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「今日も図書室へ行くの?」

「いいえ、今日は研究科へ行くわ」

「研究科? ああ、お兄様のところへ?」

「そうなの。ジェラールお兄様ったら、最近ちっとも帰って来て下さらないのよ。お母様も心配していて差し入れを持たされているの。あと小言の並んだお手紙と」


 一日の授業が終わり、帰り支度をしながらのリザベルとおしゃべり。

 今日は目新しい噂もなくて、落ち着いた気持ちで過ごせたのよね。


「じゃあ、部活頑張ってね。また明日!」

「ありがとう。エリカも研究科棟で迷わないようにね!」


 リザベルと別れて、いつもは図書室へと向かう足を研究科棟へと向ける。

 行き方はデュリオお兄様に聞いたから大丈夫。……たぶん。

 お兄様は心配して、仕事を抜け出して付き合うなんて言ってくれたけど、さすがにそこまでは必要ないわよね。わたしももうすぐ十六歳だもの。


 ええっと。そうそう。この高等科棟と研究科棟を繋ぐ渡り廊下を進んで、最初の角を右ね。

 ああ、やっぱりこの棟だと制服姿は目立つみたい。視線を感じてちょっと恥ずかしいわ。

 でも悪いことをしているわけじゃないもの。堂々とね。


 同じ建物内なのに、やっぱり高等科とは雰囲気が違う。

 高等科がどこか浮ついた感じなのは若いから? 女子が比較的多いから? それとも王子様がいるからかしら?……うん。馬鹿みたい。

 さっさと誰かと婚約してしまえばいいのに。女学院に進んだ子達にだって候補はたくさんいるはずだし、正等科にだっているはず。

 殿下も自分の責任くらい自覚して言動に注意してほしいわ。


 今日は改めてゆっくりとクラス内を観察してみたのよね。

 男子は殿下を中心とした大きなグループが一つ。我関せずな一般の子達の二人から三人組みが三つ。あとは一人で本を読んだり、勉強してる子達。でも絶対というわけではなくて、変動的みたい。


 そして女子はロレーヌさんとシュゼットさんに士族の令嬢二人と一般の子二人の六人グループ。それからクラリスさんとフローラさんはなんとなく一緒にいるって感じで、あとの一般の子二人も同様になんとなくな感じ。

 うーん。何か特別に問題があるとも思えないんだけど……。


 って、あら、行き止まり?

