19
「もう婚約発表も間近だって?」
「止めて下さい、ギデオン様まで。そんなのデタラメです」
久しぶりにリザベルと一緒にギデオン様の研究室にお邪魔できたっていうのに、またこの話題。
しかもギデオン様から聞かされるなんて、ショックどころじゃないわ。
それなのに、リザベルは隣でくすくす笑っているだけ。
ちゃんと一緒に否定してよね。
「わたしは、フェリシテさんが……女子生徒一人が殿下達と一緒にいると、また何を言われるかわからないから仕方なく付き合っているだけなんです。それなのに殿下と交際しているとか、婚約するとか、いい加減な噂ばかりで迷惑しているんですから」
その他大勢にはどうでもいいけど、ギデオン様にだけは誤解されたくない。
まだ打ち明けることは出来なくても、わたしはギデオン様一筋だもの。
いつかこの気持ちが伝わるといいのに。できればそう遠くない未来に。
「そうなんだね。毎日のようにラウンジで楽しそうに話しているって聞いたものだから、エリカちゃんも楽しんでいるのかと思ったよ。ヴィクトル殿下もマティアスもずいぶん立派になったしね」
「全然立派には思えないです。あの人達、弱い者いじめをするんですもの」
「弱い者いじめ? あの二人が?」
「ええ」
ギデオン様は信じられないといった様子で目を見開いた。
名門レルミット侯爵家のご子息だから、ギデオン様はあの二人のことをよく知っていらっしゃるみたい。
でも、あの二人は猫かぶりが酷いのよ。
「わたしは魔法技が苦手なのに、あの二人はちゃんと出来るはずだって言うんです。特にマティアス…さんなんてわたしがただサボっているだけだって」
「ああ、なるほど。それはつらいね。だけど僕は、彼らの言い分もわからないでもないかな」
「ギデオン様までそんな……」
あの悪魔達を庇うなんて、ショックが大きすぎて眩暈がするわ。
すると、今まで遠慮してくれていたのか黙っていたリザベルが口を開いた。
「実際、〝レンブル″で発したあの光は強烈だったもの。あの光を体感した身として言わせてもらうと、やっぱりエリカにはすごい力があると思うわ」
「うん、その通りだよ。魔力以上の魔法技を繰り出すことは不可能だからね。まぐれだろうが何だろうが、エリカちゃんにはその力があるんだよ」
「でも……」
ギデオン様はリザベルの言葉に深く頷いて、わたしを真っ直ぐに見つめた。
その力強い眼差しに思わず怯みそうになる。
「例えば……一般的な〝レンブル″の明かりがろうそく一本を必要するとすれば、エリカちゃんが正等科で放った強い光は……そうだな、百本程のろうそくが必要となるんじゃないかな。それは一般的な人達の魔力がろうそく一本分だとして、エリカちゃんは百本分もの魔力を持っているってことなんだよ。その力を使わずにただ眠らせているだけなんて、殿下達にはもどかしくて仕方ないんだろうね」
「それは……本当にそうだったとしても、扱えなければ意味がありません。わたしは、わたしなりに頑張っているんです。でも出来ないんです。それなのに出来るはずだって言われても、責められても困ります!」
ギデオン様ならわかって下さると思ったのに。
やっぱり出来る人には、出来ない人の気持ちがわからないんだわ。
心配そうに見ているリザベルだって成績は良いし、魔法技だって大抵はそつなくこなしているもの。
わたしの気持ちなんてわからないのよ。
「わたし――」
「エリカちゃんさえよければ、僕が教えるよ」
「え?」
どうにも居心地が悪くて、もうお暇しようとしたわたしに、ギデオン様からの驚くべき提案。
思わずリザベルと顔を見合わせ、またギデオン様に視線を戻す。
「そんなに驚くことかな。まあ、エリカちゃんが嫌だと思うなら、無理にとは言わないけど、試してみるだけ試してみたらどうかな?」
突然のことで言葉もないわたしに、ギデオン様はいつもの優しい笑みを見せてくれた。
本当は出来ない言い訳をしていただけだから、八つ当たりをしていただけだから、そんなに優しくされる資格なんてないのに。
「試してみたら? 出来る出来ないは別にしても、きっとエリカにとっていい経験になると思うわ。よければわたしも付き合うし」
リザベルの励ましの言葉はとても心強い。
いつもわたしのために何かとしてくれるのに、さっきは嫌なことを思ってごめんね。
「ありがとうございます、ギデオン様。リザベルもありがとう。でも……少し考えさせて下さい」
