100
ロンが本当に目の前からぱっと消えてしまって、あとには沈黙が残った。
見送る側は初めてだけれど、こんなふうに寂しい気持ちになるのね。
「エリカさん、僕たちもそろそろ戻らないと。リザベルさんは隣にいるの?」
「あ、はい。本を読んで――」
「エリカ、リザベルさんがいるなら、どうして一緒にいないんだ?」
「そ、それは……とにかく、呼んで来ます!」
殿下に告白するかもしれなかったからなんて言えるわけもなく、お父様の質問には答えずに寝室へと向かった。
せっかくかき集めていた勇気も今はもう萎んでしまっている。
寝室のドアをノックすると返事も待たずに中へと入り、リザベルに泣きついた。
「エリカ? どうだったの?」
「……ダメだった」
「え!?」
「結局、話はできなかったの」
「ああ……そういうことね」
言い方がまずかったのかリザベルは驚いて、それからすぐにほっと安堵の笑みを浮かべた。
こんなにわたしを心配してくれる大切な友達を、ロンに紹介できなかったのは本当に残念。
今回は心残りばかりだけれど、次こそは上手くやってみせるんだから。
「実はお父様がいるの。殿下が連絡してくれて」
「あら……それじゃ、話し合いができなかったのも仕方ないわね」
「ええ。他にも色々あって……でも、ひとまずは学院に戻ろうってことになったから、詳しい話はあとで聞いてくれる?」
「もちろんよ。でもエリカは……」
「うん、何?」
「ううん、何でもないわ」
「ええ? 気になるじゃない」
リザベルと話しているうちに元気になってきた。
そしてリザベルとお父様が挨拶を交わし、少しだけ会話してからみんなで戻る。
そのときになって、リザベルが言いかけていたことがわかった。
よくわからない難しい質問をお父様にしたリザベルは、その答えに耳を傾けながらわたしに片目をつぶって合図を送ってくれたから。
リザベルはわたしと殿下との時間をもう少しだけ作ってくれたんだわ。
その機会を無駄にしたくなくて、先に部屋から出て行く二人に続く殿下の上着の裾を思わず掴んで引き止めた。
「……エリカさん、どうかした?」
「いえ、あの……」
とっさにしてしまった子供っぽい行動に顔が熱くなる。
だけど急がないと、お父様が怪訝に思って戻って来てしまうわ。
開け放たれたままのドアをちらりと見てから、一度大きく深呼吸。
伝えたいことはいっぱいあるけれど、今はとりあえず一つだけ。
「この指輪……とペンダントは、あの姿でロンが現れたときにわたしが驚かないために交換してくださったんですか?」
「ああ…うん。一つにはそうだけど――」
「殿下の試したいことが解決したのはわかりました。でも……でもまだ、わたしがこの指輪を持っていてもいいですか?」
「……指輪を?」
「ず、図々しいのはわかっています! でもすっかり馴染んでいますし、殿下がこのままペンダントを持っていてくださればピンチのときでも安心ですし、あ、でも革袋からは出していて頂かないといけませんが、ピンチはチャンスですし、きっと……」
自分でも何を言っているのかわからなくなって、これ以上恥をかく前に口を閉じた。
だけどもうすでに手遅れみたいで、殿下は驚きに目を丸くしている。
わたしと目が合うとすぐに優しい笑みを浮かべてくれたけど。
「ピンチって、たとえばどんなこと?」
「えっ…とそれは……お母様に怖い顔で呼ばれたときとか?」
我ながら馬鹿なことを言ってしまったとは思う。
もう何も言わないほうがいいと黙ったけれど、殿下は小さく笑いながらわたしの左手を取って持ち上げた。
「馴染んでいる、と言うより、似合っていると思うな。だけど、少し大きいみたいだから、ぴったり合うようにまた直してもらったほうがいいだろうね」
「それでは……」
「うん。この指輪はこのままずっとエリカさんに持っていてほしい。それに……」
殿下はわたしの手を放して上着の懐を探ると、ペンダントを取り出して首から下げた。
「前にも言ったよね。僕はどんなエリカさんでも受け止めるって。だから、侯爵夫人に怒られそうになったら、いつでも逃げて来ていいよ」
「そ、そんな滅多に怒られることはありませんから」
「そうなんだ?」
「そうです!」
いつものちょっとだけ意地悪な殿下にほっとひと安心。
このままの心地良い関係でいられたらいいのに。
だけどそれはお互いのためにならないから。
それでも優しい笑顔を向けられ手を差し伸べられると、少しだけ期待してしまう。
温かな手を必要以上に強く握って、殿下の隣を歩きながら強く願ってしまう。
どうか少しでも長く、殿下と一緒にいられますように。