 余計なことを考えていたせいで、お兄様のいる研究室を通り過ぎてしまったみたい。

 一度戻らないと。右手にあるってデュリオお兄様は教えて下さったから、こちらからだと左手ね。

 薬滋研究室は……ないわね。見逃したかしら? よし、もう一度。


「――エリカちゃん?」

「はい?」


 引き返したところで後ろから声をかけられてちょっと驚いた。

 条件反射で応えたけれど、知り合いなんていないはずなのに。

 そう思って振り返ると、懐かしい顔に思わず歓声が上がる。


「ギデオン様!」

「やっぱりエリカちゃんだったか。久しぶりだね。ジェラールから高等科に進んだって聞いてはいたけど、ここで会えるとは思っていなかったよ」


 そうか、そうだった。わたしとしたことが、なんてうっかり。ギデオン様も研究科に進まれたって聞いていたのに、こうして会える可能性を少しも考えていなかったわ。

 ギデオン様とは三年ぶりだわ。どうしよう。相変わらずかっこいい。

 ちょっとくせのある灰色がかった髪に、甘いチョコレートのような茶色の瞳。昔はその瞳に少しでも可愛く映れたらって、頑張っておしゃれしたのよね。

 ああ、今のわたしはどんな顔をしているのかしら。こちらに来る前に鏡を見て確認しておくんだったわ。


「ますます綺麗になったね、エリカちゃん」

「い、いえ、そんな――」

「今日はジェラールの所に行くの? 案内するよ」


 今のは社交辞令ですね。そうですよね。

 真に受けて照れたりした自分が恥ずかしいわ。

 それにしても迷ったおかげでギデオン様に会えて、こうして案内してもらえるなんてすごく幸せ。

 最近ついていなかったのはきっと、ここで運を使うためだったのね。


「ギデオン様もジェラールお兄様と同じ薬滋の研究をなされているんですか?」

「いや、僕は動力の研究をしているから、ジェラールとは分野が違うんだ。――さあ、ここだよ」


 先ほどまで見つからなかった薬滋研究室のドアがあっという間に目の前に現れて、ギデオン様との時間もあっという間に終わり。

 ギデオン様は軽くドアをノックすると返事も待たずに開いた。


「ジェラール! エリカちゃんが来てくれたぞ!」

「え? エリカが!?」


 奥からお兄様の声が聞こえて、大きな物音がする。

 お兄様、少し落ち着いて。


「じゃあね、エリカちゃん。久しぶりに会えて嬉しかったよ」

「え? あ、あの……ありがとうございました」


 お兄様が現れないうちにギデオン様は手を振って研究室から出て行ってしまった。

 もっとお話したかったのに。満足なお礼も言えないなんて情けない。

 でもギデオン様、少し顔色が悪かった? お兄様と同じように研究に打ち込み過ぎているのかしら。


「エリカ! 会いに来てくれて嬉しいよ!」

「ジェラールお兄様……」


 奥から出てきたお兄様は優しくわたしを抱きしめてくれた。

 だけどお兄様、わたしはもう子供ではないのだから、この愛情表現はそろそろやめてくれないと。 


「ところで、ギデオンの声がしたと思ったけど?」

「ギデオン様はわたしをここまで送って下さったんです。お兄様からもお礼を言って頂きたかったのですけど……」

「ああ、それじゃ、また会った時に言っておくよ」

「お願いします。ところでお兄様」

「ん、何?」

「最近はちっともおうちに帰って来て下さいませんけど、それほど研究は大変なんですか?」

「……うん、そうなんだ。今はちょっと時間が惜しくてね」


 そう言って笑うお兄様はとても疲れているようで、喉まで出かかっていた文句が言えなくなってしまった。

 そうだ、預かった差し入れとお手紙を渡さなきゃ。


「お兄様、これ、お母様から。それと、お父様もあまり無理をしないようにっておっしゃってたわ」

「そうか。わざわざ、ありがとう。エリカが会いにきてくれて嬉しいよ。お茶でも飲むかい?」

「ええ、頂きたいです。お兄様が淹れて下さるんですか?」

「そうだよ。なかなか美味しいんだぞ」


 身の回りのお世話はお兄様付きの侍従がしてくれるはずなのに、今は見当たらない。

 お遣いかしら?

 お兄様が意外にも慣れた手つきで淹れてくれたお茶はとても美味しかった。お茶のお礼を言って、それからお互いのちょっとした近況を報告。

 ジェラールお兄様はわたしが小さい頃から色々なお話の本を読んで聞かせてくれたのよね。わたしの本好きはきっとジェラールお兄様の影響だわ。


「ねえ、お兄様。お兄様は病気を治すためのお薬の研究をなさってるんでしょう?」

「うーん。薬滋に関して言えばそうだけど、僕の研究はちょっと違うかな」

「どんなふうに?」

「魔法石が病体に及ぼす影響と、その作用について調べているんだよ」

「へ、へえ~。すごいのね」


 何のことかさっぱりわからないけど、とにかくすごいわ。

 お兄様は「全然すごくなんてないよ」って、どこか悲しそうに笑っているけれど、やっぱりすごいと思うわ。悲しむ必要なんてないわよね。病気の人のための研究なんだから、誇るべきよ。


「やっぱりお兄様はすごいわ。だからきっと近いうちに結果が得られると思うの。わたしが保証する」

「……ありがとう、エリカ。お陰で元気が出てきたよ」


 何の根拠もないわたしの言葉に、今度はお兄様も心から笑ってくれた。うん、良かった。

 そうだ、もう一つ質問。


「ギデオン様は動力の研究をなさってるって聞きましたけど、動力って何ですか?」

「ああ、動力も魔法石に関わる研究の一つだよ。もっと広く魔法石を利用できないかって調べたり、実験したりね」

「……なるほど」


 やっぱりよくわからないけれど、ギデオン様もすごいってことはわかったわ。

 あら? でも確か……。


「ギデオン様はレルミット侯爵家のご長男でしょう? おうちのことはいいのかしら?」

「ああ……うん。ちょっと理由があって、家督は弟のオーレリーが継ぐことになっているんだ。エリカと同じ学年にいるはずだよ」

「そうなの。知らなかったわ」


 どこの家にも色々と事情があるものね。これ以上は触れないで……いいえ、もう一つだけ。どうしても気になることがあるわ。


「あの、ギデオン様には婚約者はいらっしゃるのかしら?」

「いいや、いないけど。……どうして?」

「え? い、いえ、別に……あ、大変! もうこんな時間だわ。トムが待っているから、失礼しないと」


 時計を見て慌てて立ち上がったけれど、白々しかったかしら?

 でも思っていた以上に時間が経っていて驚いたのは本当。


「お兄様、お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」

「謝る必要なんてないよ。エリカが会いに来てくれてとても嬉しいんだから」


 お兄様も立ち上がってドアまで一緒に歩く。

 だけど、これはひょっとして……。


「お兄様、ここまでで結構ですわ。どうか研究を続けて下さい」

「かわいい妹を見送る時間くらいはあるよ」

「ダメです。もう十分、お兄様のお時間は頂きましたから」


 お兄様はおうちに帰る時間を惜しんでまで研究をなさっている程だもの。とっても大事なのよ。だからもうこれ以上の邪魔はできない。

 その思いでお兄様を見つめる。


「……わかったよ。じゃあ、ちょっと待って。――ルイ!」


 諦めたようにため息を吐いたお兄様は先ほどのギデオン様のように、奥に向かって呼びかけた。

 すると、お兄様の侍従――ルイが奥の部屋から出てきた。

 今までどうやら気を利かせてくれていたのね。


「ルイに送らせるから。それでいいね?」

「わかりました。お兄様、ありがとうございます。……また、会いに来てもいいですか?」

「もちろんだよ」

「でもちゃんとおうちにも帰って来て下さいね」

「うん、わかった」


 最後に厳しい顔でお願いすると、お兄様は苦笑しながらも頷いてくれた。良かった。

 今日はとっても楽しい一日だったわ。




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