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ギデオンの想い

 

 アンドール侯爵家の三男であるジェラールとは、正等科に入学する前からの友達だった。

 僕には年の離れた弟がいて、ジェラールには同じ年の妹がいる。

 その妹のエリカちゃんは、僕が遊びに行けば満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。


 あいにく彼女は体が弱く、部屋どころかベッドから出られない日も多くあったが、一緒に人形遊びなどをすればとても喜んでくれ、僕まで嬉しく思えた。

 この頃には弟のオーレリーはすっかり甘えてくれなくなっていたから、余計に楽しかったのだろう。


 だからジェラールとともに騎士団の訓練所に入所してから、今までのように気軽に侯爵家には遊びに行けなくなったことは残念だった。エリカちゃんには寂しい思いをさせてしまっていたらしい。

 そして僕も寂しくはあったが、正直に言えば楽しくもあった。

 多少の羽目を外して遊んだし、何度かケンカもした。


 全てが楽しくて先のことなんて考えもせず、高等科に入学してからも当然のように未来は続くと思っていた三学年のとき。

 時折感じるめまいや起き上がれないほどの体のだるさに、心配した母が呼んだ医者から下された診断結果は僕の全てを変えた。


「……失力症?」

「はい。非常に珍しい病気であまり知られてはおりませんが、今までの症状から考えるとおそらく間違いないかと……」


 言いにくそうに告げる医師の顔を僕は呆然として見つめた。

 それでも頭の中では、以前何かの書物で目にした〝失力症〟という文字がぐるぐる忙しなくめぐっている。

 医師はまだ何か言っていたが、僕にはもう結論が出てしまっていた。

 ――僕はもうすぐ死ぬ。


 それから現実を受け入れるにはしばらく時間がかかった。

 ほとんどぼんやりしていたような気がするが、これからどうやって過ごそうかと時には考え、どうでもよくなって思考を放棄する。

 その繰り返しの中でいっそのこと享楽的に暮らすのもいいかもしれないとも考えた。

 残された時間はおそらく三年。きっとあっという間に終わるだろう。

 だがエリカちゃんのことを――彼女の笑顔を思い出したとき、ようやく僕は正気を取り戻した。


 このまま自己憐憫に浸っているわけにはいかない。

 心の整理はまだつかなかったが、どうにか冷静を装って父にお願いし、一人でアンドール侯爵家に伺った。

 侯爵夫妻には僕自身から、エリカちゃんとの婚約を受けることはできないと伝えるために。


 少し前に侯爵から内密に婚約話を打診されたときには驚いたが、しばらく考えた結果、受けるつもりになっていた。

 もちろん初めはかなり悩んだ。

 エリカちゃんは可愛いが妹のようにしか思えないのに、そんな気持ちで将来を約束するのは失礼ではないかと。


 だがいつかエリカちゃんに好きな相手ができたとき、もしそいつが彼女にとって相応しい相手なら、穏便に婚約を解消すればいいのではないか。

 そのときまでエリカちゃんを守り、一番の味方でいればいい。

 そう考えていた自分がどれだけ傲慢だったかを思い知らされた。

 そして以前、ヴィクトル殿下に対して偉そうに告げた言葉が、鋭く自分に返ってくる。


『エリカちゃんをこれ以上傷つけたくないのなら、もう近づかないでください。そして彼女のことは忘れてください』


 あの日、レオンス殿に連れられて現れたヴィクトル殿下を目にして、エリカちゃんは悲鳴を上げて倒れてしまった。

 それで大人げもなく腹を立てて告げた言葉。

 王子殿下に向かって、あのように失礼な態度を取るべきでないのはわかってはいたが、ようやくまた笑うようになったエリカちゃんを傷つけることが許せなかった。

 それなのに今のままでは僕が彼女を傷つけてしまう。

 そこまで考え、悲劇に酔っている自分に気付き、面白くもないのに笑った。


 アンドール侯爵家では、全てを打ち明けた僕に夫妻は我が子のことのように嘆き悲しんでくれた。

 お二人には丁寧にお詫びとこれまでの感謝の気持ちを伝え、それから最後のつもりでエリカちゃんに会いに行った。

 エリカちゃんはもうずいぶん大きくなったというのに、僕を見ると駆け寄り抱きついて歓迎してくれる。

 当然、侍女の一人に窘められて落ち込んでしまっていたが、そんなエリカちゃんもとても可愛かった。

 顔を赤らめて恥ずかしそうに微笑むエリカちゃんを見ているだけで気持ちが温かくなる。


「ギデオン様、あのね、昨日レオンスお兄様が新しい本を送ってきてくださったの。外国の珍しい本なのよ。一緒に読んでくださる?」

「もちろんだよ」


 はきはきと話すエリカちゃんに、体が弱かった頃の面影はもうない。

 きっとこれから、たくさんの新しい出会いがあって、たくさんの楽しみが待っているはずだ。

 だから敢えて何も言わなかった。

 僕のことをそのうち忘れてくれれば、別れるときには悲しまないですむはずだから。


 その後、ジェラールに打ち明けたときにはなぜか怒りを買ってしまった。

 そこは心配するところじゃないのか、なぜ怒るのかさっぱりわからないまま絶交宣言をされたが、しばらくするとジェラールは謝罪とともに新たな決意を伝えてくれた。

「俺が必ず、お前の病気を治してやる!」と。

 てっきり医師を目指すのかと思ったが、魔法石の研究のために研究科に進むことにしたらしい。

 僕も、残りの時間を少しでも誰かの役に立てたいと、研究科に進むことに決めていた。

 そんな僕が無理をしないように、ジェラールは監視するつもりでもあるんじゃないかとは思ったが、口にすることは控えておいた。


 * * *


 今、机の上に置いた小さな薬包を見つめながら考える。

 別に悩む必要などはない。今までのようにジェラールの実験のために――いや、僕自身のために、一気に飲めばいいだけだ。

 その結果が怖いわけでもない。

 ただどうしても引っかかるのは、この新たに発見されたという魔法石の出どころだ。

 ジェラールはアンドール侯爵家の領地にある森で採掘師が発見したと言っていたが、相変わらず嘘が下手で笑える。

 世間が〝サントセ村の奇跡〟と騒いでいる今、この魔法石と結び付けて考えないわけがないのに。

 そして奇跡を起こしたとされるエリカ・アンドール侯爵令嬢。


(あれから三年か……)


