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「それじゃ、ロンっていう魔獣はおばあ様のお知り合いだったってこと?」
「ええ、そうなの。それで王妃様と知り合ったみたい」
「なるほどね。王妃様のお気に入りの指輪のことはわたしも聞いたことがあるわ。まさかそれが共鳴石だったなんて。それに、エリカのおばあ様ってなんだかすごそうな方ね」
リザベルに何があったのかをきちんと話せたのは次の日の放課後。
明日はお休みだからと学院帰りに我が家に遊びに来てもらって、初めから全てを話した。
ロンのことも共鳴石のこともリザベルにだけは教えていたから話も早くて、今はどうやらおばあ様に興味を持ったみたい。
「おばあ様のことはわたしも本当にびっくりよ。確かにわたしが小さな頃は、トムがよく冒険話を聞かせてくれていたの。あまりにもわたしが喜ぶから、トムがいないときも楽しめるようにって簡単な本にまでしてくれてね。今でもその本は大切にとってあるんだけど、実は大きくなるにつれて、さすがに脚色されているんじゃないかって疑うようになっていたの。でもどれもこれも真実に思えてきたわ」
「その本って、あとで見せてもらってもいい?」
「もちろんよ」
「ありがとう、エリカ」
トムが書いてくれた本はわたしの小さい頃からのお気に入り。
何度も何度も繰り返し読んだから、今ではくたびれてしまっているけど。
懐かしい気持ちで頷くと、リザベルはお礼を言ってからなぜかにやりと笑った。
「それにしてもロマンチックよね? 仲の良かったお二人の孫であるエリカと殿下が同じように共鳴石を交換して、いつでも会える約束をするなんて」
「い、いつでもじゃなくて、ピンチのときだけよ」
「そうなの? でもきっとエリカがいつ会いに行っても、殿下は気にしないと思うわよ。いっそのこと夜にでも行ってみたら?」
「よ、夜!?」
「ええ。殿下はいつもお休みになる前に、お部屋で本を読んだり書類仕事を片付けられるそうだから、その頃を見計らって行けば、二人きりで話もできるんじゃない?」
「む、無茶を言わないで! 部屋に二人きりとか、夜とか、そんなの無理よ!」
リザベルの大胆な提案に体から火が出そうなほどに熱くなる。
いくら婚約しているとはいえ、そんな破廉恥なことはできないわよ!
でも……殿下のお部屋ってどんな感じなのかしら?
デュリオお兄様のように無駄な物は一切ない整然としたお部屋? レオンスお兄様のような何でもかんでも詰め込んだ雑然としたお部屋? それともジェラールお兄様のような所狭しと本が並べられた窮屈なお部屋かしら?
って、あら? ちょっと待って。
「ねえ、どうしてリザベルが殿下の就寝前の行動を知っているの?」
「ああ、マティアスさんに聞いたのよ。「あいつは働きすぎだ」ってぼやいていたから」
「そう……なのね」
ほっと息を吐いて目を上げると、なぜかリザベルは楽しそうにわたしを見ていた。
その視線はなんだか居心地が悪い。
「何?」
「んー、エリカの嫉妬が可愛いなと思って」
「し、嫉妬なんてしてないわ! ただちょっと気になっただけだもの!」
「うんうん、そうね。気になるわね」
「リザベル! もうからかわないでよ!」
にまにましているリザベルに抗議して立ち上がると、本棚へと向かった。
なんだか恥ずかしくて気持ちを落ち着けるために、本を探すふりをして深呼吸。
それから少し冷静になれたところで、〝レディ・ジューン〟シリーズの隣に並べた少しくたびれている本を手に取って戻った。
「これが、トムが作ってくれた本よ」
「思っていたよりも本格的なのね」
「そうなの。文章は手書きだけれど、本はちゃんと製本してもらったみたいで……」
ぱらぱらと本をめくるリザベルの隣に腰を下ろして一緒に見る。
手に取るのは久しぶりだけれど、何度も読み返したから内容はしっかり覚えているのよね。
「ねえ、大切に扱うから、この本借りてもいい? すごく面白そう」
「ええ。間違いなく面白いわよ。返すのはいつでもいいから楽しんでね」
「ありがとう。でも一晩で読んでしまいそうだわ」
リザベルはにっこり笑って本を閉じると、テーブルにそっと置いた。
