2
「まったく! 教師は何をしていたんだ!」
今日の学院での出来事をお母様から聞いたお父様が怒って上げた声は、どうやら屋敷中に響いたみたい。
自分のお部屋にいたデュリオお兄様が驚いて、居間に顔を覗かせた。
「どうしたの、父さん。そんなに怒って」
「ああ、デュリオ。戻っていたのか。いや、今日、エリカが学院で危うく大怪我をするところだったんだよ」
「ええ? 大丈夫なのか、エリカ?」
「大丈夫よ、デュリオお兄様。ただちょっとびっくりしただけ。もう、お母様が大げさなのよ。それでお父様にもお兄様にも心配をかけてしまって……。ごめんなさい」
わたしが謝ると、お父様もお兄様も慌てて「エリカが悪いわけじゃない」「エリカが謝る必要はない」って言ってくれた。でも、お父様は「悪いのは教師だ!」って、また振り出しに戻ってしまった。
「こうして危険な目に遭うのなら、このまま高等科に上がるのは心配だわ。女の子はやっぱり女学院に通うべきよ」
今まで黙っていたお母様が口を開いたと思ったら、この話。
やめて。何日もかけて説得したのに、また一からやり直しとか勘弁してほしいわ。
高等科で親友を作って、恋人も作って、青春を謳歌するって決めているんだから。
結局、どうにかその場を治めてベッドに入ったのは、いつもより遅い時間。
(つかれた……)
一日に色んな事がありすぎて、体は限界に疲れているのに何だか眠れない。
自分があんなに強い光魔法を発動させてしまったことに興奮しているのと、明日どんな顔をして登校すればいいのかわからない不安とで頭の中がぐるぐるしてる。
(明日から、クラスで仲間外れになんてされないわよね……?)
幸い怪我人は出なかったけど、結構なパニックを引き起こしてしまったから気が重い。
これでお父様が学院に乗り込んだら最悪よね。
幸い、王立の名のもとに、学院には国王陛下以外の権力の介入は許されないんだけど。
でも本当に、あんなに光るとは思ってもいなかったんだもの。
みんなも驚いていたわよね?
ということはひょっとして、あれほどの光魔法を発動させたわたしのことをすごいって思ってくれるかも? わたしってば、一躍クラスの人気者? 取り巻きとかできちゃったりして。あら、それは困るわ。
明日、みんなにあれほどの光魔法をどうやって発動させたのか訊かれたら、なんて答えようかしら? やっぱり正直に応えるべきよね、「たまたまよ」って。
なんだかかっこいいわ。
そんなことを妄想していたら体がじわじわと温かくなってきて、やっとわたしは眠ることができた。
* * *
「おはよう」
翌朝、どきどきしながらクラスのドアを開けたわたしは、いつもの光景にがっかりした。
ドアの近くにいた誰かが小さく「おはよう」と返してくれる声、誰が入ってきたのか確認のためのちらりと向けられただけの視線。
ざわりともしなければ、わっとみんなが寄って来ることもない。所詮、こんなものよね。
とほほ。
いつも通り真っ直ぐに席へと向かい、座って本を取り出す。
別にいいもの。授業が始まるまで本を読んでいれば楽しいから。
そう思ってしおりを挟んだページを開こうとしてふと気付く。
ひょっとしなくても見られてる?
あちこちから確かに遠慮がちな視線を感じるわ。
これはわたしに話しかけたいってこと? それで様子をうかがってる? ということは、このままわたしがいつものように自分の世界に入ってしまったら、みんなのチャンスを奪ってしまうのかしら?
ここは、本を開かずに顔を上げてにっこりみんなに笑いかけてみるとか。
ああ、だめ。それはちょっと自意識過剰よね。
「おはよう、エリカさん。昨日はすごかったわね」
悶々と悩んでいたわたしに声をかけてくれたのは、やっぱりリザベルさん。
大変! 昨日、先生の次に光を浴びてしまったリザベルさんに謝罪もせずに呑気に本を読もうとしていたなんて!
「おはよう、リザベルさん。昨日はごめんなさい。もう目は大丈夫かしら?」
「ええ、大丈夫よ。ちょっとびっくりしたけれどね」
悪戯っぽく笑うリザベルさんは本当に大丈夫そうで、わたしは安堵してほっと息を吐いた。
「良かった。みんなにも迷惑をかけてしまって、すごく申し訳ないわ」
そう言ってクラスを見回すと、みんながわたし達の会話に耳を澄ませていたことがわかった。
近くにいた子がすぐさま今の言葉に飛びついて、笑顔を向けてくる。
「わたし達も大丈夫よ。それ以上に、エリカさんの光魔法にびっくりしているのよ。すごかったわよね!」
「本当にね! そもそもあれは、先生がいけないのよ」
なんてこと! わたしを中心としてクラスのみんなが集まって来ているわ!
これを機会に人気者になるチャンス!
