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「あ、かわいい。どうしたの、これ?」
「それはこの前、レオンスお兄様が赴任地からお土産に買って来て下さったの」
「へえ、いいな。わたしも優しいお兄様が欲しい。生意気な弟じゃなくて」
リザベルが飾り棚に置いていた陶器の人形をそっと手で撫でながら呟いた。
わたしは弟さんや妹さんがいるリザベルが羨ましいわ。もちろん、お兄様達に不満はないけれどね。
遊びに来てくれたリザベルと、テラスではなくわたしの居間でお茶を飲むことにしたのは少し暑いから。
暑いのは苦手なのよね。寒いのもだけど。
リザベルを部屋に入れるのは三度目になるけれど、先日模様替えをしていたから興味津々。
一通りの探索が終わってやっとソファに腰を下ろした時には、用意されたお茶がぬるくなっていた。
「さて、何から話せばいいのかしら……」
結局、新たにお茶を淹れ直してもらい、ようやく落ち着いたところでリザベルが切り出す。
でも、どう話そうかと悩んでいるのか、なかなか続かない。
とっても気になるけれど、ここは急かさずゆっくり待たなくちゃ。
「そうね……うん。はっきり言うわ。あのね、ノエル先輩とヴィクトル殿下はご兄弟なのよ」
「ええ!?」
持っていたカップからお茶がこぼれそうなほど驚いたわたしを見て、リザベルはため息を吐いた。
だってだって、これが驚かずしていられる? 衝撃の事実だわ。
「わたしは、エリカが知らなかったことにびっくりよ。別に秘密でも何でもないし、数年前まではノエル先輩も王宮で王子殿下として暮らしていらしたもの」
「そ、そうなの?」
「ええ。ノエル先輩のお母様は一般家庭のご出身だったの。王太子殿下とは高等科で同級生でいらしたそうよ。そして卒業後もお付き合いは続いていらしたのだけど、結局は身分差がねえ……。で、王太子殿下は隣国バルエイセンの王女様だったサビーネ様を正妃に迎えられたというわけ」
「じゃあ、ノエル先輩とシェフェール公爵家とは……」
「シェフェール公爵は陛下の叔父様でいらっしゃるヨルゴ閣下だけれど、お世継ぎがいらっしゃらないからノエル先輩が養子に入られたのよ。確か、五年前だったかしら? ノエル先輩のお母様が亡くなられて、先輩への風当たりも強くなっていた時期だから王太子殿下もどうしようもなかったらしいわ。正当なお世継ぎのヴィクトル殿下がいらっしゃる以上は、後継者争いに発展しないためにも仕方ないものね。王太子妃様はノエル先輩を毛嫌いしていらっしゃるそうだし。だからノエル先輩と学院内で噂になる程度なら笑っていられるけど、本当に交際しているとなると、王太子妃様を敵に回すようなものなのよ。でもエリカは知らなかったから、あんなに呑気でいられたのね。ようやく納得したわ」
「ええ……。全然知らなくて、恥ずかしいわ」
それほどのことを知らなかったなんて、情けなくて言い訳できない。
いくら社交界デビューがまだとはいえ、知っていなければならないことなのに。
「まあ、この話は知っていて当然って、みんなが思っているから逆に話題にもならないしね。ただ本当にエリカは王宮のことについて疎いわよね。あそこはスキャンダルの宝庫なのに」
落ち込むわたしを慰めるように、リザベルは明るく笑ってくれる。
ああ、その笑顔が大好きだわ。
「わたし……リザベルがこうして仲良くしてくれるまで、友達らしい友達がいなかったから、噂話に疎いの」
「馬鹿ね、エリカ。わたしは仲良くしてあげているんじゃないわ。わたし達は仲が良いのよ。そこは大事なんだから間違えないで」
「ごめんなさ――、ありがとう」
謝ろうとすると顔をしかめたリザベルを見て、慌ててお礼に切り替える。
すると、さも満足というように頷いたリザベルがおかしくて吹き出してしまった。
そこからは二人で大笑い。変ね、ちょっとしたことなのに笑いが止まらないわ。
「あのね……実は、わたし……小さい頃に王宮でとっても嫌なことがあって、それで王宮の話は出来るだけ避けていたの」
