21
サムエル先生に補習のお願いをする時は、リザベルに付いて来てもらった。
お陰で教務室の反対側から感じるルイザ先生の視線も気にならなくて助かったわ。
それにサムエル先生も初めは半信半疑で渋々だったけれど、一度目の授業が終わる頃には熱心な教師に大変身。
ようやく気付いてくれたみたい。わたしはサボっているんじゃなくて、ただ不器用なだけだって。
そう、先生が言うには、わたしは不器用なんだって。それで魔力はあっても魔法技を上手く発動させられないらしいのよね。
そして今日は三度目の補習授業。
「ですから、残念ながら今日は皆様とご一緒できませんの」
本当に申し訳ないわ。だからこれを機会に誰か別の方に同席を頼むか、勝手に噂されるかして下さい。
その気持ちを笑顔にして、ヴィクトル殿下に向ける。
殿下はちょっと驚いたようだったけど、微笑んで頷いた。
良かった。わかってくれたみたい。
「では、僕達も付き合うよ」
「はい?」
「サムエル先生の授業を特別に受けられるなんて幸運だよ。先生の貴重な時間を個人的に割いてもらうなんて、考えもしなかったな」
それは、わたしがずうずうしいと言いたいのかしら。でもむしろ殿下の方がずうずうしいわよね。
わたしの貴重な時間を散々利用しておいて、さらにわたしの努力の邪魔をしようとしているんですもの。ここは断固拒否しないと。
「情けない話ですが、わたしがサムエル先生に教えて頂いているのは、正等科の一年生レベルなんです。魔法技学の基礎中の基礎ですから、優秀な殿下やフェリシテさんには退屈だと思いますわ」
「だからこそだよ。一度初心に返ってみるのも、ひとつの勉強方法だよね。新たな発見があるかもしれないんだから」
それは立派な心がけですこと。だけど、そんなものは自分達で教科書を広げてすればいいじゃない。何もわたしの邪魔をしないでもいいのに。……そうだわ!
「それでは、今日はラウンジや自習室ではなく、この教室でお話をされてはどうですか? いつも同じメンバーよりも、興味を持たれている他の方を交えれば、それこそ新たな発見があるのではないでしょうか?」
これぞ名案よね。何でもっと早く気付かなかったのかしら。
そもそもラウンジではなく初めから教室で話し合っていれば、あんな騒ぎにならなかったのに。
「そうか、それもそうだね。その方がいいかもしれないな。ねえ、フェリシテさん?」
「は、はい。そうですね」
納得顔で殿下も頷いてくれたので、ほっと息を吐く。
やれやれ。これでこの苦行から解放されるわ。
安堵感から殿下に笑顔を向けると、にっこり爽やか笑顔が返ってきた。
なんだか嫌な予感がするんですけど。
「エリカさんは、僕の妃になるのはあり得ない。むしろ、お断り。絶対に、いや! なんだってね。それほどに嫌われていたというのに、気付かずに今まで無理につきあわせていて悪かったね。だけど僕は君にそこまで嫌われるほど何をしてしまったのか、まったく心当たりがないんだけどな。それともあったかな? 理由を詳しく聞かせてもらいたいけれど……まあ、それはまた今度ゆっくりでいいよ」
あああああ、悪魔だわ!
悪かったって顔じゃないもの! また今度ゆっくりって強制しているもの!
そもそもなぜ殿下があの時の言葉を知っているの!?