「うん、わかった。その気になったら、いつでも言ってくれればいいからね」
「はい。本当にありがとうございます」
大好きな二人だからこそ、迷惑をかけたくない。
でも、わたしが今よりちゃんと魔法を扱えるようになれば、きっと二人とも喜んでくれると思う。
だからどうするべきか、少し考えてみるわ。
ギデオン様の研究室を出て、リザベルと別れ、図書室へと向かう。
借りた本を返すだけのつもりだったけど、ついつい書架の奥を覗いてしまった。
「やあ、久しぶりだね」
「ノエル先輩……こんにちは」
最近は食堂でもラウンジでも見かけることがなかったから、本当に久しぶり。
初めて会った頃より少し前髪が長くなって、いつも楽しそうに輝いている琥珀色の瞳がよく見えないわ。
「それで、婚約発表はいつなの?」
「婚約なんてしません。誤解しないで下さい。迷惑しているんですから」
「そうなの? なんだ、またデタラメな噂か」
そう呟いた先輩は、わたしの手元をちらりと見た。
そうだわ。この本を返さないと。
隣の書架の空いたスペース――〝心の輪舞曲″の隣に詩集を戻す。
「――あれ以来、君は王宮に来なくなってしまったから、ずっと心配していたんだ」
「え?」
「愚かな少年の心ない仕打ちで、傷付けてしまったのかなって」
困ったような笑みを浮かべて囁く先輩はいつもとどこか雰囲気が違う。
そんな先輩を見てドキドキするのは、怖いからなのか、今聞いた言葉のせいなのかよくわからない。
どうしよう。もう帰らないと、トムが心配するわ。
「殿下との婚約話に本当に迷惑しているなら、僕と付き合ってみる?」
「何を言って……」
「僕と付き合い始めたって知られれば、絶対に殿下との婚約はあり得ないってみんなわかるよ」
「――それで、エリカの将来を台無しにしてくれるんですか?」
突然聞こえた声にはっと振り向けば、リザベルが怖い顔で立っていた。
いつの間に来ていたのかしら。全然気付かなかったわ。
「リザベル……びっくりしたわ」
無意識に安堵の吐息を洩らしたわたしのそばにやって来たリザベルは、先輩をきつく睨んだ。
だけど、先輩は気にした様子もなくにっこり笑う。
「やあ、リザベル君。久しぶりだね」
「お久しぶりです、先輩。では、さようなら」
「冷たいな」
「まさか。わたしは今、燃えるほどに怒っているんです。エリカに遊び半分で近づかないで下さい」
「遊びではなく、本気だったら?」
「でしたら、こんな卑怯なことはなさらないで下さい。正々堂々とお願いします」
「……そうだね、謝るよ。ごめんね、エリカ君」
「え? は、はい……?」
「行くわよ、エリカ」
「ええ……」
何が何だかわからないうちに手を振る先輩を残して、リザベルに図書室から連れ出されていた。
しばらく廊下を進んだリザベルがふと立ち止まる。
そして、わたしをじっと見て、はあっと深いため息を吐いた。
「あの……リザベル?」
「本を返しに行くって、お昼休みに聞いていたから」
「……うん」
「そのことを思い出した途端に嫌な予感がして、急いで図書室に来たのよ。どうやら正解だったみたいだわ」
「ごめんなさい、リザベル。心配をかけてしまったのね」
「そんなことはいいのよ。友達なんだから。ただね、エリカは知っておいた方がいいことを、知らなさすぎるわ。それが問題なのよ」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいの。それだけエリカはご家族に大切にされているってことでしょうし。だけど、それでいてこの高等科に進学することを許可なされるなんて、ちょっと無謀過ぎるのよね。だからこの際、色々と知っておいた方がいいことをわたしが話すわ。幸い明日はお休みだし……もし良ければエリカのお家に遊びに行ってもいいかしら? 我が家でもいいんだけど、姉弟が多くてちょっと落ち着かないから」
「もちろん、遊びに来て。明日なら何も用事はなかったはずだし、リザベルならお母様も大歓迎よ」
今すぐ聞き出したいくらい気になるけれど、時間も時間だし、場所も場所だから我慢しないと。
いったい何があるのかしら。高等科に入学してから謎ばかりだもの。
今日はとにかく色々なことがあり過ぎて、馬車に乗ってからも頭の中は混乱していた。
ああ、気になる。早く明日になればいいのに。