ここはわたしの受け答えにかかっているのね。ええと、何か気の利いたことを言わないと……。
そう思った時に、無情にも始業の鐘が鳴り響いた。そして入って来る先生。
酷い。いつもはもう少し遅れてくるのに。ああ、みんな自分の席へと散って行く……。
次の授業は体育だし、一世一代のチャンスをわたしは逃してしまった気がする。
数学の授業を受けながら、恨めしい気分で先生を目で追った。
もちろん、先生の言ってることはよくわからない。
いいもの。あとでデュリオお兄様に教えてもらうから。
そして予想通り、着替えのためにみんな急いで更衣室に向かい、わたしの〝武勇伝″はもう語られることはなかった。
だけど昼休み。
「ねえ、エリカさん。エリカさんはいつも何の本を読んでいるの?」
クラスの数人と食堂でお昼を頂いていると、リザベルさんが話を振ってくれた。
いつもは一緒に食べる時でも、みんなの話を静かに聞いているだけのわたしに話しかけてくれるなんて。
これはもう、昨日の光魔法騒動のお陰ね。
ちなみにお弁当の時は中庭のベンチで本を片手に一人で食べるようにしているの。もちろんお行儀が悪いのは承知しているけど、そうでもしないと寂しいじゃない。
「……今は、『冒険者レディ・ジューン』シリーズを読んでいるの。子供っぽいかもしれないけれど、レディ・ジューンのように世界中を旅してまわれたらって思うわ」
冒険物語なんて幼稚だと思われるかもしれない。そう思ったけれど、結局正直に打ち明けることにしたら、みんなの顔が嬉しそうに輝いた。リザベルさんなんて、勢いよくわたしの手を握りしめている。
「エリカさんが、わたし達と同じ本を読んでいるなんて思いもしなかったわ!」
「詩集とか、経済論とか、もっと難しい本を読んでいるのかと思ってた!」
「そうそう。いつも綺麗なカバーがかかっているから、どんな本かわからなかったし」
「わたしもレディ・ジューンシリーズは大好きなの! 他にはどんな本を読んでいるの!?」
今までのおっとりした雰囲気が嘘みたいに、その場は盛り上がった。
ああ、わたしの答えは正解だったんだわ。馬鹿みたいに見栄を張らなくて良かった!
カバーをかけていたのは、冒険物語や恋愛物語を読んでるって知られるのが恥ずかしかったからだけど。
というか、みんなわたしの成績を知らないのかしら? とてもじゃないけれど、経済論なんてわかるわけもないのに。
その後も午後の授業が始まるまで好きな本の話題は続き、楽しいお昼休みを過ごせたわたしは、浮かれた気分で放課後を迎えた。
「ねえ、エリカさん。今日、これから何か用事はあるの?」
「いいえ、特にはないわ。もうすぐすれば迎えの馬車が来るから、真っ直ぐ屋敷に帰るつもりだけど。どうしたの?」
今まで、放課後に誰からも誘われたことのなかったわたしは、リザベルさんに呼び止められてどきどきしながら平静を装って問い返した。
なに、なに? ひょっとして、お買い物とかのお誘い? ど、どうしよう? こういう時ってどうすればいいのかしら? 真っ直ぐに帰らないと、お母様は心配するだろうし、なんて伝言する? 我が家の馬車で行くのかしら? リザベルさんの馬車? ああ、どうしよう。
「あのね、実はわたし、演劇部に所属しているんだけど、エリカさんに興味がないかと思って」
「……演劇部?」
予想外の言葉に少し気が抜けた声が出てしまった。
リザベルさんはにっこり笑って頷く。
「もちろん、普段エリカさんが観ているようなプロと比べられては困るけど、これでもみんな本気でやっているのよ。演目はたいてい恋愛物だけど、原作にオリジナル要素を加えて話を知っている人でも楽しめるように工夫しているの」
「それはすごいわね。演劇部の存在は知っていたけれど、今まで一度も観たことはないの。ごめんなさい」
観劇は好きだけど、演劇部に関しては学生のお遊びと興味を示さなかったことが悔やまれるわ。
リザベルさんが演劇部と知っていれば、文化祭の時にでも観たのに。
わたしが申し訳なさそうに謝罪を口にすると、リザベルさんは驚いたように顔の前で手を振った。
「いいの、いいの。気にしないで。わたしも今までエリカさんは興味ないだろうと勝手に判断して、誘いもしなかったんだから。ただ今日色々話をして、ひょっとして演劇にも興味がないかしらって思ったの」
それからは迎えに来た馬車を少しだけ待たせて、演劇部の部室に行った。
部員にはお昼に本の話題で盛り上がった子達が揃っていて、少しだけど男子がいることにも驚いた。
今は卒業公演に向けて練習に励んでいるらしい。
残念ながらあまり馬車を待たせることはできなくてすぐに帰ったけれど、明日はお母様に許可をもらって部に寄ると約束した。
(ああ、もっと早くリザベルさん達と仲良くなれてたら……)
もうすぐ卒業なのが惜しい。
この三年間の孤独はなんだったのかとため息が洩れる。
リザベルさん以外は女学院に進むらしいしね。
ま、とにかく明日が楽しみだわ!