怖い、怖いわ。
ここはさっさと退散しないと。
「で、では皆様、ごきげんよう」
急ぎ殿下の前で軽く膝を折ると、隣に立っているフェリシテさんにぎこちない笑顔を向ける。
それからマティアスへ無様な姿を笑われる覚悟で視線を移した。最近は彼も以前ほど態度が悪くないけれど、油断はできないもの。
だけど、マティアスは何とも言えない顔でため息を吐く。
「魔法技室で受けるのか?」
「え、ええ……」
「一人で?」
「いえ……ルイザ先生が立ち合って下さるけれど……」
そう答えると、マティアスが呆れたとでもいうような顔をした。
仕方ないじゃない。ルイザ先生が言い張ったんだから。わたしだって、それがどれほど苦痛か。
ルイザ先生はわたしの一挙手一投足に目を光らせているんだから。
初日に付き合ってくれたリザベルが言うには、ルイザ先生はたぶんサムエル先生のことが好きなんじゃないかって。
そう考えれば、あの時初めからわたしに敵意むき出しだったのもわかる気がするわ。
そしてわたしの名誉がどうとか言いながら、鼻息を荒くしてサムエル先生を守っているつもりみたい。
まあ、そういうの嫌いじゃないけれど。
わたしだってギデオン様に害なすものがあれば、絶対に戦うわ。非力なりにね。
ただ、わたしが魔法技に成功してサムエル先生に褒められるたびに、睨むのは止めてほしいわ。
「送るよ」
「はい?」
「魔法技室まで。殿下とフェリシテさんは先にこの間の続きを始めていてくれ」
「そう? じゃあ、そうするよ」
「あの、マティアスさん? 大丈夫ですから」
「遠慮しなくていい」
遠慮じゃなくて迷惑なんですけど。殿下も同意しないでよ。
送ると言いながらずんずん進むマティアスを追って、わたしも教室から廊下に走り出る。
そもそも、どうしてわたしは追っているのかしら。別にいいじゃない、放っておけば。そうよ。先に行ってもらおう。
そう思って歩みを遅くすると、マティアスは少し先で立ち止り振り向いた。
待たなくてもいいのに!
「遅いぞ」
「あなたが早いんです。というよりも、送って下さらなくて結構ですから。どうぞ、お戻り下さい」
意思をはっきりみせて、きっぱり言わないと、きっとこの人には通じない。
きつい表情になっているのはわかっているけれど、マティアスから目を逸らさずに告げる。
すると、マティアスはまた何とも言えない顔をしていた。
「あれだな……」
「何ですか?」
「お前、馬鹿だな」
「はあ!?」
何、この人。馬鹿に馬鹿って言ったら、傷つくって知らないの?
馬鹿って言った方が馬鹿なんだから!
「いや……だってさ、普通あそこでは否定するだろ? ヴィクトルの妃になるのが嫌かとかどうとかって問われて。それなのにこうして逃げ出すなんて、肯定しているようなものじゃないのか?」
「あ……」
確かにそうだわ。
あそこで、言ったことも思ったこともありませんって否定すれば、「また今度」なんてなかったのに。なんて馬鹿だったのかしら。
ショックが顔に出ていたのか、マティアスはわたしをまじまじ見て、吹き出した。
「ちょっと! 笑うなんて失礼だわ!」
「いや……悪い……」
謝罪になっていないわよ。まだ笑っているんだから。
今度はわたしがマティアスを置いて歩き始めると、彼はすぐに追いついた。
「ちゃんと謝りたかったんだ」
「……何をですか?」
「今までの俺の態度を」
そう言われて思わず足が止まる。
からかわれているのかとマティアスの顔を探ったけれど、冗談の色は浮かんでいない。
「どういうことですか?」
「噂が当てにならないのは知っていたのに、惑わされて酷い態度をとっていただろう? だが冷静になって見ていれば、お前が噂とは違うことはわかる。すまなかった」
「……別にいいですよ。わたしも失礼なことを言ったりしましたから、お互い様です」
なんだ。嫌な奴だと思っていたけれど、そうでもないのかしらね。さっき見た笑顔はなかなかのものだったし。
「でも……マティアスさんって、言葉遣いが乱暴ですよね」
「ああ、それもすまない。これからは気を付けるよ」
「もういいですよ。慣れましたから」
「そうか。……悪いな。どうも騎士団の隊舎で二年ほど過ごしていたせいか、口も態度も悪くなってしまって、つい出てしまう。とはいえ、公私をすぐに切り替えられないのは騎士としては失格だな」
困ったように笑うマティアスはいつもより幼く見えてなんだか親近感を覚えるわ。
送るって言われた時にはどんな嫌がらせかと思ったけれど、意外と悪くなかったかも。
「では……送って下さって、ありがとうございました」
魔法技室の前でそう言うと、マティアスは片眉を上げた。
こういう顔はノエル先輩に似ているわね。
「本当は迷惑だったんだろう?」
「いえ、それは――」
「ま、お前が変わっていなくて安心したよ」
「え? 何ておっしゃいました?」
「補習、頑張れよ」
初めとは違うわたしの気持ちを説明しようとしたせいで、続いた言葉が聞き取れなかった。
それなのに取って付けたような励ましの言葉を残して、マティアスは去って行く。
気になるじゃない。もう、何なのよ。