「嫌なことって……聞いてもいい?」
「ええ、もちろんよ」
笑いが治まったところで、今まで誰にも打ち明けたことのないあの話を始めた。
リザベルには何でも知っていてほしいから。
「今思えばとてもくだらないことなんだけど。十歳の時に初めて王妃様主催のお茶会にお母様と出席したの。うんとおしゃれして張り切ってね。ただ緊張のあまり何かへまをしてしまったみたいで……詳しくは覚えていないんだけど、わたしが何かで笑った時、そばにいた男の子に『うるさい、ブス!』って言われて……すごくショックで……寝込んでしまったほどよ。それまでずっと可愛い可愛いって言われて甘やかされていたせいで大げさに反応してしまったのね」
「全然大げさじゃないわよ。多感な時期にそんな酷いことを言われたら、傷付くに決まっているもの」
てっきり笑われると思っていたのに、リザベルは自分のことのように怒っている。
ちょっと拍子抜けすると同時に、嬉しくなってきた。
「ありがとう、リザベル。そう言ってもらえると嬉しいわ。今までずっと、あれくらいで寝込んでしまったことが恥ずかしくて、両親に何があったのか訊かれても答えられなかったの。ただそれ以来、人から悪く言われるのが怖くて、人と接することに消極的になってしまったわ。それなのに友達が欲しいなんて、我が儘よね」
「エリカはちっとも我が儘なんかじゃないわよ。でも、それでこれも納得。エリカはそれだけ美人なのに、どうしてその自覚がないのか不思議だったのよ。もっといばり散らしてもいいくらいなのに、いつも控えめに静かに座っていて……全てはその男の子のせいね」
「全てって言うか……。元々わたしは自分から誰にでも話しかけられるようなタイプでもなかったから。少し強気に出られるようになったのも、リザベルと〝イザベラ″のお陰なの。それでもやっぱり、あの男の子にはもう会いたくないって思ってしまうんだけど……昨日ね、ノエル先輩に、あの時のことを――王宮でのお茶会の時のことを訊かれたの。それでびっくりしてしまって」
「え? じゃあ、先輩がその男の子なのかしら?」
「わからないわ。本当にあの時のことはよく覚えていないから。男の子の瞳がとっても綺麗な琥珀色だったのは覚えているんだけど」
「瞳の色ねえ……。それは大人になると変わることもあるから、確実じゃないわね」
二人ともうーんと唸って考え込む。
性格的にはマティアスがあり得そう。
でも待って。別にわたしはあの男の子を捜したいわけじゃないのよ。
「とにかく、それはもういいの。昨日は突然のことで驚いて混乱していたから、リザベルが来てくれて本当に助かったのよ。ありがとう」
わたしが困っていると、いつも助けてくれるリザベル。
わたしが卑屈になっていると、いつも救いの手を差し伸べてくれるギデオン様。
二人ともわたしのとても大切な人。だから二人の期待に応えたい。
「決めたわ。わたし、魔法技を真剣に頑張ってみる」
――わたしには出来る。
そう二人が言ってくれるんだから、わたしは信じて努力するべきよ。
「それじゃあ、ギデオン様に教えて頂くの? わたしも付き合いましょうか?」
「ありがとう、リザベル。でも大丈夫よ。やっぱりギデオン様にご迷惑はかけられないもの。わたしは苦手を克服するの。だからサムエル先生に補習をお願いするわ」
「サムエル先生に? それは……ええ、そうね。それが一番いいと思うわ。エリカがそれでいいならね」
「ええ。せっかくのギデオン様との時間を逃すのは残念だけど頑張るわ」
わたしの一大決心にリザベルは驚いたみたいだったけれど、すぐに励ましの笑顔をくれる。
ああ、やっぱりリザベルの笑顔が大好き。
「それじゃあ教えて? 他にもわたしが知っておいた方がいいことがあるんでしょう?」
「ええ、そうね。他には……」
それから続いたリザベルの話は、予想通りわたしの知らないことばかりだった。
謎はまだまだ残っているけれど、ひとつだけ確かなことは、噂なんかに負けないってことよね。




