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「殿下! お待ち下さい、殿下!――ちょっと!」

「……ちょっと?」


 呼びかけても止まってくれなくて、怒りも相まって思わず素が出てしまったけれど、無表情に振り返った殿下の顔を見て一気に熱が冷めた。

 いくら同級生とはいえ、王族相手に――王位継承者相手になんて態度を取ってしまったのかしら。

 すっと血が引いていくのがわかる。

 そんなわたしを睨むように見据えていた殿下が、急に堪りかねた様子で吹き出した。


「……ごめん。うん、ごめんね。すぐに応えなくて。で、何?」

「え?」


 笑いをこらえながら殿下に謝罪され問いかけられて、今度は頭に血が足りないのかわたしは上手く考えられなかった。

 これは、ひょっとして、からかわれたのかしら?

 腹を立てるべき? あら、そもそもわたし、怒っていなかった?

 そこでやっと状況を思い出したのに、殿下はさっさと自習室に入って行く。


 また逃げるの!?

 復活した怒りとともに自習室に入ると、殿下は机にもたれてわたしを待っていた。

 小さな自習室には殿下の他には誰もいなくて二人きり。

 これはちょっと、まずいかしら。


「ドアを閉めたら? そうすれば、声は外に漏れないよ?」


 そう言われても、淑女としてはためらわずにはいられないわよ。

 そんなわたしの心配に気付いてか、殿下はにやりと笑う。


「これだけのガラス張りの部屋に二人きりになったからといって、君の名誉は傷付かないよ。それよりも、これから口にすることを誰かに聞かれる方がまずいんじゃないかな?」


 確かに廊下を挟んで教室と反対側に位置する大小様々な自習室は、明り取りのためにもガラス張りで中の様子がよくわかる。

 その反面、防音はしっかりしていて内緒話にもってこいの部屋。

 殿下を追って通り過ぎた自習室は誰かしら居たから、ここまで来たってことかしら?

 なんだか色々と見透かされているようで気分が悪いわ。

 嫌な感じ!

 しぶしぶドアを閉めて、殿下と向き合う。


「先ほどのリザベルとロレーヌさん達の会話、聞かれていましたよね? なぜ黙って出て行かれたのですか?」

「……むしろ、なぜ僕が黙って出て行ってはいけないのかな?」

「それは……そもそもの原因は殿下でいらっしゃるのに。殿下がフェリシテさんと二人きりでお話なさっていたことが噂になっているからですわ」

「ああ、その噂ね。それに関しては、僕も責任があるかもしれないね。だけど、女子同士の揉め事に男子が口を出すべきではないって言ったのは君だよね?」

「あ……」


 そう言えばそうだった。なんてこと。恥ずかしいわ。

 ぐぬぬぬ。ここまで怒りに任せて追って来て、馬鹿丸出し。

 殿下をちらりと見ると、涼しい顔して微笑んでいる。悔しい。

 きっと、ここにマティアスがいれば大笑いされたでしょうね。


「……そういえば、ブリュノーさんはどうされたのですか?」

「別に、マティアスとはいつも一緒にいるわけじゃないからね。どうしているかなんて知らないよ」

「またまたご冗談を。あれほど仲がよろしいのに」

「冗談だとしたら、まったく面白くないね。それで、僕をわざわざ引き止めたのはそれだけの理由?」


 あら? どうしましょう。なんだか機嫌が悪くなった?

 とにかく、今回の一連の出来事の原因は殿下なのは明白だもの。このまま引き下がってなるものですか。


「殿下は、ご自分がどれほど注目されているのか自覚なさるべきです。女子生徒と目立つ場所で二人きりになるなど、どんな憶測を呼ぶのかおわかりにならないのですか? それも人に言えないようなことを――」

「ちょっと待って。人に言えないようなことって何?」

「知りませんわ。フェリシテさんと何を話されていたのか、秘密になさっていることです」

「いや、別に秘密になんてしていないよ。彼女とは――フェリシテさんとは、魔法光学についての話をしていただけだから。魔法応用学の授業で彼女が発表していたことが興味深くてね。それに、目立たない場所で二人きりになる方がまずいだろう? 一応これでも、僕の一挙手一投足が注目を浴びているってことは自覚しているからね。今のように」


