

 大声を出そうと思ったのに。本当に驚くと声って出せないものなのね。





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