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それから二日後、また殿下とフェリシテさんが放課後にラウンジで一緒にいる姿が目撃された。
今度はマティアスも同席していて二人きりではなかったらしいけど、それがさらに女子の反感を買ったらしい。
どうやらマティアスファンなるものが存在するそうなのよね。しかも上級生にまで。
みんな目を覚ました方がいいと思うわ。
「それで、どうすればいいのかしら……」
「放っておくとか?」
「この状況で? そんなことをすれば、いつの間にかわたしはこの学院に君臨する悪の女王になっているかもしれないわ」
「それはそれで面白そうね」
「面白くないわよ」
休み明けには落ち着くと思っていた噂も、日が経つにつれて大げさになっているんだから。
最近では数少ない貴族の上級生に「頑張って」とか「応援しているわ」なんて声をかけられたりする。過激なものになると「あんな女なんて、学院から追い出してしまえばいいのよ」なんて。
怖いです、先輩。そして、そんな気はまったくありません。
しかも残念なことに、周囲からの応援はわたしにだけではないらしい。
どうもデボラさん達も声をかけられているみたいで、日に日に変な自信をつけているみたいなのよね。
このまま彼女達がまた暴走したら、それはわたしの指示ということになるんじゃないかしら。
「隣のクラスの子達が、フェリシテさんに殿下と何を話していたのかって訊いたら「それは言えない」って答えたらしいわ」
「……もう、そんなに気になるなら殿下に直接訊けばいいのに」
「それができたら苦労しないわよ。女子なんて殿下とお話するだけで恐れ多いって感じだもの。だからこそ、余計に反感を買うのよね。フェリシテさんは」
選択授業の美術の時間。
リザベルと中庭から見る校舎を写生しながらのおしゃべり。
課題提出の期限などは特にないから、授業はとても気楽。入学前には香学と悩んでいたんだけど、今なら美術を選択していて本当に良かったと思えるわ。
「そもそも殿下がいけないのよ。何の用事だか知らないけど、あんなに目立つ場所で女子と二人きりになるなんて。人に言えないようなことを、人前でしないでほしいわ」
「その言い方はどうかとは思うけど、確かにそうなのよね。何かがおかしいのよ」
「何かって、何?」
「どう言えばいいかしら……上手く説明できないわ」
眉を寄せて真剣に考え込むリザベルを見て追求するのは止めにする。
とりあえずもう少し手を動かさないとね。授業中だもの。
「少し試してみましょうか」
「試す?」
「ええ。人間、驚くと意外と本音が出るものよ。だから試してみるの。エリカも付き合ってくれる?」
「それはかまわないけど……」
しばらくして顔を上げたリザベルは悪戯っぽく微笑んでいた。
何を企んでいるのかよくわからないけれど、まあいいわ。
そこからは最近のお気に入りの本の話をしながら写生を続けていたから、まさかこんなに大胆に〝試す″とは思ってもいなかった。
「――最近はデボラさん達と一緒にいらっしゃらないのね?」
一日の授業が終わり、みんなが帰り支度をする中でのリザベルの問いかけは、ロレーヌさんに向けられていた。
一瞬、教室内が静まり返ったようだったけど、気のせいよね?
ゆっくりと振り向いたロレーヌさんの顔にはいつもの微笑み。
「……そうね。わたしやシュゼットとは考え方が違うみたいだから。一緒にいても楽しくないことに気付いたのではないかしら?」
「へえ、そうなの? 〝考え方″なんて、ずいぶん大げさな言い方ね」
「だけど事実でしょう? わたしはみんなが仲良くできればいいと思っているの。気に入らないからって乱暴に振舞うのは間違っているわ」
そう言うロレーヌさんの視線はわたしに向けられている。
だからどうしてわたしを見るの? 今、わたしは何も言っていないわよね?
それなのに教室にいるみんながわたしを見ているような気がするのは、自意識過剰かしら。
みんなちょっと噂に振り回され過ぎじゃない? なんだか急に腹が立ってきたわ。
きっと〝イザベラ″なら黙っていないはず。よし! 約束通り、リザベルに付き合うわ。
「ロレーヌさんの言う乱暴な振舞いってどんなことかしら? 是非、聞かせて頂きたいわ」
勇気を出すために腕を組んで、つんと顎を上げたけれど、これって悪役のポーズかも。
リザベルは隣で笑いをかみ殺しているけど、それはないんじゃないかしら。
しかもみんなが成り行きを見守る中で、デボラさん達はこっそり帰って行った。
逃げたわね!