 そう言ってわたしの背後を殿下は指さした。

 驚いて振り向くと、廊下には放課後にしてはあり得ないほどの生徒がいる。

 みんな白々しく目を逸らしたりしたけれど、すぐに新たな噂の発信源になりそうに見えるわ。


「彼女を王宮に招くわけにはいかないし、次の機会にはマティアスに同席してもらったんだけど上手くいかなかったね」

「でしたら、他の女子生徒にも同席してもらえばよろしいのではないですか? フェリシテさん一人だから反感を買うわけで、誰か……有力な貴族のご令嬢が同席していれば、きっと今回のような騒ぎにはならないはずです」


 たぶん、それはそれで騒がれるとは思うけれど。

 まあ、貴族のご令嬢ならそういう場合にもちゃんと対応できるでしょうし、名案だわ。

 出した答えに満足して殿下を見ると、少しつり気味の目を楽しそうに輝かせていた。

 何なの?


「では、これからは君が同席してくれるんだね?」

「はい?」

「エリカ・アンドール侯爵令嬢。これほどの名門貴族のご令嬢は他にいないからね。名案をありがとう」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 無理です。わたしにはできません!」


 そんな面倒なことに付き合うなんて絶対にいや! しかも魔法応用学とかなんとかって、拷問じゃない!

 断固拒否の姿勢で、きつく見えるわたしの顔をしかめてみたけれど、殿下は優しく微笑んだまま。

 だけどその笑顔、無性に怖いわ。


「どうして無理なのかな? ただ一緒に座っているだけなのに。発言には責任を持ってくれないと」

「ダメです! そんなことになったら、新たな噂が――また憶測を呼びます!」

「憶測って、どんな?」

「わ、わたしと殿下が、付き合っているとか……婚約したとか、そういうのです!」

「それは他の令嬢でも一緒だよ。それに、お互い都合がいいんじゃないかな。もうこれ以上いい加減な噂に振り回されるのはうんざりだよね?」

「わたしは冗談で言っているのではないのですよ? 噂に困っていらっしゃるなら、殿下はどなたかと正式に婚約なさればよろしいのです。まだ結婚する気がないとかおっしゃっていないで、王位継承者としての責任を果たして下さい」

「うん、わかった。では、君と婚約するよ」

「はあ!?」


 素が出ているとか、口をあんぐり開けたままだとか、そんなことはどうでもいい。

 信じられないことを簡単に言う殿下を罵ってしまいそう。わたしの夢を壊さないで!

 でもこれ以上この話を続けるのは危険。わたしの本能が警告を発しているもの。とにかく逃げた方がいいって!


 じりじりと後ずさるわたしに、ゆっくりと殿下が迫って来る。

 自分で閉めたドアに阻まれて退路が断たれてしまった。


「逃げても無駄だよ。君との結婚を考えているって一言洩らせば、あっという間に婚約は調えられるだろうね。アンドール侯爵家の令嬢となら、誰も異を唱えない」

「そ、そんなの卑怯です!」

「卑怯? おかしいな。さっき、君は僕に王位継承者としての責任を果たせと言ったんだから、君は臣下としての責任を果たすべきじゃないかな? それが特権階級に生まれた君の義務なんだから」

「で、でも……」


 手を伸ばせば触れられる距離まで近づいて来た殿下はまだ優しく微笑んだまま。

 その時、背を預けていたドアがいきなり開いて、わたしは後ろに倒れ込んだ。

 転ぶ! と思ったわたしに殿下がはっとして手を差し出したけれど、支えてくれたのはドアを開けた張本人だった。


「何やってるんだ、こんなところで?」

「ああ、マティアス。邪魔しないでくれ、今――」

「失礼しました!」


 礼儀も何もかも放り出して、わたしは走り出した。というより逃げ出した。

 怖い、怖い!

 ただの迷惑王子だと思っていた殿下の裏の顔を見てしまった気がする。

 今まで爽やかに見えていたものが幻だったと知ってしまったわ。

 あれは悪魔の笑みよ!

 もう絶対に殿下とは関わらないんだから!




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