12
「エリカ・アンドール様でいらっしゃいますか?」
「はい。そうですけど?」
「あなた様宛てに、研究科のギデオン・レルミット様からお手紙でございます」
校内配達の係員が向かって来た時からそうかとは思ったけれど、まさか本当にギデオン様からお手紙を頂くなんて。嬉し過ぎて飛び上がりそうだわ。
でもダメ。これだけ周囲から注目されていては、怪しい行動は控えないと。
「――ありがとう」
どうにか落ち着いて受け取り、名前を確認する。
間違いない。本当にギデオン様だわ。
ああ、でもこれで、噂の研究科のお相手がギデオン様だとわかってしまったんじゃないかしら。
そもそも、わたしが朝一番に校内配達を使って手紙を出したのがいけなかったのかも。
噂になってしまったことを少しでも早く謝罪したくて、昨日一晩考えて書いた手紙だったけど。
でもギデオン様も校内配達を使って教室に届けさせるなんて、気にしていないってことかしら。
「こんなに早くお返事が来るなんて、驚きね」
「ええ、そうね」
手紙を出したことを教えていたリザベルが興味深げに手紙に視線を向ける。
でも手紙を読むのが少し怖い。もし、怒っていたら? それでこんなに早く返事が来たとか……。
「あれこれ考えても内容は変わらないんだから。とりあえず読んでみたら? きっと悪いことは書いてないわよ」
「……ええ」
リザベルに励まされて、手紙を開封する。
――ああ、どうしよう。やっぱりギデオン様は……。
「どうしたの? 良くないこと?」
「――いいえ。ギデオン様は……気にしていないって。むしろ光栄だって」
「ああ、良かった。やっぱり素敵な人ね?」
「ええ……。ギデオン様はわたしのことを心配して下さってるの。それで、もし困ったことがあったらいつでも力になるって。それから、友達と一緒によかったら研究室に遊びにおいでって」
「あら。もちろん、わたしはいつでも付き合うわよ?」
「……ありがとう、リザベル」
ギデオン様は優しい。昔からいつもわたしの欲しい言葉をくれる。
こうして校内配達を使ったのも、自分が噂の相手だとわざと知れるようにして下さったに違いないわ。名の知れぬ相手に噂がエスカレートしないように。
「なるべく早く一緒に研究科棟へ行きましょうね。何度か繰り返せばそれが普通になって、いちいち騒がれなくなるわよ」
「リザベル……」
わたしは本当に幸せ者だわ。
高等科に進学して良かった。リザベルと友達になれて良かった。そしてギデオン様のことを本気で好きになって……いいわよね?
それからは一日中ずっとギデオン様のことを考えてしまっていた。
そしてどんどん妄想が膨らんでいく。
家督を継ぐことはなくても、ギデオン様は立派なお家の方だし、ジェラールお兄様のお友達だもの。お父様とお母様も反対しないわよね? ギデオン様のご両親はどうかしら……ああ、あの小舅が問題だわ。
「そんなに難しい内容なの? その本」
突然声をかけられて、はっと顔を上げるとノエル先輩がいた。
先輩が指さしているのは、わたしの手元にある娯楽小説。
嫌だわ。わたしってば、ギデオン様の弟さんのことを考えているうちに眉間にしわを寄せていたみたい。
「いいえ、この本ではなく別のことを考えていたので」
「そうなの? なんだ、ちょっと興味持ったのに」
にやりと笑って先輩は本ごと私の手を持ち上げて題名を確認した。
その仕草はあまりにも親密に思えて胸がドキドキする。
こういうところが〝女たらし″の所以なのかしら。
「先輩、近過ぎます。また誤解されるじゃないですか」
「誤解されるのが嫌でしばらくここに来なかったの?」
「色々と用事があったんです」
先輩から手を振りほどいて本を書架に戻す。
今日は冒険物より、恋愛物が読みたい気分だわ。
戻した本のすぐそばにあった王道的恋愛小説を取り出すと先輩はちょっと驚いたみたい。
「それって、少し前に女性達の間で大人気だった小説だよね? まだ読んだことなかったの?」
「いいえ、一度読んだことはありますけど、また読みたくなったんです」
「へえ……この棚の裏に、今のエリカ君にぴったりの本があるよ」
「なんて言う本ですか?」
「〝心の輪舞曲″。詩集だよ。恋のね」
たぶん、わたしは変な顔をしてしまったんだと思う。先輩はわたしを見て小さく吹き出したから。
それとも、マスカラが落ちてる?
慌てて先輩に背を向けて、鏡を取り出し確認。
良かった。大丈夫みたい。
「はい、これ」
「え?」
目の前に差し出されたのは、先ほど先輩が教えてくれた詩集。
わたしが背中を向けている間に取りに行ったのかしら?
「たぶん共感できるんじゃないかな? 恋は楽しいからね」
「楽しい?」
「そう、楽しいよ。でもそのうち苦しくなる。そうなると、次は〝心の円舞曲″を読むといいよ。もしくは僕が抱いて慰めてあげてるけど?」
「結構です」
もう。ジェレミーといい、先輩といい、いい加減からかうのはやめてくれないかしら。
まあ、詩集は今まであまり興味はなかったけれど有り難く受け取るわ。
「アンドール家の馬車が来たよ」
先輩の声につられて窓の外に目を向けたものの、この位置からは校庭は見えなかった。
きっと先輩は背が高いから見えたのね。
「先輩、ありがとうございます。では、さようなら」
「うん、またね」
先輩に別れの挨拶をして、受付で貸出手続きをする。
どうやら、わたしが帰ったら先生と先輩は二人きりになるみたい。
ひょっとして、わたしは追い出されたのかしら。まあ、どうでもいいけど。
鞄を腕に提げ、借りた本を胸に抱えて馬車寄せへ急ぐ。
ラウンジを見下ろせる渡り廊下に差し掛かった時、意外な二人組を見て思わず足が止まった。
気のせいかと目を凝らしてみたけれど、どうやら間違いないらしい。
(あれは同じクラスの……フェリシテ・ベッソンさん?)
いつもはマティアスと一緒にいるはずのヴィクトル殿下が女子生徒と二人きりでお茶を飲んでいるなんて大事件よね。
殿下は爽やかに微笑んでるし、フェリシテさんは頬を染めてはにかんでる。
これは恋の予感?
まあ、どうにもならないかどうかなんて、その時になってみないとわからないものね。
今はとにかく青春を謳歌しなくちゃ!