そしてわたしの手を握り、じっと見つめる。
その表情は先ほどまでとは打って変わってとても真剣。
「さっきは冗談で言ったけれど、なるべく早く殿下とは話し合うべきだと思うわ。明日の妃殿下主催の夜会にエリカも出席するのでしょう?」
「え、ええ。今朝正式に招待状が届いたわ。お母様は急すぎるって文句を言っていたけれど」
「そうね。でもこの急な夜会を開催できるのだけの力が今の妃殿下にはあるってことだものね。だけど、おそらく妃殿下は焦っていらっしゃるんじゃないかしら」
「焦っていらっしゃる?」
「昨日の茶話会でのエリカと殿下の様子を見ていれば当然よ。すごくお互いを……想い合っているように見えたもの。妃殿下もまさか本気でルイーゼさんを殿下のお妃にとは考えていらっしゃらないでしょうけれど、とにかくエリカを、アンドール侯爵令嬢を花嫁には迎えたくないのよ」
昨日、馬車から降りるわたしに手を貸してくれたり、散策に付き合ってくれたときの殿下を思えば、確かに仲良く見えたかもしれない。
実際、仲は良いのだと思う。
お互いの本心がどこにあるのかはっきりしていないだけで……。
「そうね。妃殿下がどういうつもりでこの急な夜会を催すことになされたのかはわからないけれど、その前に殿下とはきちんと話し合っておいたほうがいいものね。わたしの気持ちはともかく、何があっても殿下の味方であることは伝えるわ」
「……ねえ、エリカ。今までわたしも気軽に話し合うようにって勧めたけれど、そのあとの覚悟はできているの?」
「もちろんよ。殿下に他に好きな人がいても――」
「そうじゃなくて、王妃様になる覚悟よ」
「王妃様?」
訊き返したものの、リザベルの言葉の意味はわかっていた。
ただ時間稼ぎをしたかっただけ。
他に好きな人がいると、殿下に言われることばかり考えて傷付かない準備をしていたせいで、そのことに関してはちっとも考えていなかったから。
だけど今、改めて突きつけられても不思議と動揺はしなかった。
殿下のことが好きだと自覚してから、おそらく無意識に考えていたのかもしれない。
「わたしが王妃としての力があるかと訊かれたら、はっきり否定できるわ。わたしは王宮に適応できるだけの知識も常識もないもの。それに国の仕組みもわかっていないし、地理も歴史もまだまだ勉強中よ。みんなの足を引っ張るだけだわ。でも前にも言ったように、この国に住む人たちみんなにより良い暮らしをしてもらいたい。みんなに幸せになってほしい。それはリザベルもギデオン様も、そして殿下にも。殿下が苦しんでいるのなら少しでも力になりたいし、支えたいと強く思うの。だから……リザベルの質問にははっきり肯定できる。殿下が望むのなら、わたしは王妃になるわ。……今あるのは覚悟だけだけど」
リザベルの碧色の瞳を真っ直ぐに見つめて、今の気持ちを正直に答えた。
最後に少しだけ頼りなさがでてしまったけれど。
するとリザベルは目を細めて勢いよくわたしに抱きついた。
「すごいわ、エリカ。本当にすごい。初めて話したころの引っ込み思案なエリカはもういないのね。恋は人を強くするって言うけれど、ギデオン様を助けたいと想う気持ちがエリカを強くして、殿下を支えたいと想う気持ちが内気なエリカを変えたのね」
「やだ、リザベル。それじゃ、わたし二股かけているみたいだわ」
「あら……」
リザベルがあまりにも感慨深げに褒めるから、恥ずかしくなってちょっとだけ抗議した。
そのことを察したのか、リザベルはわざと驚いたように目を丸くする。
それから二人でくすくす笑った。
「王妃様としての力量は心配しなくていいのよ。エリカの周りには力ある人たちが大勢いるんだから助けてもらえばいいの。もちろん、わたしだって微力ながら力になるわよ」
「何を言うの。リザベルが一番頼りになるのに」
またくすくす笑って、軽口を叩き合って、気が付いたときにはかなり遅い時間になっていた。
結局、リザベルには泊ってもらうことにして作戦会議。
殿下が忙しいことはわかっているから、いかに簡潔に話をするかを考えた。
これでどうにか、明日の夜会の前に少しだけ時間をもらえれば話ができるはず。
頑張れ、わたし。