まあ、リザベルの突然の行動に驚いたんでしょうけど、それにしても情けないわよ。
「わたしは……エリカさんがデボラさん達とフェリシテさんを囲んで、逃げられないようにした上で、突き飛ばしたりしたって聞いたわ。それはあまりにも酷いと思うの」
震える手を握りしめ、勇気を振り絞ってわたしに訴えたロレーヌさんは、とても清廉で凛とした美しさがある。……ように見えるけど、確かに演技は下手ね。
なるほど。以前、リザベルやジェレミーが言っていた通りだわ。
みんなにわたしを糾弾する自分を見てもらいたくて動きが少々大げさだし、なにより声が大きすぎる。
「それ、誰から聞いたの?」
「え?」
「その話を誰から聞いたの? そこまではっきり言うんだから、確かな人から聞いたのでしょう?」
この息詰まりそうな状況の発端であるリザベルがまた問いかけると、ロレーヌさんはかすかに怯んだ。
今ちょっとリザベルの存在を忘れていなかった?
ロレーヌさんはいったい誰を相手にしているつもりなのかしらね。
「……噂で、聞いたのよ」
「だから、その噂を誰から聞いたの? そんな曖昧な噂に振り回されるなんて馬鹿らしいと思うわ。いい加減に出所をはっきりさせたいから、誰から聞いたか教えて下さらない? それともまさか、ロレーヌさん自身なんてことはないわよね?」
「ち、違うわ。わたしはシュゼットから聞いたのよ」
「え? わ、わたしは、隣のクラスのヴィヴィから……」
今まで黙って不安そうにしていたシュゼットさんがたまらず声を上げた。
そうよね。噂の発信源にされてはたまらないものね。
シュゼットさんに向けて優しく微笑むリザベルの表情は満足げに輝いている。
「じゃあ、それを辿っていけば、噂の出所はわかる――」
「もう止めて下さい! わたしはエリカさんに噂のようなことはされていません! だから、その話はもう止めて下さい。……お願いです」
わたし達のやり取りに悲痛な声を上げたフェリシテさんは、青ざめて小さく震えていた。最後は声にならないような懇願。
本人がいるにもかかわらず、わたし達は諍いめいた口調で話していたんだから、つらいのは当然よね。
噂が広がって嫌な思いをしていたのは、わたしだけじゃないのに、申し訳ないことをしたわ。
「ごめんなさい、フェリシテさん。あなたには嫌な思いをさせてしまったわね」
「い、いいえ……。エリカさんこそ、わたしのせいで……ごめんなさい」
誰とも目を合わせることもできず、涙ぐんで謝罪するフェリシテさんは、それはもう儚げで守ってあげたくなる。
そうね、ロレーヌさんにもこれくらいの演技力は必要ね。
「ま、まあ、フェリシテさんがそう言うのなら、そういうことなんでしょうね。実際に見たって言う人がいない限り、噂は噂だもの。たとえ火のない所に、でもね」
「火のない所にって、どこに火があるというの?」
「そ、それは……ほら、正等科の時のお芝居のせいではないかって……」
「ああ、なるほどね」
ロレーヌさんは必死に取り繕っているけど、結局は噂を肯定したいのね。
そこをリザベルが容赦なく問い詰めると、思いがけない言葉が出てきた。
正等科の時のお芝居――イザベラね。なるほど。
まだわからないことばかりだけれど、ひとまずはこれでいいのかしらね。リザベルも納得しているみたいだし。
つんと顎を上げて、ふんと鼻を鳴らしそうになったところで、視界の隅に教室を出て行く男子の姿が映った。
って、殿下じゃない!
諸悪の根源である殿下が、この騒ぎの中でただ見ていただけなんて! しかも、今、何も言わずに出て行くなんて!
たぶん、わたしは冷静さをかなり失くしていたのね。
気が付けば、殿下を追って走り出していた。
逃がしてなるものか、あの迷惑王子!