 たった三年。もう三年。

 余命三年と言われたこの体はまだ床に臥せることなく、どうにか普通に生活できている。

 だがそれもいったいいつまでだろう。

 いくら増魔石を手にしても、オーレリーに負担をかけてまで盗魔石の力を得ても、確実に病魔が僕の体を蝕んでいるのはわかる。

 その感覚にも慣れて、今はもう全てを受け入れたつもりだった。


 それなのに新学期を迎えたばかりのあの日、研究科棟と高等科を繋ぐ渡り廊下を進むエリカちゃんを見つけたときには、自然とジェラールの研究室に向かっていた。

 もう会わないほうがいいと決めたはずだったのに。

 すっかり大きくなったエリカちゃんは僕を見て昔と変わらない明るい笑顔を向けてくれた。


「ますます綺麗になったね、エリカちゃん」


 可愛いらしい少女から美しい女性へと変わろうとしているエリカちゃんは本当に眩しく輝いていて、今まで諦めていた人生が途端に惜しく思えた。

 この三年、綺麗ごとを並べ立てずエリカちゃんの傍にいれば何か変わったかもしれない。

 そんな思いがけないことを考えている自分に驚く。


「――じゃあね、エリカちゃん。久しぶりに会えて嬉しかったよ」


 その驚きは動揺に変わり、僕はまるで逃げるようにその場から立ち去った。

 やっぱり会うべきではなかったと。

 それなのに僕とのことが噂になっているようだとエリカちゃんから謝罪の手紙が届いたときには、遊びにおいでと誘っていた。

 ただ気にしていないとだけ返事をすればよかったのに、偽善者にもほどがある。


 だが侍従のアルドから聞いたエリカちゃんの噂があまりに不自然で気になったのも事実だった。

 正等科卒業前の演劇で悪女を演じた影響なのではとアルドは言っていたが、次々に流れる噂はどう考えても悪意しか感じられない。

 そこで本来なら学生同士の問題に口を出すべきではなかったが、他の生徒たちが見ている前で告白めいたことをして噂をけん制した。


「馬鹿だな……」


 相変わらず大人げない自分の行動に思わず一人呟いて苦笑する。

 正直に言えば、あそこまで大げさにしたのは、ヴィクトル殿下に見られていることに気付いてからだ。

 一番けん制したかったのは殿下だったのかもしれない。


 だが結局、僕は何もできなかった。

 彼女にはもう信頼できる友達がいる。そして殿下がいる。

 自分勝手な寂しさを感じながらも、悪意ある噂にも毅然と対応していたらしいエリカちゃんの成長は誇らしく嬉しかった。


 それがある日、突然ヴィクトル殿下との婚約を知らされたときには、ひどくショックを受けてしまった。

 今までにもそれらしい噂は耳にしてはいたが、またいつもの噂だと思っていたのに。

 いつの間に? いったいなぜ?

