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「エリカ・アンドールさん、何をしているの? 早くいらっしゃい!」
ルイザ先生の苛立った声が教室内に響く。
ここで否定しても信じてもらえないだろうし、デボラさん達だと主張しても、ますます〝火に魔法石″でしょうね。
だけどこのまま素直について行って、やってもいないことで怒られるなんてできないわ。
じゃあ、どうすればいいの?
そう迷ったのは一瞬。だって、わたしは〝イザベラ″だもの。
舞台に立ったように、背筋を伸ばしてすっと息を吸う。
「――おっしゃる意味がわかりませんわ、ルイザ先生」
「何ですって!?」
「なぜわたしが教務室に行かなければならないのでしょう? わたしがもっともだと思える理由をあげて下さいませんか?」
「なんてふてぶてしい! たった今、あなたはフェリシテさんに危害を加えていたでしょう!?」
「たった今? では、先生はわたしがフェリシテさんに害をなしている場面をご覧になったのですか?」
「なっ……そ、それは、状況を見れば一目瞭然です!」
「状況? この状況をご覧になっただけで、先生はわたしを断罪なさるのですか? これだけの証人がいるのに、誰にも何もお尋ねにならず?」
先生へと一歩間前へ踏み出ると、先生は怯んだようにわずかに後ずさった。
だけど先生はすぐにハッとして、表情を引き締める。
「わ、わざわざ訊くまでもないことですけどね! ねえ、フェリシテさん? あなたはアンドールさんに何をされたの?」
「い、いえ、何も……」
「何を言ってるの!? 本当のことを言いなさい!」
「……本当です、先生」
「フェリシテさん、恐れる必要はないのよ? わたしがちゃんと手を打ちますからね」
わたしへの怒りをそのままフェリシテさんに向けていた先生は、このままだとダメだと思ったのか、急に猫なで声になった。
だけど、どうやったって先生の望む言葉は得られないわよ。
たとえ本当にわたしがフェリシテさんに危害を加えていたとしても、ここで言えるわけないもの。
だからこの場合、デボラさん達が名乗り出るべきなのよ。
そう思って彼女達にちらりと視線を向けると、びくりとしてさっと俯いた。
卑怯なだけで大した度胸もないのね。
「コレットさん? あなたは見たのよね? だからあなたは私を呼んだのでしょう?」
「わ、わたしは……」
先生はまた優しい声を出したけれど、コレットさんは今にも泣きそうになっている。
これ以上この状況が続いても泥沼にしかならないわ。わたしがそれに付き合う義理もないし。
何よりもう限界。
「では、馬車を待たせていますので、わたしはこれで失礼いたします」
「ま、待ちなさい!」
机から課題を取り出して、先生の声を無視して出口へと向かう。
でもこのまま帰るわけにもいかないわよね。頑張れ、わたし。
「あなた達も馬車を待たせているのではないの? 早く帰らないと、部活が終わって馬車寄せが混んでしまうわよ」
「は、はい」
デボラさん達を促すと、反対のドア近くでおろおろしているコレットさんに笑いかけた。
大丈夫かしら、わたしの笑顔。励ましに見えたのならいいけど。
「コレットさん、先ほどは何か勘違いしてしまったのよね?」
「は、……は、はい! 勘違いでした!」
「だそうです、先生。ご足労いただいて申し訳ありませんでした。この場に居合わせた者として謝罪させて頂きます。もう二度とこんなことはないと約束致します。ねえ、みなさん?」
「――はい!」
もうしないわよね? と含めて問いかけると、デボラさん達は直立して声を合わせて答えてくれた。
これでもうフェリシテさん達は大丈夫なはず。
ルイザ先生には本当に申し訳ないことをしたけれど、先生の対応もまずかったのだからそこは許してほしいわね。
「では、皆さま、ごきげんよう」
背筋をぴんと伸ばして教室を出て行くわたしを、今度は先生も止めなかった。
本当に本当は怖くて仕方なかったけど、〝イザベラ″はどんな時だって堂々としているもの。
走り出したくなる気持ちを抑えて廊下を一歩一歩進んでいると、背後でバタバタと足音が聞こえた。
振り返ってみれば、慌てた様子のデボラさん達が走って来る。
何なの? ひょっとして文句かしら? 怖い。どうしよう。
「エリカさん!」
「……何かしら?」
やっぱり文句を言われるんだわ! どうしよう!
もうデボラさん達に対峙するだけの気力はないわ。
泣き出しそうになる自分を叱咤してぐっと歯を食いしばると、デボラさん達の方が泣き出してしまった。
「ごめんなさい、わたし……」
「エリカさん、許して……」
ええ!? なぜわたしに謝るの!? 泣きたいのはこっちよ!
「謝る相手は別にいるでしょう?」
「ご、ごめんなさい」
先ほどまでの怯えよりも怒りの方が勝って、わたしの声はきつくなってしまった。
だから、わたしに謝らないでよ!
このままデボラさん達に向き合っていても苛立ちが募る一方だわ。
そこに背後から嫌な声が聞こえた。
「何してるんだ?」
出たわね、諸悪の根源とその役立たずな仲間が。
またくるりと振り返れば、ヴィクトル殿下とマティアスが近づいて来る。
マティアスは険しい表情で、殿下は飄々とした表情で。
デボラさん達の中の誰かがひっと息をのんだ。
そりゃそうよね。こんなことろをこの二人には見られたくないでしょうよ。
「お前、何を友達を泣かせているんだ?」
はあ? いつからわたしはあなたに〝お前″呼ばわりされるようになったんですか?
先日も思ったけど、あまりに失礼じゃありませんか?
もちろん、口には出せませんけどね。
そもそも友達とかどうとか、この人に何がわかるっていうのかしら。
「今からここで、学級会でも始められるのですか?」
「何だって?」
「それとも弾劾裁判かしら?」
「お前……」
さらに表情を険しくしたマティアスから怒りのオーラなるものを感じたけどかまうものですか。
わたし、もう本当に限界なんだから! こんなに腹が立ったのは生まれて初めてよ!
「この前から人のことを軽々しく「お前」っておっしゃいますけど、失礼じゃありません? それに、わたしが彼女達を泣かせていたって、なぜわかるのです? よく知りもしないくせにしゃしゃり出てこないで下さい。たとえば――本当にたとえばですけど、もしわたし達がケンカをしていて、仲直りするところだったらどうするのですか? 台無しですよ。全てが台無し!」
ああ、本当に何もかもが台無しだわ。わたしの青春、これで終わった。
もちろん学院内の生徒同士のいざこざに親が出てくることはないけれど、相手は王族。特例よね。
そう思って殿下をちらりと見ると、今にも吹き出しそうになるのを堪えているようだった。
信じられない! こっちは真剣だっていうのに、笑うなんて!
「それでは、その友情に篤い正義感に満ちた頭に叩き込んだ方がよろしいことをお教え致しますわね。女子の揉め事に男子が口を出さないで! さらに揉めることにしかならないから!」
よし! 言いたいことを言ってやったわ。
満足したところで、唖然とするマティアスと未だに笑いを堪えている殿下に向かって軽く膝を折る。
「失礼致します。みなさま、さようなら」
すっかり石と化したデボラさん達を置いて、その場から悠々と去って行く。ふん!
王太子妃様はどうだか知らないけど、国王陛下がとても公平な方だっていうのは有名な話だもの。
お父様達に実害はないはずよ。
学院でのわたしの立場は…………もうどうにでもなれ! だわ。とほほ。