 様々な疑問が頭に浮かぶ。

 それでもどうにかお祝いの言葉を口にはできたが、きちんと笑えていたかは自信がない。

 きっと、大切な妹の婚約が決まったときにはこんな感情に襲われるのだろう。

 そして寂しさの中に感じるものは、おそらく二人の未来に対する嫉妬。


 そんな醜い感情に僕が囚われている間に、エリカちゃんは殿下たちと多くのことを成し遂げていた。

 今や新たに流れる二人の噂は国中を沸かせている。

 二人が成し遂げたのは〝サントセ村の奇跡〟だけじゃない。

 悪徳行政官の悪事を暴き、裁きを下したとか。

 少々物語めいてはいるが、エリカちゃんならと信じられる。

 実際、今目の前にあるこの魔法石――治癒石を手に入れてくれたのはエリカちゃんだろう。


『あのね、ギデオン様。幸せは諦めずに探していると、手に入れられるんですって。だからわたし、みんながいっぱい幸せになれるように一生懸命探すの!』


 本に書いてあったと嬉しそうに話してくれた幼い頃の彼女を思い出す。

 エリカちゃんは昔から自分よりも他人のために頑張っていた。だから当然のように、彼女は諦めなかったんだ。現実を受け入れたふりをして、諦めてしまった僕とは違って。


 治癒石を飲んで、僕はもう大丈夫だと確信できるまでに大して時間はかからなかった。

 治癒石を口にいれてからしばらくして、お腹の中の黒い塊――おそらく病巣だと思えるようなものが、すっかり消えてしまったことに気付いたからだ。

 もちろん感覚だけではっきりと見えるわけではないので、証明することはできない。

 だが間違いなく、病は治った。


 そのことをジェラールに伝え、家族にはもう少し時間を置いて伝えた。

 両親は奇跡だと泣いて喜んでくれたが、これは奇跡なんかじゃない。

 エリカちゃんが諦めずにいてくれたからこその必然だろう。


 それからしばらくは、この感謝の気持ちをエリカちゃんに伝えるかどうかで悩んだ。

 ジェラールの態度からしても、おそらく本人は隠しておきたいのだろう。

 だがやはり、エリカちゃんがどれほどの想いで、どれほどの苦労をして、治癒石を手に入れてくれたのかと思うと、知らないふりなどできなかった。

 決意すると同時に朝一番で侯爵家に使いを出し、訪問の伺いを立てる。

 そして三年ぶりに侯爵家へとお邪魔することになった。


 久しぶりの侯爵家でも、エリカちゃんは笑顔で迎えてくれた。

 それでも制服とは違う、昼用のドレスはいつも以上に彼女を輝かせていて、諦めてしまっていた三年間を悔やんでしまう。

 僕に後悔する資格などないのに。

 それでも昔と変わらずどこかぼんやりしているエリカちゃんに安堵して、思わず笑ってしまいそうになりどうにか誤魔化す。


「あのね、エリカちゃん。こちらには久しぶりにお邪魔させて頂いたから、お庭を見せてほしいって話していたんだけど、エリカちゃんさえよければ案内してくれないかな?」

「もちろんです!」


 元気の良いエリカちゃんの返事にまたくすりと笑ってしまったけれど、本人は淑女らしくないと思ったのかしょんぼりとしている。

 そんな彼女の手を取り、思い出の詰まった庭へと足を運んだ。

 隣を歩くエリカちゃんは背も高くなり、昔よりもぐっと目線が近い。

 それでも僕の腕に添えられた手は小さく、熟練の採掘師でも困難を来たす森へ分け入ったとは信じられないほど華奢だった。


「小さかった頃のエリカちゃんは、よく泣いていたのにね。虫が怖いとか、雨が降ってきたとか、王子様が意地悪だったとか」

「え?」


 僕に助けを求めて泣いていた頃が懐かしくてつい口にしてしまった言葉に、エリカちゃんは赤くなってしまった。

 今のは卑怯だったなと反省しながらも、心のままの言葉を止めることはできなかった。


「僕はエリカちゃんが笑ってくれるなら、何でもしようと思っていたよ。そして今は、あの頃以上に強い思いでいる」


 今の素直な気持ちを伝えるとエリカちゃんを促して、懐かしさの残る東屋へと向かう。

 東屋は何も変わっていなかったが、僕たちはすっかり変わってしまった。

 お姫様を悪い魔女から救う王子はもうどこにもいない。


「治癒石を森から持ち帰ってくれたのは、エリカちゃんだろう?」

「それは――」


 僕の突然の質問はエリカちゃんを動揺させてしまったようだ。

 それでもどうにか否定しようとしているエリカちゃんをベンチへと座らせると、昔のように跪き、震える小さな手をぎゅっと握り締めた。

 言いたいことはたくさんある。自分でもわからないほどに。

 だけど今言えることは、言うべきことは一つだけだ。


「――僕にとってエリカちゃんはお姫様なんだよ。昔も、今も、これからも。恩とか義理とかは関係ない。ただエリカちゃんは笑っていてくれたらいいんだ。そのために僕は生きるんだから」

「ギデオン様……」


 まるで騎士のように跪いたまま、震えるエリカちゃんの手に口づけた。

 これは僕の永遠の忠誠を誓う証。

 僕たち二人の関係は変わってしまったけれど、僕はエリカちゃんの望むままでいよう。

 エリカちゃんが今のように無理して笑わないように。

 いつか自分の心に向き合ったとき、僕が支えになれるように。

 僕たちの関係は何も変わっていないのだと、エリカちゃんが思えるように――。



 そして今、純白のドレスに身を包んだエリカちゃんは本当に綺麗だった。

 隣にいる殿下が憎らしいほどに。

 もちろん、誓いのキスが長すぎたことについては、アンドール侯爵やジェラールとともに苛立ちを募らせた。

 遠いあの日、僕のせいで二人の関係を遠回りさせてしまったのではと申し訳なく思っていたが、必要なかったようだ。

 だから二人を心から祝福するけれど、エリカちゃんの初恋の相手として、ちょっとくらい殿下に嫌がらせをしてもいいだろう。


「エリカちゃん、どうか僕と踊って頂けませんか?」

「もちろんです!」


 やっぱり元気の良い返事にくすりと笑い、ヴィクトル殿下ににやりと笑いかける。

 結婚披露パーティーも最高潮の中、殿下の嫉妬も最高潮らしい。

 アンドール侯爵やジェラールたちはよくやったとばかりににやついているが、そろそろ花嫁を花婿に返してあげよう。

 殿下はずっと諦めることなく、この幸せを手に入れたのだから。





本日、7月29日(金)は3巻の発売日です。

おかげさまで、無事に完結巻まで出版することができました。

購入特典などの詳しい情報は活動報告にてご確認ください。

http://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/1468321/

また、田島隆雄氏著作「読者の心をつかむWEB小説ヒットの方程式」にて恥ずかしながらインタビューを受けております。

合わせて、よろしくお願いいたします。

このように素晴らしい機会を頂けたのも、応援してくださった皆様のおかげです。

本当に、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ギデオンサイドのお話、とても面白かったです。 エリカから見たら落ち着いた優しいお兄さんに、こんな葛藤があったんだなあ、というのがよく分かって素敵な回でした。 [一言] とても楽しく一気読み…
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